路上で隠れずキスしよう

 それから一時間ほど、ファミレスで森川さんを相手に翔真は今回の舞台の話をしていた。楽しそうに話している二人をぼくは眺めていた。

「和寿はどうなの?」

 翔真が訊ねたときも、

「うん、なんかまだ気持ちがおっつかなくって」

 なんて誤魔化した。

 森川さんを駅まで見送り、ぼくらは二人きりになった。道ゆく人なんて気にならなかった。

 べつに触れなくても、隣にいるだけで、翔真の体温が伝わってきそうだった。これまであった、密着した記憶が勝手に蘇ってきたのかもしれない。

「なんか、疲れた?」

 翔真が言った。

「そんなことないよ」

「そうか?」

 翔真はまだ、さっきの舞台にいたときのテンションを身に纏っているように感じた。

 ぼくらはなんとなく、夜の学生街を歩いた。

「帰んなよ」

 ぼくが言うと、

「だって感想ききたいじゃん。和寿だって、電車乗れよ」

「なんか歩きたい気分」

「だったら一緒に歩くよ」

 なんとなく二人とも無言で街を歩いた。しばらく黙っていると、居心地が悪くなってきた。なにか話さなくちゃ、と焦りも生まれた。

 翔真が自動販売機の前で立ち止まった。

 ぼくがそばに行くと、

「なにがいい?」

 と言った。

「いらんし」

「飲めし」

 そう言ってボタンを押した。

「ほれ」

 緑茶のペットボトルをぼくに渡した。それから翔真も同じものを買って、ふたをあけた。なんとなく気ままずい雰囲気になっているのを察しているみたいだった。ぼくらはガードレールに腰掛けた。

「ごめんな」

 翔真が言った。

「なにを謝ってるの」

「いや、舞台終わったとき、詩織がまたなんか言ったんじゃないか」

 心配してくれているのは痛いほどわかる。というか、胸が苦しい。

「詩織さん、いい人だね」

 ぼくは言った。

「まあね、なんやかや舞台観にくるし、あいつずけずけダメ出し言うけど、そこもまあ信頼できるっていうか痛いとこつかれるからさ。きっとじき長文でラインがくるよ」

 翔真が困った顔をしておどけた。

「すごいね」

「でもいまは、未来の大脚本家に意見を聞きたいな」

 翔真の顔が近づいてきた。

「未来なんてわかんないし」

「わかんないけどさ、そう思ってたら、そうなるかもしんないじゃん」

「翔真は大俳優になるとか思ってる感じ?」

「まあ、そう思わなくちゃやってられんし」

 自分にないものを持っている翔真が、とても輝いているように感じる。思い込みは激しいけれど、詩織さんは翔真に合っているかもしれない。

 直哉と光圀さんのように、似たもの同士でつがいになったほうがいい。

「なんか、すごくよかったよ」

 ぼくは言った。

「なにがじゃ」

「芝居」

「そうか、ありがとう」

 翔真は笑った。

「距離近い」

「だって俺ら、付き合ってる設定でしょ」

「いま詩織さんいないし」

「いつもそういう気持ちでいないと、ぼろが出るんだて」

 翔真がぼくの手を握った。湿っていて、さっき感じている以上に熱かった。

「芝居、ほんとリアルだった。違うな、リアリティがあった」

 ぼくは恥ずかしくなって言った。

「そう? 和寿と一緒にいて、いろいろ演技プランっていうか、違うな、なんかわかったな、って思ったんだ」

「それって」

「なに?」

 それって、ぼくと一緒にいたのは、演技のためだってこと?

 そんなしょうもない、ありきたりな、どこにでもある、そう、さっきの芝居みたいなことを思った。

 翔真。

 もしかして、きみは気づかないうちに、詩織さんを利用していた?

 恋愛がわからないから?

 恋している人をそばでじっくり眺めていた?

 そしてぼくも利用した?

 ひぐまりおんにきたのも、ゲイのことを知るためで、ぼくはちょうどよかった?

 これまで緊張したり慌てたりしながらも楽しく過ごしてきた時間が、べつの様相をあらわしたような気がした。

「どうしたんだよ」

 翔真はぼくのなかでなにが起こっているのかわからないらしかった。

「もっとリアリティあれば、ずっと芝居よくなるよ」

 ぼくは言った。

「どんなところ?」

 翔真は興味を持ったらしい、真面目な顔をした。

 ぼくは翔真の持っているペットボトルを奪って、一気に飲み干した。

「自分の飲めよ」

「あげる」

 ぼくの持っていたほうを渡した。「間接キスだね」

 そう言うと翔真はペットボトルをじっと見た。

「ばからし」

 なにも気にせず、翔真はぼくのペットボトルを飲んだ。

「じゃあ、キスしようよ」

 ぼくは言った。

「なに」

「男とキスしたほうが、わかるんじゃない? 芝居じゃキスシーンはなかったけど、やってるって、設定だったよね?」

 ぼくは真剣に翔真を見た。

 男らしい顔立ちをしていたけれど、肌はきれいだ。眉を整えたんだな、とかまつ毛わりと長いな、なんて思った。

「いいよ」

 嘘つけ、気持ち悪いだろ、と思ったとき、翔真の顔がぼくにもっと近づいた。

 人が歩いているのに、後ろでは車の音がうるさいのに、まだまだ夜の喧騒は鎮まらないのに、ぼくたちは、隠れずにキスをした。

 唇を離して、翔真が言った。

「芝居だと二人で朝を迎えてるけど、どうする?」

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