第2話
──放課後。
教室には誰も残っていない。クラスメートたちは、部活にバイトに遊びにと出ていった。
私はというと、教室を出て行こうとすると、愛理に捕まってしまって動けないでいた。私は話したくはないのに、愛理は面白がっている。
そんな愛理に負けて、私は教室に残っていた。
ガラッ!
教室の扉が開くと、そこに倉沢が立っていた。
「あれ。清水もいる」
優しい目をして笑っていた。
「は~い!愛理ちゃんも一緒だよ~ん」
とフザけてる。
倉沢は一旦、部活に顔を出して来たのか、ユニフォーム姿だった。
「倉沢、部活やってたんだぁ」
愛理がそう言うと、また優しい目で笑った。
「サッカー部だよ。1年の中で唯一のレギュラーだよ」
とVサイン。
サッカー部。
博くんと同じ……。
この前、レギュラー発表があったみたいで、1年の中で唯一のレギュラーに選ばれたって言ってた。
「瑠璃?」
愛理は私の様子に気付いて、顔を覗き込む。そんな私を見て、倉沢が言った。
「白井って、たまにそういう顔をするよな」
その言葉に私はびっくりした。
「そういう顔って…」
「だから、遠くを見てるような、寂しい顔っていうかさ。今にも消えてしまいそうだ」
そんなことを言われて、私はキョトンとした顔になってしまっている。
「倉沢、よく瑠璃の事、見てるね~」
面白がってる愛理は、倉沢にそう言っていた。愛理の言葉に倉沢は、真っ赤な顔をした。
「し、清水!な、何を言ってるんだよ!」
明らかに動揺していた。
その様子を見て、いくら鈍感な私でも気付いてしまった。
私、倉沢に好意を持たれてる。
そう確信してしまった。でも私は、倉沢の気持ちには答えられない。愛理も分かっているんだろうけど、それを無視して倉沢をからかっている。
「へぇ…。倉沢って瑠璃が好きなんだぁ!」
教室に愛理の声が響いた。それが余計に恥ずかしさを増したのか、倉沢は更に真っ赤な顔をした。
「倉沢ってかわいい~」
なんて事を言うもんだから、倉沢がますます真っ赤になっていた。そしてチラッと私を見た。
その視線に気付いて、私はため息を吐いた。そして私は立ち上がり、カバンを持って教室を出て行こうとする。
「瑠璃」
「白井。どこ行くの?」
ふたりに呼び止められて振り返る。
「帰る」
ひとこと、そう言って教室を出て行く。
愛理の考えていることが分からない。私と倉沢を、どうにかしようとでも思っているんだろうか。
あの子の気まぐれには困った。頭を抱えて、下駄箱まで歩く。誰もいない廊下をひとり歩いていると、寂しい気持ちになる。
あの日のことを思い出す。
転校が決まったあの日。
家に帰りたくなくて、ひとり教室に残っていた日。夕陽が教室に射し込んで来て、窓からグラウンドを見ていた。
でも、ずっとそうしているわけにはいかなくて、教室を出ると冷たい空気が肌を襲った。
あの日まだ9月だった。
夏から秋の空気に変わっていった頃だった。あの日の寂しさを思い出してしまった。
「ふぅ…」
私、この学校にいてもいいのかな?そう思ってしまうくらい、意味が分からない状態になっていた。
あの倉沢のことも。
愛理のことも。
先輩たちのことも、どうでもいいような気がして。
ましてや、クラスメートのくだらない争いも。
すべて。
私には博くんがいる。
そのことだけで、充分だった。
「会いたいな…」
なんとなく。
そう思ってしまった。
博くんは最近、レギュラーになれたから、部活が忙しくてなかなか会う機会が少なくなっていた。
それが寂しさを引き起こしているのかもしれない。
「……電話くらい、いいよね?」
きっとまだ部活をしているかもしれない。
でも。
声が聞きたかった。
ただ、それだけで良かった。
なのに……。
私が聞きたかった声は聞くことは出来なくて、代わりに聞こえてきたのは、聞きたくもない声だった。
「はい」
電話の向こうで聞こえた声。歩きながら、博くんのスマホに電話をした筈。
間違えたワケじゃない。なのに、聞こえてきた声は女の声。
「もしも~し!誰~」
スマホの画面を見ると、私だって分かるのにそう聞いてくる声。
「悪戯ならやめてよね~」
その声には聞き覚えがある。
繭子だ。
「…この携帯、博くんのだよね?なんで?」
勇気を振り絞って、そう言った。その言葉を聞いて、繭子はふふっと笑った。
「そうよ。博ね~、今、練習に夢中になってるのよ。あんたのことなんかよりも、サッカーに夢中なのよ。諦めた方がいいわよ」
その言葉が私を地獄に落としていく。その後の言葉は、もう私の耳に入らなかった。
何を言ったのか分からなかった。気付いたら、電話は切れてスマホを握りしめていた。スマホを握りしめたまま、私はその場に立ち尽くしていた。宮下先輩に声をかけられるまで、その場に立っていた。
「瑠璃」
振り返ると、そこには宮下先輩が優しい笑顔を向けていた。
「どうした?」
私は何も言えず、ただ首を横に振るだけだった。
「何もねーワケ、ねーだろ」
そう言って、私の頬に触れる。そして私の目から溢れ落ちる、涙を拭ってくれた。
私は自分でも知らないうちに、泣いていたのだ。その事実に気付くまで、時間が経っていたんだ。
「泣いてるのに、何もねー筈はねぇ」
もう一度そう言うと、先輩は私の頭にポンと手を置いた。
「ほんとはお前を抱きしめてぇ…。けど、それは俺の役目じゃねーよな」
優しく頭を撫でると、私の手を掴んだ。
「遊びに行こう!気分が落ちてる時はパ~と遊びに行くのが一番!」
私の返事を待たずに、先輩は私を連れ出して行く。
私は先輩のその性格に救われた。
☀️ ☀️ ☀️ ☀️ ☀️
学校から少し離れた場所に、ゲーセンがある。そのゲーセンに私の手を掴んだまま、入って行く先輩。実はゲームセンターなんて、行った事がない。それを先輩に言うと、「マジで?」と驚いた顔してみせた。
先輩とふたりで、車のレースのやつをやった。初めてやるものだから、どうやっていいのか分からなかった。
「よし。じゃ次はあれやろう!」
と、また私を引っ張って行く。その先輩に、私は安心してしまって思わず笑ってしまった。
笑った私を見て、宮下先輩が言った。
「瑠璃には笑顔が一番だよ」
その言葉に、私は泣きそうになってしまった。
「瑠璃。俺は瑠璃の笑った顔に惚れたんだ。お前の笑顔は俺に元気をくれる。お前が笑ってくれてないと、俺は困るんだよ」
そう言ってくれるのは、先輩くらいだよ。博くんでさえ、そんなこと言ってはくれない。そういうことを言う人じゃないから、仕方ないけどね。
恋をすると苦しい。
恋をするとせつない。
恋をすると欲張りになる。
それはみんな同じ。ただ傍にいたいだけじゃ物足りない。
もっと深く。
もっと一緒に。
そう思うようになる。
だからあんなことを言われただけで、ほんの少し離れてるだけで、心配になってしまう。
真由美先輩は、もっと自信を持ちなさいと言った。でもその自信もどこかへ飛んでいってしまうくらい、不安で仕方なかった。
いつも傍にいたい。
ただそれだけなのに。
人は恋をすると欲張りになる。
ねぇ。
今、こうしてる間、君はどうしてる?
ねぇ。
今、私が他の違う人と一緒に遊んでいるって分かってる?
そんなことを君に言っても、博くんはただ笑うだけだよね。博くんは私を束縛したりしない。誰かと一緒に遊びに行きたいなら、行ってきてもいいよと言うだろう。
そんな優しさを持った人だもの。
「瑠璃」
顔を覗き込んできた、宮下先輩。
「大丈夫か?」
その笑顔に私は、笑顔を作って答えたけど、やっぱり先輩には分かってるみたいだ。
「彼となんかあった?」
「あ…」
ゲーセンの中を歩き回って、疲れていた私。先輩が缶ジュースを手渡してくれた。
「ありがと。先輩…」
「話してごらん。もう、お前の彼のこと、悪く言わないからさ」
先輩は気にしていてくれた。前、博くんのことを悪く言ったこと。そういう優しさがこの人にはある。ずっと気にしていて、それを謝るきっかけを待っていたんだろうか。ずっとその話を避けていたように思える。
学校で会っても、そのことを話すことはなくて。
いつもくだらない話をして、みんなを笑わせていたから。
「大丈夫…です」
そう答えるけど、本当は大丈夫じゃない。そのことに先輩は気付いている。だけど先輩に言っちゃダメだって、思っていた。
なのに…。
私の顔からは笑顔が消え、代わりに大粒の涙が溢れていた。涙を流す私を、困った顔で見ている先輩。
周りからは白い目で見られてる。
先輩に申し訳ないと思うけど、溢れる涙をどうすることも出来ないでいた。
「……っ!」
ふいに、抱き寄せられていた。涙を隠すように、先輩は私を抱きしめてくれていた。
先輩の暖かな体温が、とても安心して落ち着いていく。背中に回された手は、優しく摩ってくれていて。
そのリズムが、私に落ち着きを取り戻していったんだと思う。
暫く、そのまま泣いて。
そして涙が止まった頃、先輩は私に言った。
「もう、大丈夫…?」
「……はい」
小声でそう答えると、私は顔を上げた。きっと目は真っ赤になっているだろう。
「さ。帰ろうか」
泣いた理由も聞かずに私の手を取り、ゲーセンを出て行く。
そしてバス停まで歩いて行った。
「先輩…」
隣にいる先輩を見上げて、言った。
「なにも…、聞かないんですね」
「話したくないなら話さなくていいよ。無理に聞こうとは思わない。だけど俺は、いつも瑠璃の傍にいるから、話したくなったらいつでもおいで。ま、答えは出ねーけどな」
がははっと笑う先輩に、心から感謝した。
本当は話したい気持ちだった。
誰かに聞いて欲しかった。
だけど、先輩に甘えちゃいけないって思ったんだ。
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