第四話 チカラと力
急いで、アドバイザー部の部室に向かうと、ドアの前に本条が不安そうな顔で佇んでいた。
「間宮君っ! やっぱりなんかおかしいよ。変な男の人たちの笑い声と、何かを叩くような音が聞こえてて……」
扉を開けようとすると、彼女の言う通り鍵がかかっている。
僕は再度の理性を振り絞って、本条と東堂に告げる。
「本条、もしかしたら危ないことになるかもしれないから、下がっていて。あと、東堂、悪いんだが、久遠に連絡して、急いでここに来てもらえるように伝えてもらっていいか?」
流石の東堂も、茶化すこともせずに黙って頷き、電話をかけ始める。
それを横目に僕は呼吸を整える。
……一度、鼻から息を吸い、腹に空気を落とす。
内臓が張る寸前まで吸い上げ、次の瞬間、口から吐き切る。
—— 吸、二秒、止、四秒。吐、六秒。
これは米陸軍式、
闘争の瞬間に備え、交感神経を研ぎ澄ますための、兵士の技術。
自律神経が静かに整う。視界が澄み、音が近づく。心の中で煮えたぎっている不安や後悔の気持ちを、無理やり意識の外に追いやる。
僕は、低く構え、タックルのように一歩目を踏み込み、脚の内転力と重心移動を合わせ、一気にドアを蹴りつける。
——大きな音がして、扉が弾けるように外れた。
怒りで頭が真っ白になりそうなのをなんとか抑え、僕は部屋の様子を観察し、事態を把握しようとする。
中には知らない男が3人いた。
髪を乱暴に引っ張られ、泣いている朝比奈、ひざまづいている灯。
……それを見た瞬間、状況把握など、もはやどうでもいいと判断する。
「おおっと、王子様の登場かな〜。格好いいね〜」
男たちは最初はドアが蹴破られたことに、最初は驚いたようだったが、元々ドアが古くて壊れかけていた、と判断したのだろう、すぐにヘラついた雰囲気に戻り、その内の一人が僕に話しかけてくる。
おそらく、このような「暴力的な状況」に慣れているのだろう、どことなく余裕も感じられた。
一方で、そこは彼らもそれなりに心得がある様子だ。
僕の佇まいと、古いとは言え、ドアを蹴破るために必要であっただろう、僕の膂力を警戒して、彼らは朝比奈と灯から離れ、散らばるように間隔を空けながら、僕と対峙する。
僕は、その様子を見ながら、一歩斜め後ろに下がり、入り口ではなく、壁を背にするようにする。
ドアの外には東堂や本条がいるので、大丈夫だとは思うが、相手の増援による背後からの攻撃リスクを消すための、位置取りだった。
……改めて、男たちの風貌を観察する。
いかにも「不良」という風貌だった。三年だろうか?体格と構えから察するに、おそらくはフルコンあたりの空手の経験者と思われる。
「えっと、アドバイザー部の方ですかね?僕らはアカルン、霧島さんに話を聞きたくてここに来ただけなんですが……」
何も語らない僕に痺れを切らして、男の一人が僕に語りかける。
この状況を見て「ただ話に来ただけ」と思ってもらえると思うはずもないのは、男もわかっているだろう。
おそらく、挑発して、僕から冷静さを奪おうをしている。
その男は、一番後ろに控えており、男たちのリーダー格のようだった。薄い笑みを浮かべているものの、おそらくは「捕食者」の本能で、僕のことを警戒している。
あわよくば、他の二人を盾にでき、かつ状況によっては朝比奈と灯を「人質」に出来るような立ち位置を保っているあたり、「場慣れ」に伴う冷静さが感じられた。
僕がその男に、怒りの言葉をぶつけようとしたのと同時に、最初に声を発したチャラついた雰囲気の男が、僕に近づく。
「王子様〜。悪いことを言わないから、引っ込んでなって。この子たちはこれから俺らと『お楽しみ』なんだからさ」
そう言って、そいつが肩を押してきた瞬間、僕は一歩踏み込んだ。
手首を逆手に取って、肩と肘を斜めに落とす。僕と同じような体格の男だったが、まるで子供のように地面に吸い込まれた。
「……知ってたか?関節を固める必要もない。骨の並びをズラすだけで、人は動けなくなる」
感情は見せずに、あえて、僕は男たちに語る。彼らの戦意喪失が目的だった。
ただ、その期待も虚しく、次の瞬間、別の男が背後から回り込もうとしてくる。
僕は、倒れた男の襟を掴んだまま、回転するように動く。転倒した相手を盾にする動きだった。
驚いて足を止めた相手の懐に、回し蹴りではなく、低く抑えたミドルキックを放つ。痛みで呼吸を止めるだけの威力。技が目的ではない、効果が目的だ。
僕が使っている格闘術は、通称、
銃を奪われた兵士が、素手で任務を遂行するために磨かれた体系。
打撃と投げ、関節技と締め技。柔術、レスリング、ムエタイといった、様々な格闘技を取り込みながら、徹底的に「即効性」を重視し、構成されている。
正義も名誉も関係ない。重要なのは、敵を「壊す前に止める」こと。
息を吸い、吐く。
MACP独自の呼吸——「戦闘呼吸」が、油断するとすぐに我を忘れてしまいそうになるこの状況で、僕の思考を無音に染めていく。
そうして、瞬く間に、二人の「力」を無効化した僕に、最後の一人の浮ついた笑みが剥がれ落ちる。少しの間があく。おそらく、どうするかを思案していたのだろう。
だが、その男は再び笑みを浮かべると、ゆっくりとポケットからナイフを取り出した。
僕は、その男の目線を見据える。その握りの高さ、おそらく実践で使ったことは殆どないのだろう、刺してくる気配を感じなかった。ただの威嚇だ。
……ならば、先に手首を制する。
僕は意図的に、朝比奈たちの方に視線を向ける。つられて、相手の視線がブレた瞬間、一気に相手の間合いに飛び込む——
軸足の踏み込みと同時に、手首へのアームラップ。
「……そのまま、振り抜けば、肘が逆に折れるぞ」
言葉を添えて、僕は再度相手の目を見据える。
手の力が抜けた。ナイフが落ちる——。
……静寂。三人は倒れた状態のまま、誰も動こうとしない。
僕はゆっくりと姿勢を戻した。
実践は久しぶりだったが、トレーニングの日課は続けていたので、息は乱れていない。
「制圧は呼吸から始まる」——そんなマスターの言葉を思い出しながら、僕は構えを解く。
……昇っていた血が、ゆっくりと下がっていくのを感じると同時に、僕には後悔の念が湧き上がってきた。
「これからは、この『力』に頼らずに、自分の価値を探しにいく」
そう叔父さんにした決意を、こんな形で反故にしてしまった……。
そう悔やむ気持ちと、朝比奈たちをギリギリのところでは守れた安堵感が入り混じり、なんとも言えない気持ちになっていた。
——それから程なくして、東堂から連絡を受けた久遠が、生徒会直轄の、警備チーム(通称警備部、これも立派な部活だ)を引き連れてあらわれた。
流石の彼女も、あまりの惨状に言葉を失っていた。
「……彼らは、一応この学園の生徒だけど、退学寸前の問題児で、生徒会でも粛清対象にすべきとされていた者たちなの。
その意味だと、それを放置して、こんな事態を引き起こしたのは、生徒会のミスね。そこは、本当にごめんなさい。
今回の件、完全な制度違反になるので、彼らの身柄は生徒会にて預かるわ。
安心して。少なくとも退学か、場合によってはそれに追加して刑事罰か。
二度とこんなことが起きないような厳正な処分が下るから。
といっても、間宮君自身はその力があれば、関係ないのかもしれないけど……」
警備チームが男たちを連行するのを監視しながら、久遠がそう僕に声をかける。
僕はその言葉を聞き流しながら、朝比奈と灯の方に向かう。二人とも、混乱と恐怖でぐちゃぐちゃになっていた中で、突然目の前で始まった「制圧」に完全に頭がついていっていない様子で、呆然と椅子に座っていた。
「大丈夫だったか? すまない、俺がもっとこういったリスクに対策を打っておけばよかった」
「……私は大丈夫。結果としては何もされていないわ。助けに来てくれてありがとう」
僕が突然、「力」を振るったことに対して、色々と思うところはあるだろうに、朝比奈はそこには触れずに、気丈に応えてくれる。
改めて、朝比奈の目を見る。
彼女の「チカラ」に対して、自分の「力」はなんて粗野で虚しいんだろう。
人や組織の間の未来を光として感じる、朝比奈の「チカラ」と比べてしまうと、僕の「力」はとても後ろ向きで「価値」がないもののように感じた。
灯の方は、本条がすぐに駆け寄っていたので、今度はそちらの方を見る。
よほど怖い思いをしたのあろう、灯は本条に抱きついて泣きじゃくっていた。
本条は、僕と目が会うと、ビクッと身を縮こませ、目を伏せた。
……おそらく、普段、暴力と対極のところにいる本条にとって、いきなり「力」を見せた僕のことは、理由はどうであれ、恐れの対象となってしまったのだろう。
残念だが、そういった反応には慣れていた。
僕は努めて明るく、声をかける。
「灯もごめんな。今日はそれどころじゃないと思うから、これからどうするかについては、また話そう。
本条、悪いんだけど、頼めるか?」
本条は目は伏せたままだったが、しっかりと頷いてくれた。
僕は、もう一度朝比奈の方を向いて話す。
「……朝比奈、こんな時に本当にすまない。落ち着いたら、俺の話を聞いてほしいんだ。後で、一緒に屋上に行かないか?」
朝比奈も僕の決意を察したのだろう、しっかりと僕の目を見て、「……わかったわ」とだけ答えてくれる。
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