第2話 ガボールの過去 両親の死
ガボールは小さな村で聖術師を生業とする家の1人息子だった。
聖術師とは人に祈りを捧げ、魂に触れ、傷を負った人間の自己治癒力を増幅させ、治癒を促進させる職業である。この世界には医師はおらず、代わりに聖術師がその役を担っていた。
骨折であれば、完治まで半年かかるものを3ヶ月程度に縮める程度が標準であり、ガボールの父もその例に漏れない程度の聖術師であった。
しかしそれでも大変貴重な存在である。
聖術師が不在の村もザラにあるし、そんな村で大怪我を負った者が出た場合には、担いで聖術師がいる村まで運ぶなんてことも普通のこと。
だからガボールの家は村の者から、とても大切に扱われたし、ガボール自身も可愛がられ、期待された。
そして小さな頃から父の仕事を見て育ったガボールも聖術師として順調に成長していった。
そんなガボールに転機が訪れたのは・・・彼が13歳の時だった。
彼の村を魔獣が襲ったのだ。
確かにガボールの村は魔の森から近い場所にあったけれども、今まで魔獣が襲ってきたことは過去に1度も無かった。
''魔の森''そこから先は人は立ち入らない。
代わりに''魔の森''に住むモノもそこから出ることはない。
何百年にも渡って、お互いに不可侵領域としての信頼関係が存在していた。
少なくとも村の住民にとっては…。
襲ってきた魔獣は魔鷲だった。羽根を広げると3mを超える体躯に火と風の魔力核を持つAクラス中位の魔獣。
その日は朝から何かが…おかしかった。
ガボールの家で飼っていた犬のラリーは朝の散歩に連れていこうとしても、テーブルの下に隠れてしまって家から一歩も出ようとしなかった。
家の裏で飼っている鶏は朝からずっと鳴きっぱなしで、不審に思ったガボールが鶏小屋に行くと…傷だらけで痙攣している、今にも死にそうな鳥が一羽、小屋の中に投げ捨てられていた。
その鳥を可哀想に思ったガボールは、自身の聖術の練習にもなると思い、自分の部屋に持ち帰り、急いで傷口を簡単に手当てしたあと、祈りを捧げた。
いつもよりも調子が良かったのか、その鳥は祈りを捧げ始めてから、程なくして痙攣は止まってくれた。もう直ぐに死んでしまうようなことはないだろう。
ガボールは、ふぅ…と安心すると同時に、全身にどっと疲れが襲ってきたのを感じた。
祈りは自身が想像していたよりも…ずっと体力を消耗してしまうのだなぁ…とガボールは思いながら、ベッドに倒れ込み…そのまま眠ってしまう。
眠りについてしまったガボールは、幼馴染のマリーが部屋のドアを叩きながら自分の名前を呼ぶ声によって目を覚ました。
まだ頭の中がハッキリとしないけれども、マリーの様子が差し迫った感じだったので、
「マリー、入って大丈夫だよ。」とガボールは慌ててベッドの上から返事をした。
その返事を聞いたマリーはガチャリとドアを開けて、ガボールの側へといき、ベッドに腰掛けて…話を始めた。
「ねぇ、ガボール?なんだか…今日変じゃない?うちの猫も朝からずっと何かに怯えているし…
ウチの隣りのマードックさんは、ネズミが集団で村から出ていくのを見かけたって・・・」
「マリー・・・うん、確かに朝から何だか…おかしい感じはするけど…でもきっと大丈夫だよ。」
ガボールはマリーを安心させるために、何の根拠もない言葉を口にした。
「うん…でも・・・あれ?ガボール、あの鳥はどうしたの?」
マリーが窓辺の小机の上で横になっている鳥を指差して尋ねた。
「ん?ああ、あの鳥かい。あの鳥は朝、鶏小屋で見つけたんだ。酷く傷付いていて…可哀想だから、手当てをして…祈りを捧げたんだよ。」
「そうなの。でもなんだか…気持ち悪いわね。」
「えっ…?ああ、小屋の中に投げ捨てられていたコトかな…?」
「あっ…うん。それもそうなんだけど…!?」
ーーーーーーークア゛ックックッワ゛ッー!!
クッワ゛ッッッグァアア゛ァァー!!!!
マリーが喋っている途中で…
鳥の鳴き声のような音が、耳を劈くような大音響で村中に響き渡った。
その振動で窓が揺れ…
「きゃっっっ!!」
マリーは堪らずに叫び声をあげた。
「マリー!?大丈夫っ?」
「あっ…うっ、うん。でも…今の音って…」
「ああ。なんか鳥みたいな?とりあえず外を見て………えっ・・・」
ガボールが喋りながら立ち上がり、窓を開けて…そこで言葉が止まってしまった。
ガボールの視線の先に居るのは…
見たことも無いような巨大な鷲だった。
それが何かを探すように…村の遥か上空を旋回していた・・・そして…
ものすごいスピードで急降下してきて。
ピタリと空中で止まり、
クッワ゛ッッッグァアア゛ァァー!!!!
鳴き声・・・いや…それはもう衝撃波と云うべき大音量を響かせた。
その振動で窓は割れ、ガボールもマリーも鼓膜が破れ…耳が聞こえなくなってしまった。
ーーー魔鷲
その存在は…ただの村人にとっては、自分達ではどうすることもできない…もはや天災であった。
その威容と鳴き声一つで…村人の心を折ってしまうには充分過ぎた。
そして…その天災が今度は巨大な翼を大きく広げ…羽ばたかせようとした。
その姿はまるで神話に出てくる神の使いのようで…村人達にいとも容易く死をイメージさせた。
ガボールも同様にその動きを目にして・・・自身に迫り来る死を覚悟した。
そして…その状況において13歳のガボールが選択した行動は、マリーを庇うことだった。
急いでマリーの側へ駆け寄り、魔鷲に自分の背中を向けて…マリーを包み込むように抱き締めた。
ガボールは自分のこの行動でマリーが助かるとは…到底思えなかった。
ただ何もしないよりはマシ。行動原理は唯それだけ・・・
それから…ガボールは無音になってしまった世界の中で、これから来るであろう衝撃に備え、必死に歯を食いしばった。
だがそれから…幾ら待っても、その衝撃がやってくることはなかった。
やがてマリーの方が痺れを切らせ、顔を上げ…それからゆっくりと窓の外を震えながら指差した。
ガボールが身体を振り向かせ…窓の外に目を遣ると・・・
魔鷲が翼を羽ばたかせ、炎を纏った暴風を村へ向かって巻き起こしていた。
あんなモノが村の家に直撃すれば…一瞬で村は火の海になってしまう。
けれど…その炎は村に到達することなく、見えない壁に阻まれ空中で四方に飛び散り霧散していく。
その光景を目にしたガボールは、急いで窓辺まで行き…窓から顔を出した。
「あぁぁぁぁぁ…………」
ガボールが心の中で、声にならない声をあげた。ガボールの目に映ったのは、
父が聖具を握り締めて膝をつき祈りを捧げて…母が父を後ろから抱き締めている・・・そんな2人の姿だった。
その横で犬のラリーが魔鷲に向かって、ずっと吠えている。
とても…とても悪い予感が、ガボールを襲った。
部屋のドアを開け、急いで階段を駆け下り…父と母の元へと急いだ。
玄関を出て…父と母の側まで駆け寄ると…
ガボールは、自分の悪い予感が的中していたことを理解してしまった。
父の顔は…今すぐにでも倒れてしまいそうなくらいに青ざめていて…
それを後ろから抱き締めている母も…同じように苦しそうな顔をして…息も絶え絶えになっていた。
「ねぇ……父さん…母さん……」
ガボールは父と母を呼んだ・・・
鼓膜は破れたまま…何も聞こえない世界で…
自分の声だけが…
頭の中で鮮明に響く…
父と母も耳が聞こえなくなっているのだろうか
ガボールは父の前に回り、膝をつき…両親と共に祈りを捧げようとした。
すると母の手がガボールの肩に触れ、
ガボールの方に顔に向け…青ざめた顔色のまま優しく微笑んで、口を開いた。
(あなたは…だめ…よ…)
無音の世界の中、聞こえないはずの母の声が…
聞こえた気がした。
ガボールが…顔をぐしゃぐしゃにして…首を横に振ると、
母はにっこりと笑い…ガボールの頭を優しく撫でた。
その優しい感触と一緒に…ガボールの心の中に父と母の感情が伝わってきた。
それは愛情で…慈愛で…覚悟だった…
祈りは魔法ではない。そして祈りを捧げるのは神にではなく、祈りの対象者にだ。
治って欲しいという気持ちが相手の魂に作用し傷を癒す。
守りたいという気持ちが聖壁を強くする。
言うなれば感情の発露である。
強い感情を生み出すにはエネルギーが必要で…
それを持続させるのも同様で…
ガボールの父と母は今・・・自分達の魂を削っていた…
自分達の息子を守るために…
ガボールも聖術師として歩み出した人間である。
ガボールはそれを心の奥深くで…理解してしまった・・・
「ね゛ぇ… やだ…よ…父さん゛…母さん゛っ…
早くっ゛…誰かっ…来てぇ゛・・・」
父と母、共に祈ることも許されず…魔鷲を倒すことも出来るワケがない。
ガボールは…13才の少年は、ペタリと地面に座り込み…助けを求めた…
それは人にだったのか…それとも神にだったのだろうか…
すると、ガボールは不意に背中から…マリーに抱き締められた。
ガボールが部屋を出て、下に降りた際に…
彼女もガボールを追いかけていたのだ。
玄関でずっと様子を伺っていたのだが、ガボールの嘆く様を見て…堪らずに玄関から飛び出してきてしまった。
「マ゛リ゛ー……?」
ガボールは…肩を震わせながら…届かない言葉を口から洩らす。
マリーは無言で、更に強くガボールを抱き締めることで返事をした。
(もし…ここで死んでしまうなら…せめて…ね。)
マリーも、この状況を理解し…覚悟していた。
ガボールの両親が力尽きた時が…自分達の終わりの時だと。
そして…ガボールとマリーは来るはずのない助けをひたすらに願い続けた。
それから…どのくらいの時間が経ったのだろう…
魔力は無限では無い。
魔鷲の放つ炎撃が目で見て分かる程に弱まり始め…
もしかしたら、このまま…何処かに去ってくれるのではないだろうかと、皆が期待を持ち始めた時、
ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!
魔鷲の翼を…何本もの氷の槍が貫いていった。
「グァア゛ッッー!!グァア゛ッッー!!
クッワ゛ッッッグァアア゛ァァ゛ァ゛ー!!」
ガボールも、マリーも、村人も、皆が耳をやられ魔鷲の声を聞くことは出来なかったが…
身体に伝わる振動で、魔鷲が痛みによって声を上げたことを理解して…
ガボールを除く…そこに居た誰もが期待に満ちた表情に変化していく。
ガボールだけは・・・その振動を感じられてしまうことが何を意味するのか…理解して、独り絶望の表情に変わっていった。
ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!
また何処からか…氷の槍が飛んできて、魔鷲の翼を貫いていく。
魔鷲は痛みに耐えかねて…その巨体を翻し、翼の向きを変え、上空に逃げようとしたトコロで、
ジャラ ジャラ ジャラ ジャラーーーー!!
鈍色の鎖が魔鷲の両足に絡み付き…その巨体のバランスを崩し、また氷の槍が今度は翼だけでなく魔鷲の身体も縦横無尽に貫いていった。
「グァア゛ァ…!!グァア゛ァァ…!!」
皆の身体に伝わる振動が殆ど感じられなくなる程に鳴き声も弱まるが、
氷の槍は止むことなく…ひたすらに魔鷲の身体を貫いて、
村に真っ赤な…生温い血の雨が降り出し・・・
ガボールの身体を赤く染め始めた。
やがて…ガボールの身体が深紅に染まり切った頃…
魔鷲は、クルルルーーーー!!と、一際高い…断末魔をあげ…鈍色の鎖に引っ張られるように、村の外へと落下した。
村の誰もが安堵に満ちた顔をして…自らが助かったことを喜んだ。
それは当然マリーも同じで、歓喜のあまり、魔鷲の血で深紅に汚れた顔を拭おうともせずに…そのままガボールに向かって笑いかけた。
しかしガボールは、そのマリーの笑顔にチカラなく笑い返してから…両親の元へと歩いていった。
くぅーん…
犬のラリーがガボールに向かって…悲しそうに鳴いた。
鳴き声は聞こえないが…ラリーの表情と仕草でラリーの気持ちを理解したガボールは、ラリーを優しく撫でて、
「ラリー…ありがとう…」
そう口にして…
祈りを捧げた格好のまま、ピクリとも動かなくなってしまった両親の元に座り込んだ。
「ゔぅぅ゛っ…父゛さん゛…母゛さんっ゛…」
自分の泣き声以外…
音の無くなってしまった世界で。
ガボールはただ…父と母のことを思い出して…
こんなことになるんだったら…
父さんと…もっと話しておけばよかった…
母さんに…もっと素直になればよかった…
もっと…もっと……なんでっ゛・・・・!!
ゔぅあ゛ぁぁぁぁぁぁあ゛ぁん゛っーーーー
嘆き悲しみ…号泣した…。
果たしてガボールの両親2人は幸せだったのだろうか。
この状況に置かれたコトは…ただただ不幸だったという他にない。
しかし置かれた状況において最善を尽くし、最愛の者を守ることが出来たということについては…満足することが出来たのだろう。
父と母、共に…その死に顔に陰りは無かった。
残された者…ガボールにとって…それだけは救いであった。
マリーはガボールの側へゆっくりと歩いていき、ただ無言で…彼に寄り添い続けた。
他の村の者は…ガボールにかける言葉が見つからず…しばらくの間、遠巻きにその光景を眺めていることしか出来なかった。
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