第6話 手加減

 高校受験に合格し、中学の卒業式、高校の教科書と制服の受け取りを終えて、入学式までの数週間。

 この、やけに間延びしたような空白の時間に、自身のレベル上げとスキルの習熟に集中することに決めた。


 高校が始まれば、迷宮に割ける時間は極端に減る。

 日常のルーティンと両立しながら探索を続けるためには、今のうちに土台を固めておく必要がある。

 短い時間で最大限の成果を出すには、戦闘技術だけでなく、スキルそのものを効率よく使えるように慣れておかなくてはならない。


 ましてや──この世界では、空腹は探索者の大敵だ。


 スキルを使えば体力はみるみる減り、腹が減る。

 空腹になれば集中力は鈍り、攻撃は甘くなり、防御も崩れる。

 無駄に兵糧丸を食えば出費がかさみ、結局稼ぎは削られる。

 そんなのは本末転倒だ。


 だからこそ、今は訓練だ。

 力を振るっても消耗を最小限に抑え、確実に仕留め、効率よく素材を回収する。

 実戦での安定感こそが、今の自分に求められる。


 当面の目標は一つ。


 《ウサギを破裂させない》


 この迷宮浅層に出現する魔兎は、出現率が高く、狩猟対象としてはうってつけだ。

 ただし問題は“力加減”だった。

 膂力強化スキルで攻撃力は飛躍的に上がったが、まだ自在に制御できるわけではない。

 力任せに殴れば、ウサギは肉片になってしまう。


 必要なのは、殺しつつ壊さない技術だ。

 現時点では常に出力が高すぎる。

 それを急所にだけ正確に通す。

 致命傷を与えながら、原型を残す。

 うまく力を調節できれば、活動時間を増やせる。

 兵糧丸を完全に手放すことは無理でも、活動時間を増やし。収入を増やして金銭負担を軽くすることはできる。


 さらに、魔兎の生態もありがたかった。

 仲間の死体に引き寄せられる性質があり、一羽倒せば次の一羽が自然と寄ってくる。

 まるで罠にかかるように。


 狩るたびに、また狩る。

 その繰り返しが、俺にとって最良の訓練だった。


「……次」


 血の匂いが漂う静かな空間。

 草の葉が風もないのに揺れたように見えた。

 深く息を吸い、ハルバートの柄を握り直す。


 膂力強化スキルは、使うほどに“強くなる”感覚があった。

 筋肉が高密度のエネルギーに包まれ、以前では考えられないほどの速度と力が出せる。


 だが、強くなるほどに必要なのは精密さだ。


 力を入れすぎればオーバーキル。

 肉が飛び散り、ドロップは最低保証の肉と毛皮だけになる。

 逆に弱すぎれば、仕留めきれずに逃げられる。

 その間の“ちょうどいい”力加減を覚えるのに、十羽以上を無駄にした。


 でも今なら──いける。


「今度こそ、胴を狙って……振り切る」


 構える。

 両手、肩、腰、足首──体中に意識をめぐらせ、刃の重みを確かめる。

 すでに手に馴染んだこの武器は、自分の一部のように感じるほどだった。


 草の間から、白い耳が跳ねる。

 続いて、警戒心に満ちた瞳と白い毛並み。

 こちらを見て、その身体がわずかに震える。


「……こい」


 焦らない。

 膂力強化を意識するタイミングを少し遅らせ、全身の動きに自然に溶け込ませる。


 跳んだ。


「はッ!」


 空気を割る音。

 跳躍の頂点を、真横から斬り裂く確かな手応え。

 骨を砕き、肉を断つ感触が刃から伝わる。


 着地の音はなかった。

 ウサギは空中で絶命し、そのまま落下する。


 駆け寄って確認する。

 胴の中央に深い切り傷。頭も四肢もきれいに残っている。


 死骸は淡い光に包まれ、輪郭を溶かすようにして再構築されていく。

 まるでゲームのアイテムのように、毛皮と肉、そして骨と尻尾までドロップが現れた。


「……よし」


 一息つき、素材をバックパックにしまう。

 袋の金属留め具がかすかに鳴る。


 少し待つ。

 予想通り、また別の個体が茂みから現れた。


 この繰り返し。

 狩り、得て、また狩る。


 命を奪うという行為が、自分の“技術”として染みついていくのを感じる。



 安全地帯まで戻る頃には、さすがに足取りも重くなっていた。

 戦闘回数は二十を超え、素材も十分。

 疲労は大きかったが、気分は悪くない。

 目標を一つずつ潰していく達成感が、精神を支えてくれた。


 腰を下ろし、水筒からぬるい水を飲む。

 冷たさなんていらない。喉を潤せれば、それで十分だった。


 そして、もっとも嫌な作業に取りかかる。


「兵糧丸……本当に嫌だけど、食べるしかない」


 手のひらに転がる白い球体。

 食べ物とは思えない無機質さ。

 でも、これ一つで丸三食分のカロリーが賄える。

 口に放り込めば、すぐに血が巡り出すのを感じる。


 噛んだ瞬間に、苦味と甘味と辛味が喧嘩する最悪の味が広がる。


「……まっず」


 ため息まじりに水で押し流す。

 飲み込むと、胃の奥にじわりと熱が広がり、

 筋肉と意識にゆっくりと活力が戻る。


 そのとき、迷宮入り口のほうから金属音が近づいた。


 現れたのは、中堅以上の探索者の集団だった。

 分厚い盾を背負う男、魔導具を持つ女性──

 誰もが相応の修羅場を越えてきた風格を持っている。


 でも、それを見ても特に感慨はなかった。

 憧れもしない。尊敬もしない。

 結局、家族を置いて先に死んだ父も、その程度の「強者」だった。

 家族を守ることもできないのに、何のために戦ったのか。ただの情けない人だとしか思えない。


 だったら俺は──

 あの人と同じにはならない。

 ちゃんと稼いで、家族を守ってみせる。


「……稼がないと」


 立ち上がり、腰の装備を確かめて、ハルバートの重みを確認する。


 素材は十分に集めた。

 疲労も限界に近い。

 だけど、もう一体くらいならいける。

 自分に課せる余力は、まだ残っている。


 空腹までの猶予は少しずつ延び、

 力の反動も和らいできた。

 成長している証拠だ。


「……あと少し。次で終わりにする」


 自分に言い聞かせ、再び草原に足を踏み入れる。


 その足取りは、さっきより確かだった。


 高校入学まで、あと二週間。

 限られた時間の中で、どこまで進めるか。

 どこまで自分を変えられるか。


 それを試すには──まだ足りない。

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