第1話 エクソシスト、神を語らず

───あなたがたのうちに罪のない者が、まずこの女に石を投げよ。


 ヨハネによる福音書 8章7節より


 ‪✝︎♣︎‪✝︎


 リュカ・ベルトランが村に着いたのは、夜も深くなった時分だった。

 曇天に覆われた空からは霧雨が降り続き、黒ずんだ教会の塔が鈍く濡れていた。


「……悪魔だ、中には契約者バカがいるらしい。まあ、十中八九死んでるけどな」

「またかよ……!5年前に封印されたばかりだろうが…!」


 広場に集まった村人たちが、不安と恐怖を噛み殺すように囁く。

 その中に割って入ったのは、黒いコートを翻す一人の少年だった。


 歳は十六。

 教会に仕える第一等祓魔師。

 かつて“神の奇跡の申し子”と謳われた――今は、“神に祈らぬ祓魔師”として、悪名のほうが広がっている。


「……あんたがベルトランか……?」


 護衛の神父が恐る恐る声をかける。

 リュカは振り返らず、ただ一言だけ呟いた。


「悪魔は、どこだ」


 その声に込められた冷気が、周囲の者すべての口を閉じさせた。


 ‪✝︎♣︎‪✝︎


 村の教会の地下。

 濡れた石の祭壇に、ひときわ大きな影が立っていた。


「お前が……教会の祓魔師か」


 現れたのは、角と尾を持つ人型の悪魔だった。

 どこか悲しげな瞳をしながら、それでも口元には笑みを浮かべている。


「勘違いするな。俺は教会に仕えていない」


 リュカは懐から短刀を抜く。

 それはリュカの手に収まると瞬く間に肥大化し、黒鉄の大剣となった。

 彼はガリガリと音を立てて大剣を床に下ろす。

 刃には金の装飾と十字が刻まれていた。

 だがその十字は、どこか歪で、まるで血で塗られたように赤黒い。


「名を名乗れ。さもなくば、俺のやり方で引きずり出す」


 悪魔は目を細め、少しだけ肩をすくめた。


「私は〈トゥルク・アニマ〉。人とともに生きることを選んだ、善良なる天使だ」


「笑わせる…」


 リュカは一歩踏み出し、詠唱を口にした。


「――“偽りの言葉を紡ぐ者よ、その名を知りてその血を裂く”」


 刹那、剣が淡く赤い光を帯びた。


 トゥルクは叫びを上げ、腕を振るって瘴気を放つ。

 が、それはリュカの剣に一閃され、瞬く間に霧散した。


「……くっ、なぜ、私の“真名”を……!」


「教会の、十字架にお前の残滓が残っていた。転写の福音さえ使えれば、真名を知ることなんて容易い」

「なあ?中位悪魔のセファリム・ボア」


 リュカは感情のない目でそう告げ、剣を振り下ろした。


 ‪✝︎♣︎‪✝︎


 戦いが終わったあとも、リュカは何も言わず村を後にした。


「お、お祈りを……!」


 老婆が差し出したロザリオに、リュカは目を伏せることすらせず通り過ぎる。

 言葉も、祈りも、残さなかった。


「……あれが、“神に祈らぬ祓魔師”か」


 遅れてやってきた部隊の若い祓魔師が、小さく呟く。


 同行していた二等祓魔師が、ふと遠くを見つめたまま答える。


「いいや。あいつは――“神に祈るのをやめた”だけだ。神を信じることすら、な」


 ‪✝︎♣︎‪✝︎


 夜の帳の中、誰もいない街道をひとり歩きながら、リュカは空を見上げた。

 その瞳には星も、月も映っていない。


『神は応えてくれなかった。ならば、俺がやるだけだ』


 ――悪魔を狩ることも、

 ――人を守ることも、

 ――罪を裁くことも。


 神に問う必要など、もうどこにも無い。

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