第2話 隣人との交渉

「なんだ、そこの女! 馬鹿にした目で見やがって!」

うわっ、バレた!

「…いや、待てよ…平等ってことは、お前も同じ量なのか…

お嬢ちゃん、男性一人前はスタイルの維持によくないよ、俺がちょっと貰ってあげようか?」

うわぁ、急に甘ったるい猫なで声になった。

しかもこの人、よく見ると…私が言うのもなんだけど、

ニキビだらけで髪の毛まで脂ギッシュだし、

いかにも意地の悪そうな吊り目だし、キッツ…

たしかに私が全部食べるには気持ち多いけど…こんな人にはあげたくない。

「嫌ですよ! おじさんと違って私は育ち盛りなんです!」

「お、お、お、おじさん?! 俺、一応20代なんですけど」

「ええええええええ?!」

「失礼だな!」

「というか、そんなに食べたいなら、お小遣いの3万から好きなの買えばいいじゃないですか」

「毎食なんか買い足してたら、3万なんてすぐ消えるわ!

少食の奴は3万まるまる浮くのに、不公平だあ!」

もう見てらんない。

私は窓をぴしゃりと閉めた。


食器洗ってお風呂沸かして…

ああ、これ全部、今までお母さんがやってくれてたんだなあ。

そりゃイライラするよねえ。

お風呂用の物資は、タオル、ドライヤー、ボディーソープ、シャンプー…

あれっ?


私は宝生さんに電話をかけた。

「もしもし、宝生さん?

物資表を見たんですけど、シャンプーの配られる間隔長すぎませんか?」

『ああ、必要物資というのは、こちらも無限に増やすわけにもいかないので、住民のネット投票の多数決で決まるんですが、

それぐらいの量がちょうどいいということで決着したので』

「えっ…男性の方が多いから、ですか?」

『そうですね』

あーあ、お小遣いから、かあ…

要らないって人はその代金、まるまる浮くのになあ…

あれっ、そんな話、どこかで

ーそうだっ!


私はお隣さんのドアを叩いた。

あっ、一応表札ついてるんだ…引地理ひきちおさむさんていうのか。

「はあーい…って、なんだ、お前かよ」

「食べ物の追加を期待してたんですかね」

「なんだよ、悪いかっ」

「それなら、私が少し、分けてあげてもいいんですけどね…」

「えっ、マジかっ!」

引地さんは犬のようにハアハアと鼻息を荒げ、いかにも飛びついてきそうだった

…まるで獣だわ。


「そのかわり、こちらも欲しいものがあります」

「なんだ?」

「シャンプーです。その短い髪なら余るでしょ」

「お安いご用だ!」

「よし、交渉成立ですね」

平等って、なんだろう。

私とこの人じゃお腹一杯になる量も、髪の毛綺麗になる量も違うけど…


次の日の朝、さっそく私は、パンと目玉焼きを少し残して、引地さんの家のドアを叩いた。

「おーっ、ありがとよ。シャンプーの方も、今持ってく?」

「ありがとうございます、でも少し空いてから移し替えることにします」

「どうせなら、足りなくなったらうちの風呂使ってくか?」

「えっ、そ、それは」

「冗談だよ、こっちだって女の目立つ抜け毛で風呂汚されても嫌だしな」

そうか。

そういう細かいことも、自分でするんだな…

「はっはっはっ、お前、俺がスケベ心で言ってると思ったあ?

残念でした、俺は抜け毛も毛穴もない、二次元の女の子にしか興味ありませーん」

「…いかにもですね」

「お前だっていかにもな、人を馬鹿にした目してるじゃねーかよ、もっさいし」

ぐさっ。

なんとなくわかってたけど、いざ面と向かって言われると、堪えるなあ…


「…まあでも、俺だって好きでそんな趣味になったわけじゃないけどな。

一人でも三次元の女の子に興味持ててたら、こうはならなかったかもしれねえ」

「…えっ」

「俺はこう見えても26歳、んで、3つ上に、学って名前の兄貴がいんだ」

「に、に、に、にじゅうろく」

いや、それもびっくりだけど、引地学…?

なんか、どっかで聞いたことある名前のような…

「そう、お笑いコンビ、フロックのクズキャラの奴だよ」

「えっ、あの人…?! 全然似てない…

しかも、弟がいるなんて聞いたことない…」

「ま、笑えないからな、俺の存在なんて。

昔は兄貴もパソコンが友達で、見た目も俺にそっくりだったんだよ。

でも女の子にモテたい欲に目覚めて、痩せて芸人になったんだ。

それでも俺は俺で、見た目は不評でも平穏に社会人やってたんだ。

そう、一昨年、兄貴がブレイクするまではね。

そしたら大変よ、クズの弟なんだからクズなんじゃないかって俺の行動関係ない所でレッテル貼られるわ、

逆に兄貴を高く買う奴には、お兄ちゃんは面白くてスレンダーなのにお前ときたら、と言われるわ、兄貴目当てで擦り寄ってくる奴はいるわで、まあ歪んだね。

人間、転げ落ちるとすぐだよね」

その通りだ。

私も、学校を休み始めると、今までやってきた学校関連のことが、一気に煩わしくなった。


「でもまあ、これで兄貴も両親も、家の汚点が居なくなって安心だろ」

ひどく乾いた声の笑いに、胸が締め付けられた。

途中まで同じような人生だったのに、そんな僅かな違いで、人間、そこまで差がついてしまうものなんだ。

私は…?

どうして小学生時代は普通だったのに、

中学生生活に、みんなと違って耐えられなかったんだろう…?

「そ、そんなこと…

あっ、でも、ひとのことお前って呼ぶのは、汚点かもしれませんね。

私には小森希子って、名前があるんですから」

「そうか、じゃあ希子ちゃんて呼んでいい?

きこちゃんすまいるって古いアニメがあってー」

「嫌ですよ、気安すぎますし!」

「そっか…まあ実は、俺の方が理って呼んで欲しいんだよね。

苗字で呼ばれると、兄貴思い出すし」

「なるほど、そういうことならー」


そこから私と理さんの、お小遣いを多く残す為の同盟が始まった。

「おおー、カレーまでくれるのか、ありがとう」

すると、理さんの私とは反対側の隣の家から、

「うるさい!」

と、怒声が響いてきた。

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