第五話 告白と夕焼け

 屋上に上がると、もう夕方と言っていい時間にも関わらず、まだ日は高かった。

 夏が近づいていることを感じながら、僕は後ろを振り返る。


 朝比奈は、何も言わずに黙ってついてきてくれていた。

 

「今日は、本当にすまなかったな。……少し、落ち着いたか?」

 僕は努めて、優しい声を出して話しかける。


「……大丈夫」

 短い返事ではあったが、そこには、以前のような他者を拒絶する冷たさではなく、彼女なりの優しさを感じて、僕は嬉しく思う。


 彼女の気遣いに答えるように、僕も前置きを少なくして、話し始める。

「突然の荒事でびっくりしただろう。……朝比奈には、俺がどういう生き方をこれまでしてきて、なんでこの学園にきたのかを、ちゃんと話してなかったよな」


「……うん」


「嫌でなければ、話させてほしい。長い話になるかもしれないけど……いいか?」 


「……私でいいの?」

「ああ、朝比奈は、『相棒』だから、ちゃんと、全部知っておいて欲しいんだ……」


 そう言って僕はゆっくりと話し始める——



「強いこと」が自分の「価値」



 そう思って、僕は育ってきた。


 早い時期に父を亡くし、母子家庭だった僕は、物心ついた時から、母の職場で過ごすことが日常となっていた。

 母の仕事は、少し特殊で、近所の在日米軍基地での、いわゆる「食堂のおばちゃん」だった。


 食堂は、いつも金属の食器がぶつかる音と、アメリカ英語のざらついた笑い声で満ちていた。

 その中で、僕は、厨房の片隅にある補助テーブルに、紙とクレヨンを広げて、いつも装甲車とか、戦闘機とか、兵士たちの似顔絵なんかを描いていた。


 最初は、誰も僕のことなんて気にしてなかった。

 でもある日、僕がいつものように食事をする兵士の顔を描いていたら、その人と目が合った。

 その兵士は、僕に近づき、絵を一瞥すると、「Hey, kid! You got talent!」と褒めてくれた。その日から僕は、「Little Artist “K“」と呼ばれ、みんなが僕の絵のモデルになってくれるようになった。



 その中でも、特に気にかけてくれたのが、トーマス・スチュアート軍曹、のちの僕の「師匠マスター」だ。

 無口で、筋肉の塊のような人だったけど、たまに笑うと、とても優しい目をしていた。


「お前の目は、戦場の兵士と同じだ。見るべきものをちゃんと見ている」


 そう言って、いつからか僕を「トレーニング」と称して、基地内に連れ出すようになった。


 普通の環境であれば、幼稚園に入園するくらいの年になった頃。

 母の都合で、基地に居続ける僕を不憫に思ったのだろう、マスターは、自分が休みの日(土曜の早朝が多かった)に、僕を訓練場の裏の倉庫に連れて行くようになった。


「これはMACP。Modern Army Combatives Programだ」


 彼が最初に教えてくれたのは、ただのパンチやキックではなかった。

 呼吸の仕方。立ち方。人と目を合わせる時の目線の合わせ方。

 何よりも、「なぜ戦うのか」を考えることだった。


「いいか、K。ナイフも素手も関係ない。大切なのは、『いつ使うか』と『なんのために使うか』だ」


 幼い僕には、何を言っているのかはさっぱりわからなかった。

 ただ、忙しい母に変わって、色々と教えてくれることが嬉しくて、一生懸命真似をした。

 彼が見せてくれる動きは、テレビで見るボクシングやレスリングとは似て非なるものだった。もっと静かで、早くて、怖かった。

 僕は無我夢中でそれを学ぼうとした。


 小学校に上がる頃には、MACPのインストラクターの資格を持つ、彼の兵士のファミリー向けのトレーニングプログラムにゲストとして参加させてもらえるようになっていた。


 トーマスが見込んでくれたように、僕には、格闘術の「才能」があったらしい。

 とある映画の影響を受けて、彼のことを『マスター』と半分ふざけて呼び始めた小学校高学年の頃には、僕は大人相手にも立ち回れるようなレベルに成長していた。


 ……そして、その頃から「この強さこそが自分の価値」と本気で思い始めるようになっていた。


 マスターは、そんな僕を悲しそうな目で時折見ていたが、多分、精神成長の過程と見ていたのだろう、それについては何も言わなかった。

 


 ——東堂の話をしよう。

 特殊な環境で育った僕だったが、地元の公立の小学校には通っていた。東堂は、その小学校にやってきた転校生だった。


 当時から見た目は悪くない男だったので、転校当初は人気者だった東堂だが、お同じく当時から、今みたいな性格だったので、徐々にクラスでも浮き始めていた。

「その話は、本当に僕にとって意味があるものなのかい?」とか言い出す輩と、友達になりたい小学生はいないだろう。


 一方で、僕は僕で、クラスでは、完全に浮いた存在だった。

 普段、大人と絡む機会が多く、常に「強さ」を求めていたような当時の僕には、どうしてもクラスメイトたちが子供に見えてしまっていた。

 逆にクラスメイトたちも、そんな僕の異質な雰囲気を察し、敬遠していた。


 僕はいつも、「早く放課後になって、基地でトレーニングがしたいな」と思いながら、小学校生活を送っていた。

 そんな僕に対して、東堂は何か親近感を感じたのか、妙に絡んでくるようになった。


 それが更に加速したのは、ある日、下校途中の公園で、東堂が上級生にいじめられているのを見てしまった時からであった。


 その時の僕は、東堂を助けようという気持ちは毛頭なく、未熟さ故に、自分の「力」が同学年にどれくらい通用するのかをただ試したいという気持ちで、そこに割って入った。


 思った以上にあっさりと上級生を「止めた」僕は、気分が高揚していたのだろう。

 その場で呆然と座り込む彼に対して、「お前、なんでやり返さないの?」と挑発した。


 ……翌日、登校してきた東堂は僕の席にやって来て一言、「僕には君と違ってやり返す『力』がない。だから、僕は常に観測側に立ち回るようにした」と告げた。


 その時は、全く意味がわからなかった(というか正直、今でもよくわからない)が、もしかしたら、その時の経験が原点になっているのかもしれない。

 だとしたら、今の喰えないアイツの性格を、僕自身で作ってしまったことになるので、あまり考えないようにしたい話ではあるが……。


 そして、その頃から東堂は、「君は『危険』だからね」と、どこか面白がる様子で、何かと僕に絡んでくるようになり、今に至る、というわけだ。



 ——そこから、またしばらく経った、小学校6年生の秋。

 マスター、ことトーマス軍曹の、米軍のローテーションによる本国帰還が決まった。

 父親代わりに僕に色々と教えてくれたマスターがいなくなってしまうのは、本当はとても寂しかったが、僕は強がって、そんなそぶりは微塵も見せないようにしていた。


 最後の訓練の日、唐突に彼は僕の腹を思いっきり殴ってきた。

予想もしなかった行為への驚きと、純粋な痛みでうずくまる僕に、マスターは声をかけた。


 「なあ、K。痛いだろ?

 今まで、俺はお前に「守る」ための技術を教えてきたつもりだ。だが、今やお前はこんな痛みを与えられる存在にまで育っちまった。

 

 その「痛み」を如何に他人に与えられずに済むか、これからはそれを考え続けろ。

 

 お前なら、きっとできる。その時にお前はお前の本当の『価値』に気づくはずだ」

 

 当時小学生だった僕には、やっぱりその言葉の意味はよくわからなかった。

 ただとにかく、彼がいなくなったことで、どこか心にぽっかりと穴が空いたような気がしていた。



 ——マスターがいなくなってしまってから更に半年後、僕は中学校に進学していた。


 ちょうどその頃には、母も転職し、普通の公立小学校の給食センターで勤務するようになったこともあり、僕が基地に行くことはめっきり減っていた。


 心に穴が空いたような感覚はずっと続いていたが、身体は自然にトレーニングの動きを繰り返しており、朝の公園で、基礎、シャドー、フットワーク練習を行うことは、僕の日課となっていた。

 (ちなみに、この日課は今も続けていて、部室のサンドバックは、実は東堂の得体のしれないルートを使い、僕が無理やり設置したものだ)


 ある日、トレーニングを終えると、一人の中学生が僕に声をかけてきた。


「なあ、君の拳の構えって、もしかしてXX会館系?」

 突然話しかけられて驚いた僕は思わず、「似てるのかもしれないが、違う。軍隊格闘術だ」と答えてしまった。


(しまった、マニアックすぎて絶対伝わってないよな……)と思う間もなく、中学生が目を輝かせて、被せるように続けてきた。


「マジで!? それ、めっちゃ強いやつだよね?

 有名なアクション映画俳優もガチでやっていたってやつ。

 そんなのやっている中学生なんて初めて見たよ。

 しかも、さっきのシャドー見た限りだと、君、その世界でも相当強いんじゃない?

 あ、僕、ボクシング部なんだけどさ。正直、僕自身は鈍臭くて、あまり強くないんだけど……『見る』ことは好きだし、自信あるんだよね!」


 いきなりハイテンションで捲し立てられて、動揺してしまい、その時の僕は「……あ、ああ」としか答えることが出来なかった。


 その中学生、立川陽太たちかわようたは、偶然にも僕と同じ中学で、同学年だった。


 それを知った彼は、それから、しょっちゅう僕の席を訪れ、格闘技の話を一方的にしゃべるようになっていた。

 これには、あの東堂ですら、「あの間宮に、危険を省みずにひたすら突っ込んでいく勇気、立川君は只者じゃないね」と褒めていた(?)くらいだった。


 陽太は、見た目はどこにでもいるような地味な男子生徒だった。眼鏡をかけて、背も低く、運動神経が良さそうには見えない。

 実際、一度体育の合同授業で一緒になった時は、50M走で、文化系の生徒に完敗するのを見てしまったくらいだった。


 ただ、とにかく「研究熱心」で、「負けず嫌い」だった。


 最初は、鬱陶しいと思っていた彼の話だったが、「格闘術の話を理解出来る人間」が周りにいなかった僕は、いつしか彼との会話を楽しむようになっていた。

 マスターがいなくなり、たった一人で格闘術を磨いていた僕だったが、彼は毎朝の日課のトレーニングにもわざわざやってきて、客観的な目線でアドバイスをくれるようにもなっていた。


 いつしか僕らは、「陽太」、「彗」と呼び合う仲になっていた。


 そして、そんな陽太が、最後に必ず言うセリフが「彗も一度ボクシング部にきてみなよ」だった。


 正直、あまり興味はなかったが、僕も心のどこかで一人でトレーニングすることの寂しさや、焦りがあったのだろう。

 気がつけば、陽太の誘い文句に乗り、体験入部という形で、ボクシング部に顔を出していた。


 同じ格闘技であれば、なんとかなるだろうと軽く考えていた僕だったが、スパーリングに誘われ、構えた瞬間に僕は理解した。

 MACPとボクシングはまるで違う。相手に「倒されない」ための構えと「倒す」ための構えでは、視点も、呼吸も、距離も全て異なる。


 けれど、それが面白かった。まるで新しい言語を学ぶように、僕はボクシングのロジックに惹かれていった。

 僕はボクシング部に正式入部し、そのトレーニングに没頭していった。



 その甲斐あってか、数週間後、僕はスパーリングの中で、その部でエースとされていた上級生を、いきなりあっさりと倒してしまう。


 もちろん、競技としての公平性を保つために、MACP的な動きは意図的に封じていた。けれど、それでもたった数ヶ月の練習で勝ててしまう程、僕の身体は「戦うこと」に馴染んでいた、ということなのだろう。


 その日、陽太が言っていた。

「彗はやっぱりすごいな……。

 でも、僕は、例えスパーリングや試合で勝てなかったとしても、『次勝つために何をやれるか』を考えるのが好きなんだ。

 だから、強い君とこれからも一緒にやれたら、僕ももっと上手くなれるような気がして、嬉しいよ」


 その言葉が、妙に心に残った。

 マスターとはまた違う、また僕の『強さ』を勝手に畏怖してくる同級生や先輩たちとも全く違う、「対等な立場からの承認」だったからもしれない。



 ……ただ、先輩に勝ってしまったことは、ボクシング部の空気を変えてしまっていたようだった。


 それ以降、部活で僕に話しかけてくるのは、陽太だけとなり、他の部員たちは僕を遠巻きに見ているような場面が多くなっていた。


 僕はあくまで「競技としてのボクシング」を学びにきていたつもりだったが、周囲はそうは見えなかったらしい。実力を持つ新入りは、しばしば「煙たがれる」存在になる。

 特にそれが、上下関係を重視する体育会系の世界では尚更のようだった。


 僕自身に対しての直接的な嫌がらせはなかった。

 ただ、練習中に「偶然」強く当てられたり、ミット打ちやスパーリングの順番を飛ばされたりするような場面が、徐々に増えていった。


 東堂からも、「なんか、君、ボクシング部で目をつけられているらしいよ。

 顧問が厳しい部だから、そんな変なことにはならないと思うけど、ほどほどにしとくのも、処世術だよ。

 まあ、どちらかというと僕は、危険極まりない君を、敵視しているボクシング部面々の方が逆に心配だが……」という忠告を受けた。


 東堂の言う通り、幸か不幸か、顧問が「実力重視」のスタンスだったことと、純粋に自分の強さだけを求めていた当時の僕が、そのあたりの空気に鈍かったこともあり、そこから数ヶ月は表面上は何も起こらずに、過ぎていった。


 ただ、陽太がどこか元気がなくなっていった。

 僕が理由を聞いても、彼は渡って首を振るだけだった。


「僕は大丈夫。自分でなんとかするから。彗はとにかく僕のことを信じてくれよ。それが、僕にとっての支えになる」

 彼はそう言って、いつも通り練習に打ち込んでいた。


 けれど、サンドバックを打つ拳に、力が入っていないことはずっと気になっていた。

 今思えば、この時が、初めて「僕が他人を気にした」瞬間だったのかもしれない。


 そんなある日、陽太が時間通り部活に来ない日があった。

 探しに出た僕は、体育館の裏から陽太の声がするのに気づく。


 見ると、陽太が二人の上級生に囲まれ、無理やりバンテージをほどかれ、屈辱的な言葉を浴びせられていた。「才能ない」、「雑魚」、「間宮のペット」、「辞めちまえ」……僕が知っている陽太に、絶対言ってはいけないワードが所々聞こえた。


 それらを聞いた瞬間、僕は気がつくと、先輩たちの前に立っていた。


 陽太との友情、努力する彼への尊敬の念、僕自身に対しての陰湿な嫌がらせ、そして、何より、僕のせいでこの事態を引き起こしているという悔恨の情が、全部ごちゃ混ぜになり、頭の中が真っ白になっていた。



 ——そこからの記憶は断片的だ。


 何か叫んでいる先輩の表情、拳が当たる感触。悲鳴。地面に沈む音。止まらない呼吸。高鳴る鼓動……。


『その痛みをいかに他人に与えられずにすむか、それを考え続けろ』

 マスターが最後に教えてくれた教えは、どこか遠くにかき消えていた。



 気がつけば、二人の上級生は地面に倒れて動けなくなっていた。

 陽太は、その場に崩れ落ちたまま、僕を見ていた。


「……なんで、なんで『手を出した』んだよ」


 その声には怒りも、感謝も込められてなかった。


 ただ、言いようのない「痛み」だけが滲んでいた。


 

 ——この一件で、僕はボクシング部からの退部と、出席停止処分を受けた。

 僕も陽太も、事件の背景については何も語らず、客観的ないじめの証拠なかったことから、結果的には「間宮彗が先輩たちに手を出した」、という事実だけが残り、それに対しての処分だった。


 正直、ボクシングにも中学校にも、特に未練はなかった僕にとっては、あまり堪えるようなことではなかった。

 

 ただ、陽太の最後の言葉だけが、ずっと心に引っかかっていた。


 数日後、陽太が引きこもっていた僕の家にやってきた。両親には本当のことを話し、騒ぎにはしない形で転校することになったことを、僕に告げる。

 

「僕は、彗とは対等な友達でいたかった。だから、今回のことだって、何とか自分で切り抜けたかった。


 だから、彗には『大丈夫』だって言ったんだよ……。そこが僕のちっぽけなプライドの最後の砦だった。


 けど、彗はそんな僕を『信じて』くれなかった。


 ねえ、彗にとって僕ってなんだったのかな?あいつらが言うように『ペット』だったの?」


 僕は、そこで初めて、本当の意味での陽太の「痛み」を理解した。

 バンテージも巻かずに先輩たちを殴った拳も、まだ痛みが残っていたが、それとは比較にならないような心の痛みを感じた。


「……本当にすまなかった」

 ただ、そう繰り返すしかない僕を、陽太は悲しそうに見つめる。


 そして、陽太は僕の前からいなくなった。



 ——僕は、そこまで話したところで一度話を止める。


 徐々に日は傾いてきたが、まだまだ周囲は明るかった。


「……間宮は、その頃から誰かを守ろうとしてきたんだね」

 朝比奈がそう言ってくれる。


「いや、俺が守ったのは、肉体というかそういう表面的なものだけで、結局、陽太の心は守れなかったんだと思ってる……」

 僕は続ける。陽太のことを思い出すと、どうしても胸が苦しくなる。


「その後、出席停止が解けても、俺は学校に行く気になれなかった。自分にとっての『強さ』だとか、自分の『価値』だとかが、よくわからなくなってしまったんだ。


 ……母さんとかも、心配はしてくれていたんだと思うんだけど、その時の俺にはそんなことに気づく余裕すらなかった。

 そんな自暴自棄になりかけていた俺に新しい価値観を与えてくれたのが、叔父さんだったんだよ……」



 ——父親がいない僕のことを、叔父の間宮健二郎はずっと気にかけてくれていた。


 母の弟だった彼は、軍隊や格闘術といった物騒な話題とは真逆の、「経営コンサルタント」という仕事をしていた。

 母の家系はどちらかというと堅実で、祖父母も普通の地方公務員、母も働いている場所は特殊ではあったが、調理師だ。

 そんな中で叔父だけは昔から少し「浮いていた」らしい。大学を出て、すぐに大手証券会社に入り、その後も外資、そして総合系のコンサルファームへ。今はM&Aを専門とする、少数精鋭のファームに勤めていた。


 経歴を書くと、冷酷でドライなビジネスマンを想像するかもしれない。だけど叔父は人当たりもよく、とても優しい雰囲気で、僕の話も子供扱いせずによく聞いてくれた。

 (叔父曰く、本物の経営コンサルはコミュニケーションスキルが重要なので、『いかにも』な雰囲気なのは、二流らしい)


 トレーニングもせずに、家でただぼんやりとしていた僕を、ある日叔父がファミレスに連れ出した。


「彗も色々あったんだな。姉さんから聞いたよ。

 でも、俺はお前の父ちゃんじゃないから、はっきり言うぞ。——甘えんな。


 お前は限られた手段の中での『勝ち方』に失敗しただけだ。

 世の中にはな、お前みたいにを、ひたすら考え続けている奴らがいっぱいいるんだよ。


 しかも、そいつらは、一人で悩んだりしない。

 お互い協力しあって、限られた時間で最善の結果を出すんだ」


 『正面から戦って勝つ以外の勝ち方』

 そのワードに、僕はぴくりと反応し、そこで初めて叔父の顔を見る。


 よく見たら、叔父は何かの本を持ってきていた。企業価値、資本コスト、ターゲットリスト、スタンドアロン、シナジー、PMI……、見たことも聞いたこともない言葉がその本には書かれていた。


「多分お前はさ、今回の件で、自分の「力」が何か、「価値」が何かってことに、迷子になっているだと思う。


 そりゃそうだ。ちゃんと面倒を見てなかった姉さんや俺も悪いんだが、戦うことや、強くなることばっかり考えて大きくなったんだから。


 だからな、お前がもし「他の戦い方」に興味があるんだったら、こう言う世界もあるんだってことを教えてやろうと思ってな」


 そう言いながら、叔父は別の資料、パンフレットのようなものを鞄から取り出した。


「成果が未来を作る」

 表紙には、そんな胡散臭いキャッチコピーが踊っていた。


「とはいえ、お前は『強い』。そして、それは間違いなくお前の『価値』だ。


 ただ、それはやっぱり分かり易すぎる。

 普通の学校だと、お前は、その力や価値に絡め取られて、また戻ってきてしまうんじゃないかと思うんだよ。


 でも、それは今のお前の救いにはならない、そうだろ?」


 僕は、強く頷いた。

 叔父の話を聞きながら少しづつ、心が熱くなるのを感じた。


「どうやら、この学園は、徹底的な成果主義の下、『価値』を突き詰めていくところみたいなんだ。


 どうだ? もしかしたら、ここで学べば、お前の『価値』をもう一度自分で見つけることができるかもしれないぞ?

 なんだか、面白そうじゃないか??」

 叔父は常々、仕事でもプライベートでも、「面白いと思えることが一番大事」と言っているような人だった。


「……叔父さん、色々とありがとう。

 よくわからないけど、久しぶりに何か面白そうって少し思えた。

 まずは、そのパンフレットと本を読んでみるよ」


 叔父はニヤリと笑う。

「よっし!

 ただ、チャレンジするとなったら、お前みたいな『脳筋』が、すぐに『成果』を出せるほど甘い世界じゃないぞ。

 ビジネスとか金融の知識だけじゃない、人心掌握やマネジメントスキル、カウンセリングスキルなんかも必要になってくる。


 お前がやっていたMACPとある意味同じだよ。ビジネスこそ、本当の意味での「総合格闘技」だと、俺は思っている。

 事前にちゃんと勉強しておけよ。俺も暇な時に色々と教えてやるからさ」


 叔父の声が、深夜のざわついたファミレスの中で、妙にはっきりと聞こえた——



「……これが、俺がこの学園にきた理由だ」

 あたりはすっかり夕日に包まれていた。


「その後、俺は、叔父さんの下でビジネスの世界について勉強した。俺はこの学園で四つの目標、というか誓いを立てている。

 『自分の価値を見つけること』

 『他人の価値を常に探すこと』

 『人を信じること』

 そして、『力を使わないこと』

 どうしてか、はもう言う必要ないよな?」


 朝比奈はコックリと頷いた後、話し始める。

「……ありがとう。私ね、なんで間宮はそんなに人を、私を、信じられるんだろう?ってずっと思ってた。


 多分、自分が「信じたい」からじゃないかって。


 それはある意味当たっていたんだと思うけど、私が思っていたよりも、ずっとずっと深いところからの、間宮の『心の叫び』だったんだね」


「……そうだな」

 朝比奈に全て話して、妙にすっきりしている自分がいた。だけど、と今日の出来事を思い出す。

「だから、さっき俺は、その誓いの一つを破っちまったんだよ。自分が情けなくなる」


「……でも、私と灯を助けてくれた。

 もちろん、間宮の言うとおり、あなたの『力』は最後の手段にするべきだと、私も思う。

 でも、多分この学園、ううん、社会は、きっとそんなに優しいだけの世界じゃない。

 その時の為に『守るための力』は最後の手段としては合ってもいいと思う。


 ……だって、もし今日、彗がその力を使わないで、私と灯が酷い目に合っていたら、絶対後悔していたでしょう?」

 朝比奈が、俺の拳を見ながら話す。


「……それはもちろん! でも……」

 まだウダウダと言う僕に、朝比奈が言う。


「わかった。そしたら、もし間宮がその力を使って、後悔することがあったら、私がその罪を半分背負ってあげる!」

 朝比奈の声とは思えない程の大きな声に、驚く。

 

「だって、私たちは、『バディ』でしょ?」


 満面の笑みでそう言う朝比奈を、後ろから真っ赤な夕日の光が照らす。


 ……そういえば、朝比奈は、「共鳴視」では、自分の相性は見えないと言っていた。


 ただ、その時の僕らは、確かに赤い光に包まれて、「共鳴」していた。


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