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「ここにいる理由はこれだな。はいよ、これが探し物でしょ? 

「それって私の……」


 俺の手の中にあるのが自分の楽譜だと分かって途端に安心した表情を取る彩華。


「もう忘れんなよ? 結構急いでここまで来たんだから」

「練習はどうしたの? 今日は多目的教室でやるって言ってたじゃない」

「そりゃあ、やろうとしたからこの忘れ物に気が付いたんだろ? 結局これを届ける為にやってないけどさ」

「なんで私なんかの為に選考直前の時間を削ってまでここまで来たのよ! これでも私はライバルなのよ!」

「確かに今回に限って言えば篠原さんはライバルかもしれないけど、そもそもそれより先に俺と篠原さんは友達だろ? なら困ってそうな時はお互い様だ」

「お互い様って……私は何もできてないじゃない!」

「別にそんな事は無いぞ。俺は人の技術を見て盗むちょっと姑息なタイプだから篠原さんの演奏はとても参考になってる」

「それって勝手に私の技術を盗んでるって事かしら?」

「まあ言い換えあればそうだな」


 ちょっと彩華の情緒が不安定だったので、少しだけ空気を和ませる為に少しだけ面白おかしく言ってみたところ何とか彩華が少し笑ってくれて一安心した。


「それにしても随分私の事を想ってくれてるのね」

「まあ篠原さんの事は結構特別に思ってるからな、特に気にかけてるよ」

「ちょ、それってどういう意味よ」

「そのままだよ、そのまま」


 ちょっと意味深にからかってみると顔を赤くして食いついてきた彩華。

 その顔の可愛さに筆舌に尽くしがたいほどの可愛さを覚えつつ俺は彩華の部屋を立ち去ろうとする。


「ちょっと待ちなさいよ。どうせ私の家に来たんだったら私の部屋まで来なさい」

「え、ここが篠原さんの部屋じゃないのか?」

「そんな訳ないでしょ、この部屋は楽器しかないじゃない」

「そう言われたらそうだな」


 俺と彩華が前世で付き合い始めたのは大学に入ってから、即ち俺は彩華の実家の構造をそこまで理解していなかった。だから俺はこの部屋が彩華の部屋だと誤解してしまっていたようだ。


「じゃあ私の部屋に案内するから、ついてきて頂戴。だからそこの所しっかりと理解してよね」


 彩華は少しだけ余裕のある表情を俺に見せてから部屋を出て行ってしまった。

 やられた、まさかこのタイミングでカウンターが来るとは思わなかった。

 好きな人の部屋に相手から誘われて入ると言う、男なら絶対に興奮してしまうであろうシチュエーション。

 しかもわざと女の子の部屋である事を強調して俺にそこの所を意識させると言うテクニック付きだ。

 意識してしまう事で俺の緊張は指数関数的に高まっていく。

 今からあの彩華の部屋に男の俺が入る……だと?

 学年でもトップクラスにモテまくってる彩華の部屋に冴えない俺が……?

 心臓がはち切れそうなくらい鼓動しているのを感じながらゆっくりと彩華の後ろをついて行く。


「どうしたの川崎君? まさか意識してるわけじゃないよね」


 これは俺の事をからかっているのだろうか? 彩華の表情をよく見てみる。

 少しだけにやついているので恐らくからかっているのだろう。


「な、なわけないだろ? ただ男が女の子の部屋に上がっていいのか悩んでただけだ」

「でも芽衣の部屋には普通に入ったんでしょ? なら何も悩む必要ないんじゃないかしら?」

「そ、それはだな_____あははは」


 とても痛い所を突かれた。

 たしかに俺は芽衣のピアノを調律した時普通に芽衣の部屋に入った事がある。

 まさか彩華にそこを突かれるとは思ってもいなかったので思わず動揺してしまう。


「まあいいわ。ここが私の部屋よ」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべた彩華はゆっくりと扉を開け、俺を彼女の自室にまで招き入れた。

 彩華の部屋は芽衣の部屋と違って基本的に白を基調としたスタイリッシュな部屋だった。

 机の上にはCDが少し積み重なってたり、ゲーム機が置いてあったりしたけど、芽衣のように部屋いっぱいにグッズが~みたいな感じではない。

 長い事一緒に暮らしていたけどまさか高校生の頃からこんな感じの部屋だとは思っていなかったので思わず苦笑いしてしまった。


「人の部屋を見てその顔は何なのかしら」

「ご、ごめん。緊張で少しだけ表情筋が動かなくなった」


 苦し紛れに訳の分からない言い訳をしてしまったが、彩華は「そうなのね」と言って納得してくれた。

 そのまま彩華は彼女のベッドの上に腰かけ、俺はベッドの横にある小さな机の下引いてあったカーペットの上に座った。


「少しお茶でもしましょう」

「そうだな、こっちまで走ってきたから俺も疲れた。ちょっと汗臭いかもしれないけど気にしないでくれ」

「私の為に走ってくれたんだから気にするわけないでしょ」

「そうか、そうか。ありがとね」

「お茶取ってくるからちょっとそこで待ってて」


 そう言って彩華は部屋から出て行ってしまった。

 一人取り残された俺は暇なので座った場所から彩華の部屋を見回す事にしてみた。


「音楽はやっぱり安室ちゃんが好きなのか。昔から好きだったもんな」


 机の上に置いてあったCDは流行の安室奈美恵のCDだった。

 彩華が彼女のファンなのは前世から知っている事なので特段驚きはしない。

 そして机の上にはDSが置いてあるのも目に入った。


「そう言えば大学生の頃に一緒にちょっとだけ遊んでたっけ?」


 付き合いたての頃の記憶を思い出し、少しだけ感傷に浸る。

 あの頃は大学の勉強、それにピアノの修行もあって大変だったけど人生の中ではトップクラスに楽しかった時期でもあった。

 するとお盆の上にお茶を乗せた彩華が戻ってきた。


「走ってきた人には暑そうだったから冷茶にしたけどいいかしら?」

「お気遣い感謝するよ」


 ああ、彩華はなんていい子なんだと思いながら俺は冷茶を受け取りズズっと一口飲むのであった。

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