第6話『黎明フラッシュバック』
──2005年8月5日。
東京の空は、容赦なく照りつけていた。
セミの声が耳を刺し、アスファルトの照り返しが靴底を焼いた。
澄(すみ)は、髪をアップにして結んでいた。
巻いた毛先に、グロスのような汗が光る。ガラケーのストラップが揺れ、つま先が鳴った。
スカートの丈は校則ギリギリ、ルーズソックスにビーチサンダル。
今日の祭りには、絶対、笑って帰りたかった。
「遅っそ〜……てか、マヂ暑いんだけど」
口に出してみるけど、誰に向けたわけでもない。
グラウンド裏、誰にも見つからない場所。
手にしたガラケーを開くと、電波は2本。メールの作成画面がそのままだった。
ぉャ£ゐTょ±レヽ…
きょぅヵゞんばったね、言ぇなかったヶど、
オツカレさм…ネ兄才×〒"├`ノ♪
未送信。
送り先も、登録されていない番号。
それでも、この文字を打ってるあいだ、心臓はずっと痛かった。
「なんで、言えなかったんだろ」
澄の視線の先、遠くのほうに彼の背中が見えた。
三條 昴(さんじょう すばる)。
野球部のエースで、同じクラス。
別に特別な会話をしたわけでもない。
だけど、朝の挨拶のトーン。教室で渡されたプリントの持ち方。
ふとした瞬間に目が合って、逸らされたときの“わざとらしさ”。
それだけで、惹かれてしまっていた。
今日は、昴の試合があった。
彼はベンチに座っていた。結果は、1点差で敗退。夏が、終わった。
誰もが泣いていた。でも昴は泣かなかった。
その姿が、いちばん悔しそうだった。
澄は、応援席から見ているしかできなかった。
チアの真似事もした。声も出した。
だけど、試合後、昴に近づくことはできなかった。
言いたいことがありすぎて、
どの言葉も選べなかった。
だから彼女は、ガラケーのメモ帳に文字を打った。
ぉャ£ゐTょ±レヽ
おやすみなさい。
「意味不明なままで、いいや」
誰にも読まれなくていい。
だけど、私がちゃんと想ったという証だけ、残したかった。
陽が沈み始めた頃、澄は帰り道の公園に寄った。
ベンチに座り、さっき打った未送信メッセージをもう一度開いた。
指が、送信ボタンの上で止まる。
「……いま送ったら、迷惑だよね」
昴は今頃、部室で何を思ってるんだろう。
チームメイトと泣いてるかもしれない。
自分みたいな、名前も覚えてない女子のメッセージなんて、
迷惑に決まってる。
けれど。
それでも。
「ありがとう、って言いたかっただけなのに」
画面に浮かんだギャル文字の列が、涙でにじむ。
目頭をこすった瞬間、シャッター音が鳴った。
自分で、自分を撮ったのだ。
手元が滑って、カメラモードになっていた。
レンズは正直だった。
澄は、笑おうとして、笑えていない自分の顔を、そこに記録した。
「サイアク……でも、まぁ、いっか」
その写真を、保存した。
そして、メッセージは送信しなかった。
──それが、澄の夏の終わりだった。
数年後、その写真は透の手に渡り、
“言えなかった言葉”はギャル文字というかたちで残され、
やがて、再び誰かの心を動かすことになる。
けれど今はまだ、
少女はただ、未送信の“ぉャ£ゐTょ±レヽ”を握りしめたまま、
沈む夕陽の下で目を閉じていた。
言葉にできなかった感情は、
文字にも、写真にも、空にも、溶けていった。
ギャル文字解説コラム:Episode 6
【前回の問題】『ぉゃ£ゐTょ±レヽ』の答えは……?
→「おやすみなさい」
ぉゃ = おや
£ゐ = すみ(£=す、ゐ=古文字の“い”)
Tょ = な
± = さ
レヽ = い
“おやすみ”は終わりの言葉か、始まりの言葉か?
ギャル文字で“おやすみ”を綴ると、どこか特別な余韻が生まれます。
文末に使うことで、まるで本音を封じ込めるような感覚が宿るからです。
それは、言えなかった「ありがとう」や「好きです」と同じくらい、大切な“終わり”の表現なのです。
今話のキーワード
ぉャ£ゐTょ±レヽ = おやすみなさい
ネ兄才×〒"├`ノ♪ = おめでとう
未送信メモ = 言えなかった気持ちのタイムカプセル
読者チャレンジ!
次のギャル文字は、なんと読むでしょう?
【問題】→『愛ιτゑ』
ヒント:「直接は言えなかった“好き”の強化版」
(答えは次話のコラムで!)
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