第7話


 一目惚れだったと思う。

 出会いは子ども会の集まりだった。憂いを帯びた面持ちでぬいぐるみを抱く彼女。視界の端に捉えた途端、恋という名の沼の底へと深く沈み込んだ。とはいえ当時は小学一年生のちびっ子であり、友愛と恋愛の違いを理解しておらず。特別な友達程度の認識でしかなかった。

 明確に意識し始めたのは三年生くらいからだ。とにかく彼女の役に立ちたい、助けたいと無様に空回りする日々。ふとした拍子に思い出して自己嫌悪に陥ってしまう。

 結局、愛音の力になれず、不完全燃焼のまま恋は終わった。

 情けなくて不甲斐ふがいなくて、十年間ずっと後悔の念にさいなまれてきた。彼女と再会した今もまだくすぶっている。

 図体ばかり大きくなってこの始末。二十歳を過ぎてもなお青春を引きずり続けるのだろうか。まったくもって度し難い。

 それでも、愛音が平穏無事なら御の字だ。かつての笑顔を取り戻せたのに、こちらの都合で再び曇らせる訳にもいかない。


「やっぱり、言えないよな」


 最寄りの駅に到着したところで一人ごちる。

 愛音は保育教諭として忙しいのか、本日も残業に加えて持ち帰りの仕事まであるようだ。学生の身分では烏滸おこがましいかもしれないが、労働環境が幾分ブラックだと心配になる。だが本人曰く、異常な出来事は起きず至って平和らしい。こちらの問いにも「特にない」とはっきり答えていた。

 愛音の元にもが現れたかと危惧したが、どうやら杞憂で済んだみたいだ。それなら、わざわざ伝えるまでもない。彼女の日常を壊すなんてもっての外である。

 だから、沈黙を貫く方が吉と判断した。

 旧友の一人、川縁倫太郎が死んだなんて、言えるはずがない。


 事の発端は四ヶ月前だ。

 一月初旬の三連休にて八手ヶ丘の実家に帰省した。両親から「成人式に出席しろ」というお達しがあったからだ。行事を重視する地域故なのだが、意欲は微塵も湧かず億劫おっくうの極み。大学に進学して以来、地元を避けていたという後ろめたさもある。とはいえ、八手ヶ丘には別件の用事もある。ついでとばかりに渋々会場に足を運んだ。

 不愉快な市長の長話に耐え、式典が終わると同時に素早く離脱。寄り道せずに居酒屋へと向かった。


「よぉ、想護。随分ずいぶん遅かったじゃねぇか」

「そーだよ。早く始めたかったんだからぁ」


 店の奥、掘り炬燵こたつの席より手を振るのは、旧友の倫太郎と衣舞だ。天板の上には、既にコップが二つ仲良く並んでいる。お通しの品も腹の中に収まっているらしい。とっくに始めているじゃないか、とツッコミを入れたくなった。


「遅いも何も、終わってすぐ直で来たんだけど。っていうか、二人は成人式に出なかったのかよ」

雁首がんくび揃えて偉そうな野郎の話を聞くんだぜ。時間の無駄だしムカつくだけじゃん」

「そーそー」

「正論すぎて言い返せない」


 律儀に参加したのは俺だけらしい。

 倫太郎の言う通り、費用対効果と精神衛生を考慮すれば欠席しても良い式典だ。真面目な自分に半ば呆れながら畳に腰を下ろす。


「んじゃあ、オレ達八手ヶ丘メンバーの二十歳を祝して」

「かんぱーい」 

「待て待てちょっと待て。俺まだ何も頼んでないから」


 別件とは、懐かしき友との飲み会だった。

 発起人は倫太郎と衣舞だ。五人組の内地元に残った二人であり、何を隠そう恋人同士でもある。


「えぇと。確かお前ら、高校の時から付き合っているんだよな?」


 二人と顔を合わせるのは数年ぶりだ。

 中学校では別々のグループに属しており、進学先もそれぞれ全く違う道に。丁度ちょうどその時期、倫太郎と衣舞が恋仲になった、と風の噂で聞いたはずだ。


「正確に言うとな。一回別れてから、改めてりを戻したんだよ」

「そーそー。ちょっと喧嘩けんかしちゃってぇ、そこからしばらく男をとっかえひっかえ。でもぉ、やっぱ倫太郎が一番だなってなったの」

仲睦なかむつまじくて何よりだよ」

「あったりめぇよ。この幸せを逃してたまるかってんだ」


 近々結婚する予定なのだ、と倫太郎は上機嫌に宣言していた。

 彼の実家は果樹園を営んでおり、以前はよく桃のお裾分けを貰った。後継者不足が叫ばれる昨今、大変めでたい話じゃないか。酒を酌み交わしながらお互い未来を語り合う。


「やぁどうも、邪魔するよ」


 枝豆を食べ終えたくらいだろうか。

 居酒屋の戸が盛大に開け放たれ、寒風が鋭く店内を駆け巡った。お待ちかね、もう一人の参加者が重役出勤で到着だ。

 暖簾のれんを潜り抜け現れたるは、モデル然としたパンツスタイルの女性。細い手足もさることながら、銀に染められし短髪が否応なく周囲の視線を釘付けにする。田舎の居酒屋に不釣り合いな容姿だが、これで元住民なのだから驚く他ない。

 あまりに場違いな雰囲気に、倫太郎と衣舞は「どちら様?」と言いたげに首を傾げていた。無理もないだろう。俺も当初、彼女が誰なのか分からなかった。


「はっはっは。どうしたんだい、はとが豆鉄砲を食ったような顔して。ボクの溢れる魅力を前にノックアウト寸前ってところかな?」

「意味不明なこと言ってないで早く座れよ、深剣」


 その名を耳にして、倫太郎と衣舞は二人同時にぎょっとする。目を白黒ぱちくり、俺と銀髪の女を交互に凝視。そんな馬鹿な、あり得ない。原形を留めていないじゃないか。湧き上がる感想はそんなところだったのだろう。

 志場深剣。

 小学生だった頃の彼女は、男子よりも活発で生傷絶えない子どもだった。見た目も少年そのもので、健康的な日焼けが眩しいやんちゃな元気っ子。女子からの人気もダントツで、バレンタインデーには山ほどチョコレートを貰っていたはずだ。しかし、眼前にいるのは男装の麗人。中性的という共通点以外、丸っきり別物と化していた。

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