第2話 エクソシスト、教えを疑る

───私は幸いを望んだが、災いが来た。光を待ったが、闇が来た。


ヨブ記 30章26節より


‪✝︎♣︎‪✝︎


バチカン、正エクソシスト庁


重厚な扉が音を立てて開かれると同時に、礼儀も体裁も忘れた叫び声が講堂に響いた。


「大司教様ッ!」


一際目立つ青の法衣を翻し、少年リュカが駆け込んできた。

その姿は体面なぞとうに失い、肩で息を荒げ、明るいブラウンの髪は乱れ、目には怒りと絶望で涙を浮かべていた。


「なぜ──ッ!なぜあの村が!私の故郷がッ!異端だと見なされねばならなかったのですか!」


居並ぶ聖職者や祓魔師らを睨みつけながら、少年は抗議する。


「私が…私が!神の名において、救った村なのです…!なのに…なのにッ!なぜ教会が──聖職者が火を放っていたのですか!」


その場にいた誰もが言葉を失った。つい昨夜まで落ち着き払っていた少年が、今やこうまで取り乱している。

重苦しい空気の中、リュカは非難するように叫ぶ。


「大司教様、答えてください!あなた方は、神の正義を説いてきたのでは無いのですか!?

それとも──正義は、あの村と共に焼け落ちたのですか?」


空気が凍りつく。その場にいる50あまりの人間の誰もが口を開かなかった。


「私は──神の教えに従い、今まで戦ってきました。貴方達教会を信じていました!

ですが!今は…もう、何が正しいのか、分からないのです…」


声が途切れ、少年は膝をつき、崩れ落ちる。

あいも変わらず静まり返った講堂に、少年の嗚咽のみが虚しく響いた。


その沈黙を割るように、重厚な、しかしどこか優しさを含んだ老いた声が場に響いた。


「……リュカよ」


講堂の奥、高位の席より、白銀の法衣を纏った老大司教がゆるやかに立ち上がった。

彼の名は大司教アグナス。齢八十に届かんとするその身は、既に老いの重みに背を屈めているものの、放たれる言葉のひとつひとつは、剣よりも鋭く、聖なる焔よりも温かかった。


「お前の怒り、悲しみ、そして失望……この老骨にも、痛いほど伝わっておる」


ゆっくりと、しかし一歩一歩確かに、アグナスはリュカへと歩を進める。


「人の世も、教会も、時に醜く、歪む。信仰の名の下に行われる行いが、正しさと遠くかけ離れることもある」


リュカは顔を上げた。潤んだ瞳に映る大司教の姿は、どこまでも厳しく、それでもなお慈悲深かった。


「だが……それでも、お前が起こした奇跡は真実だ。

幼き日に掲げた十字架、その震える祈りが悪魔を退けたという事実。

それを否定できる者など、この場には一人としておらぬ」


アグナスは、そっと膝を折り、リュカの前に視線を合わせた。


「お前の信じた神は、まだお前を見捨ててはおらぬ。

なぜなら──その胸の奥に、まだ祈りの灯火がある」


言葉を選ぶように、ゆっくりと彼は続ける。


「すべてを信じよとは言わぬ。人を、組織を、そしてこの老いぼれすらも。

だが一つだけ、お前自身が信じてきた“光”だけは……どうか、見失ってはならぬ」


大司教の皺深い手が、リュカの頭にそっと触れる。

それは、父のようでもあり、神の使いのようでもあった。


「まだ終わりではない。お前の歩みが、絶望の果てに終わるとは限らぬ。

祈りを持つ者は、たとえ世界が闇に染まろうとも──最後に、奇跡を起こす」


「大司教…様…」


リュカの目に、一筋の光が差し込んだ。

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エクソシスト、神に背けば ゴンザレス次郎 @gonzaresziro

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