最終章:黄昏から生まれた光
第37話 愛しき人
昼下がりの雲ひとつない帰り道。自然と歩みが早くなる。肩にかけた
夏はとっくに終わりを告げ、
そこら辺の知識は彼女が詳しいので、勉強させられてばかりだ。
朝、仕事で家を出る際に「リンゴが食べたい」と所望されたのを思い出し、忘れずに鮮度の良いものを買い求める。夕食後、蜂蜜で煮詰めて出してあげよう。
黒い
「――――ただいま!」
居間の扉を開け放ち、必要以上の大声で帰宅を知らしめる。
けれども揺り椅子の背もたれをこちらに向けて腰かける彼女は、軽くドラロッシュを振り返るにとどめ、前に置いてあるキャンバスと向き直った。身体を思うように動かせない彼女は、日がな一日、こうして
「おかえり」
一応、返事は寄越してくれるらしい。そっけない態度が照れ隠しに思えて嬉しさが増す。
荷物の片づけをしながら彼女の絵筆が奏でる色彩を盗み見る。赤い建物に白い屋根。オディリアに捨ててきたダンヴェールの屋敷だろうか。淡い色遣いが過ぎた年月を思い出させ、
単純に『青』と
正直、子供が描いたような仕上がりだ。それでもしきりに難しそうな息をつきながらキャンバスを色づけているので、ドラロッシュはやれやれと笑うしかない。
生前、『光と影の調律師』なんて
もしかしたら、本来の『クラウディアン』なら
……持たなくて良い。あんなもの。
かぶりを振って投げ捨てた。見目麗しい平民の女流画家なんて、ハルメンソンやドラロッシュ以上の食い物だ。ドラロッシュは
描き終えたのか、彼女はふうと伸ばしていた背筋を背もたれに預けた。硬いクルミ材の揺り椅子は、彼女のために取りつけた綿詰めの敷物のおかげで座り心地が抜群だ。歩み寄り、髪を結い上げて露出した白い耳に囁きかける。
「絵を描いてたんだ?」
「うん。……でも、全然下手」
自覚があって何より。
むすっと不満そうに眉をひそめる横顔が可愛らしくて、つい目元に唇を落とす。びっくりした彼女が握ったままの絵筆を振りかざした。紙一重で避ける。
「うわっ、と」
「……ドラロッシュ!!」
彼女は顔を真っ赤にして細い眉を
今にも絵筆を頭上に掲げて追撃してきそうな彼女をなだめ、抱き締める。
「怒らないで。お腹の子がびっくりしちゃう」
「誰の、せいだと……っ」
深々と揺り椅子に腰を落とす彼女は、膨らみの目立つお腹にドラロッシュの顔を当てがわれて身動きが取れない。
彼女が『クラウディアン』でないと知れば知るほど、オディリアやヴェレニスとは異なる世界の国の話を事細かに聞き入るにつれ、強く惹かれていった。ドラロッシュの歪みや
否、昔から彼女がいなければ生きていけなかった。色恋の伴わない執着が激しい
彼女の幸せを願って一度は放そうとしたけれど、振り切ってこの娘はドラロッシュを選んだ。――――誰にどうなじられようが、二度と逃がすことはできない。
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