第8話 向こう手

 風が変わってきたな、と汐は空を仰いだ。イド大陸東岸から白錦江を入ったところに位置する安京を出発して、北西へ向かうほどに気候は乾燥してくる。

「将軍、木材の積み込み終わりました。あとこれ」

 戦車長のシャラが寄ってくると、きらきらと粘ついた麦片を渡された。

「舎利別(シロップ)です」

 舐めてみろ、と動作で促されるので、口に放り込むと甘い。

「旨いな。みんなの分あるのか」

「イタヤカエデの群生がありまして。麩に混ぜて焼けば、行き渡ると思います」

 戦車隊と呼ばれ、銃砲を積んではいるが、それ自体に攻撃力があるわけではない。もっぱら移動手段であり、防御壁として使われる。補給も彼らの役目である。戦車長のシャラはオルダート帝国の属国で商人の家に育ったが、領主に嫁ぐはずだった幼馴染みと駆け落ちして、家を勘当されたのだ、と本人は言う。逃げ足の速さは折り紙付きだ。螺鈿宮でも本草綱目や食譜ばかり見ていた。

「少しは気が紛れました?」

 汐は苦笑した。移動距離が長く疲れが出るのは仕方ないが、どうにも懸念を拭えないことを見抜かれていたらしい。

「みんなを不安にさせたなら、すまない」

「将軍はいつも仏頂面だから大丈夫ですよ」

「どういう意味だ……」

「分かるのは自分らだけだってことです」

 シャラのもったいぶった言いように、汐は三々五々空き地で荷造りしている兵士たちを眺めた。レノーと目が合うと、肩を竦められる。

「麓の村で少し買い出しをしていた時、耳にしたのですが」

「単独行動は気を付けてくれ。この辺りはもうの領域だ」

「そうなんですけどね、物価が上がって困りますね、なんて話していたら、って言うんですよ。確かに村の大通りなんか、”余所者”がたむろしている感じでね」

 それは炊が言っていたように、エルヴェニ大公国と豪族たちが結んでいるからなのだろうか。エルヴェニの周辺国は資源に恵まれているとは言えず、長い冬の間農民たちは傭兵に出るらしい。北からそのような兵力をこちら側に送ってきているとしたら、この戦は”残党狩り”と言う規模ではなくなるのではないだろうか。汐は憂慮した。

「よい観察だ。炊大将と話してくる。移動の準備を進めてくれ」

 馬の首を返して汐は駆け出した。遠雷が聞こえたような気がした。


 本陣営のテントも既に畳まれていたが、浚帝は木陰で文を読んでいた。紙面を辿る透度の高い瞳に、汐は身構え馬を降りる。

「炊ならば洳と話しにいっている」

 浚は顔を上げずに言った。汐は躊躇したが、礼をして言葉を続ける。

「今報告を差し上げてもよろしいでしょうか」

「構わん。シャラかレノーが何か言ってきたのか」

 藍鷲城では汐の指導の下にいた。汐の五番目の卒長が浚であり、他の卒長たちともそれなりの時間を過ごしてきたので、互いに為人ひととなりが分かっている。

「麓の村々に、北から人が大勢流れ込んでいるようです。エルヴェニが暗裡に支援しているやもしれません」

「離農者を厄介払いして、珀を周辺から揺さぶるには良い手段だからな。こちら側で誰が合意したのかが問題だが」

 今回敵方の主格は、この辺りでも有力な豪族一派である烏藩の宗主アインゲルである。長らく珀帝国、啓典同盟、そしてエルヴェニ大公国の間で狡猾にバランスを取り、自らの領地の自治を保ってきた。

「炊の耳役が先ほど戻ってきたのだが、アインゲルはタスナ盆地にやぐらと塹壕を築いているらしい」

「それは……こちらの情報が漏れている、ということでしょうか」

 アインゲルが居を構えているのは護りの堅い九斗城である。タスナ盆地は帝国軍が想定している主戦場だ。どうも先手を取られて罠を張り巡らされているような嫌な予感がする。もとよりこちらは地の利を用いることができない。

「さもありなんだろう、こちらも間者を送っているのだからな。だが」

 浚帝の猛禽の如く暗く輝く視線が汐を穿うがう。

おれの軍を害するものなら、排除せねばならん」

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