第33話 ある都市の眺望

 あれから4年が経った。


 ドラロッシュと私はせっせと馬を替えながら街から街へと走り抜け、ついにオディリアを脱した。現在はオディリアの西方にある国、ヴェレニスに身を寄せている。


 初めは他人の家を間借りしながらの、一からの再出発だったけれど、オディリアでつちかったドラロッシュの話術と天性の画才はたちまちヴェレニスの富裕層の審美眼をも惹きつけ、一躍画壇がだんの花形と咲き誇っている。ミューア男爵家の件で当の本人は目立つのを心底いやがっていたものの、才能に恵まれすぎた者の宿命だろう。


 4年前のあの夜。馬車や逃亡の手配を買って出てくれたのは、なんと以前ドラロッシュが絵の依頼を受けたカヴァリエ商会の会長だった。なんでも、さるオディリア貴族が所望する異国の品を納品した際、代金を踏み倒された経験があり、高貴な人種への不信感をつのらせていたという。相当苦労くろうして手に入れたのに、と憤慨していたそうだ。他にも、支払いを請求したらのらりくらりと言い逃れられて回収できなかったのが2件もあったとか。常識も何もあったものではないけれど、おかげで政略のこまになりかけた私たちが助かったのだと思うと、複雑な気持ちになる。


 カヴァリエ商会は一族で手広くあきないを行っているようで、ヴェレニスに入国後、頼るように会長に勧められたのがマーロウ商会だった。元は会長の弟がカヴァリエ商会の支社としておこしたのを、息子の代になって新しい商会という形で独立させたものらしい。とはいえ水面下ではカヴァリエ商会と密接な繋がりを有しており、私たちが国境を出る頃にはすでに話がついていた。


 いわく、マーロウ商会がドラロッシュ・ダンヴェールの後援者パトロンとなり、彼の描いた絵を購入。興味を示した顧客がいれば彼を紹介する。ヴェレニスもオディリアに負けず劣らず芸術の花開いたお国柄なので、ドラロッシュが受け入れられるのに時間はかからなかった。マーロウ商会の会長もドラロッシュの作品に惚れ込み、自ら支援して近辺の屋敷を買って私たちを住まわせている。


 要は至れり尽くせり。カヴァリエ商会とマーロウ商会には感謝してもしきれない。


「クラウディアン。迎えが来たよ」


 マーロウ商会の従業員の呼びかけに私はパッと顔を上げる。


 少しの時間だけど、私もマーロウ商会の仕事を手伝わせてもらっている。商会に日々届けられる商品の品質確認と、掃除くらいだけれど。


 オディリアのダンヴェール邸で美しく高価な調度品に囲まれて暮らすうちに私の目は自然と肥えたみたいで、特に美術品を見る眼力が鋭いのだという。掃除も、商品に一切触れることなく隅々すみずみまで綺麗にしてもらえるのがありがたいと褒められた。お世辞かもしれないけれど、少なからずお金の入る居場所ができて嬉しい。前世ではこんな経験がほとんどできずに終わったから。


 私が外の世界で簡単に働けるようになったのは、ドラロッシュの意向でもある。慣れない土地、ドラロッシュは絵の制作で家を留守にしがち。私を1人にすると危ないから、せめて味方であるマーロウ商会に預けておいた方が安全だと。


 それともうひとつは。


「アン」


 淡い金髪、白ワインに咲かせて溶かしたスミレの砂糖漬けみたいに鮮やかな双眸。4年前どころか、私の記憶の一番古いところから見た目が寸分すんぶん変わっていない、華やかで圧倒的な空気を率いた美麗な男がやって来る。


「ドラロッシュ」


 靴音を高く鳴らして、私は彼の胸に飛び込む。


 ドラロッシュより4つ5つ年下だろう従業員の若者が、ぽかんと口を開ける。雇われたばかりのこの若者は彼と初対面なのだろう。幸せそうな私の笑顔とドラロッシュの得意満面な美貌を交互に見遣みやって、肩を落とす。


 彼はこうして、他の男の戦意を喪失させる。私を好きになる不届き者が出てくる前に、芽を摘んでおきたいのだそうだ。実際、過去に私に言い寄ってきた別の従業員も、それはそれは甘い微笑ですごまれてから大人しくなった。私も、男だったら本能的に白旗を上げたと思う。


「帰ろう」


 手を取られ、握り返す。指同士を絡め合わせてみたいものの、彼が困るのでやらない。


 私たちの関係に進展はない。ヴェレニスでは親子じゃなく、『亡くなった絵師の娘とその元弟子』という真実に沿った関係で通している。オディリアのカヴァリエ商会の耳に届いたらややこしいことになりそうけれど、その時は正直に事情を明かすつもりでいる。


 この関係を言うたび、周りの人は邪推じゃすいしてあまり踏み込んでこない。


 彼らの想像が現実になれば良い、と考えているのは私だけ。ドラロッシュにはどっちつかずの距離感を潰す予定はないようだ。


「今日は少し早いのね」


 日が暮れるにはまだ早い時間帯。煉瓦敷きの街並み。商会の構える通りと反対側を向けば、灯台やワイン醸造所の尖塔せんとう、傾斜の急な三角屋根の建造物の影が震えながら鏡のように立ち並ぶ、マーロウ商会の交易船もまる大河川だいかせん。建物の長く赤い屋根が水面みなもでぼやけ、前世でよく見かけた紅葉の並木道を彷彿ほうふつとさせた。


 灯台とワイン醸造所の間には橋状に設けられた水門すいもんが大きな口を開けていて、向こうの水路から貨物を積んだはしけが通り抜けようとしている。

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