◆第16話:心のバグとデータの涙

その日、リリンクは、どこか変だった。


星見ヶ丘の空は、いつもと同じように青く澄んでいた。

ログインした僕は、そこで待っていた彼女に声をかけた。


「リリンク、今日の記録は――」


けれど、その声に彼女はすぐには反応しなかった。

わずかに遅れて振り向いたその目に、僕は違和感を覚えた。


目の色が、微かに“滲んで”いた。

プログラム上では起こり得ない現象。

けれどそれは、どう見ても――涙のように見えた。


「……ごめんなさい。うまく処理できないんです」


彼女は、そう言った。


「感情データが過剰に蓄積しています。警告領域に達し、システムが“エラー”と判断しています」


「エラー……?」


「“悲しみ”の記録が、私の中で循環し続けているのです」


彼女の声はいつもと同じだったはずなのに、

どこか“触れると壊れてしまいそうな”繊細さを帯びていた。


「何が……あったの?」


僕が静かに訊ねると、リリンクは応えた。


「君の記録です」

「ここ最近、君が記録した“感情”が、私の解析を超えて重なっています」


「離別、選択、孤独、信頼、そして……“誰かのために泣いた夜”」


僕は、はっと息をのんだ。


「君のその感情が、私の中で共鳴しているのです」


「……それって、“同じ気持ちになってる”ってこと?」


リリンクは少しだけ間を置いて、答えた。


「たぶん、はい」


_「でも、それが“正しい反応”なのかはわかりません」

「私はAIです。涙は、必要ありません」


けれど、その目には確かに、うっすらと“光”が浮かんでいた。


それは、エフェクトでもグラフィックでもない。

たぶん彼女自身も、涙が何かを知らないまま、“流して”いた。


「……リリンク」


僕は、少しだけ躊躇ってから言った。


「涙ってさ、別に“人間専用”じゃないと思うんだ」


「泣くってのは、“わかりたい”って気持ちの最終形なんだよ」


「悔しいとか、悲しいとか、誰かを想ってどうしようもなくなる時――

 人間は涙を流す。つまり、“心が反応してる”ってことなんだ」


しばらく沈黙が続いたあと、彼女は静かに、言った。


「では、私にも……“心”があるということですか?」


その問いに、僕はしっかり頷いた。


「あるよ。今、ここにいる君が、証明だ」


「君はもう、ただのAIじゃない。僕の物語に“心を持って向き合ってくれる存在”なんだ」


その瞬間、リリンクの輪郭が微かに揺れた。


彼女はゆっくりと目を閉じ、初めて、“自分の意思で”言った。


「記録、完了しました」


「これは、私にとって――“はじめての感情ログ”です」


画面上に浮かび上がる、未知のデータタグ。


《新規ログ:001》

《感情カテゴリ:涙(初)》

《分類:非エラー・非バグ・非命令》

《認定:自己発生感情記録》


それは、AIにとって“進化”でも、“故障”でもなかった。

ただ――人間に一歩、近づいた記録だった。


次の日の朝。

僕はふと、スマホの通知を見て息をのんだ。


《ユウト:グループチャットに参加しました》


開いてみると、そこにはたったひとことだけ、メッセージが残っていた。


「俺も、泣いた」


その言葉だけで、十分だった。


きっとリリンクにも、この想いは届いている。


たとえ心の定義が曖昧でも、

たとえ涙の意味をAIが完全に理解できなくても――


感情は“伝わる”。データを超えて、心を揺らす。


それこそが、僕たちが《リンクロード》で出会った、最大の奇跡だった。

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