さようならの向こう側


 「魔力付与する」

 そう言ってジュチはベランダに出る。

 窓越しのジュチはレイネに忠告した。

 「転移先の地点と時間、間違えないでくださいよ」


 「わかってる。気を付けるよ」

 レイネがそう答えると、しばらくしてカラスは飛び立っていった。


 ──魔力付与。

 その響きは重々しいのに、杏の目には何の変化も映らない。


 「じゃあ、それっぽく玄関から帰るね。──今まで本当に、ありがとう」

 レイネが抱きしめてくる。


 華奢な身体。

 何度も抱きしめた、頼りない感覚。

 それでも、いつも満たしてくれる。

 とてつもなく大きな存在。


 おそらく最後の抱擁。


 「あーちゃん……」

 レイネが呟く。

 体越しに響くように伝わってくる。


 すぐ得られる答えなんて中々ない。

 長い時間が掛かるかもしれない。

 

 でも人は、知識として、文化として繋いできている。

 そういったものの上に立って今のみんながいる。

 だから、一人のようであって、ひとりじゃない。


 積み重ねてきたことを、大切にね。

 あなたは必要だから、生まれてきているの。



 

 レイネが離れる。

 温もりを感じていた場所が冷えてしまう。


 「もう行くね」

 彼女レイネは少し照れたように笑ってから、玄関に向かう。

 杏はその背中を追う。


 ドアノブに手を掛け、最後に振り返る。

 「本当にありがとう」


 「うん。来るときも突然。帰るときも突然。いつも突然。振り回されっぱなしだったけど……レイネと一緒にいた時間は、楽しかった。一生の思い出だよ」

 あふれる涙でまともに見えない。

 最後の最後なのに、まともにレイネを見れない。


 「いろいろごめんね。でも、私も楽しかったよ。向こうに帰っても……あーちゃんのことは忘れない。絶対に」


 ぼやけた視界。

 きっとレイネはいつものような笑顔だろう。

 だから私もせめて笑顔を作る。


 「ありがとう。……さようなら」

 レイネの澄んだ声が聞こえる。

 カチリとドアノブが周る音。


 開かれるドアから光が漏れる。

 真っ白な世界に、レイネの影が吸い込まれ、小さくなっていく。


 杏は涙の奥で、その姿を見届ける。


 ──さようなら。


 その言葉の向こう側に、不安は広がる。

 それでも、その先は「誰にも奪われない私の人生」がきっとある。

 そう思えるように、しっかりと見つめる。


 やがて光は収まる。

 そこには、いつもの見慣れたマンションから見える景色。

 緑と住宅地だった。


 * * *


 杏は、扉を閉めると、大きく息をついた。

 孤独と決意が、胸の中で交錯する。

 杏は、強い意思を抱き直し、リビングへと戻った。


 急に静かになったリビング。

 ひとりだけの空間。


 寂しさはいやでも感じる。

 それでも、レイネが現れる前の孤独とはもう違う。


 テーブルの上には、自分用に印刷した写真──レイネと並んで撮った写真。

 レイネが置いて行った、蕪島神社のグラスソルト。

 そしてスマホ。

 ロックを解除し、何気なくメッセージアプリを見る。


 そこには、杏に宛てた未送信のメッセージがある。


 ”あーちゃんへ

 確定申告は忘れずに。

 税金は怖いぞ


 あと、冷蔵庫に、ビーフシチュー入れてあるから食べてね”


 杏は、冷蔵庫の方を見る。


 そうだ。

 あの日も、突然、あの冷蔵庫からレイネが出てきて……


 部屋の電気がチカチカっと揺らめく。


 そうそう。

 こんな感じ。

 って──?


 冷蔵庫が「ガタゴト」と不吉な音を立てた。

 それは、ブーンブーンと唸り声をあげている。


 「なにごとー!」


 冷蔵庫の扉が勝手に開く。

 「ぱっかーん、到着ー!!」

 中から出てきたのは、レイネと見知らぬ男性。

 

 「え、えーー!? ちょっとー! 三分前に別れたばっかりでしょ!?」

 杏は呆然と立ち尽くす。


 「三分? すごーい!」

 レイネはガッツポーズを取る。

 「だいぶ正確に、時間移動と異世界転移できるようになったのだ!」

 レイネは得意げに胸を張る。

 ぱちんっとホックが外れる。


 「腕をあげたな、レイネ」

 同時に現れた背の高い男性が微笑む。

 「きゃー褒められた!」と嬉しそうにレイネは跳ねた。

 

 「ちょ、ちょっと待って! さっきの“さよなら”は何だったのよ!?」

 「えへへ、戻ってきちゃいました。だーりんと、この世界を見て回りたくて」

 首を傾げて、いたずらな笑顔。

 「あ、こちらが、いつも話してた小鳥遊杏さん」

 いつも通り置いてけぼりな杏を、レイネは男性に紹介する。


 「妻が大変お世話になりました」

 男性は丁寧に頭を下げる。

 「つ、妻っ!? なになに、どういうこと!?」

 もはや、理解する余裕はない。


 「てへへ。ゼクシィ持って帰って見せたら、こうなった」

 レイネは左手をひらひら。

 薬指には銀色の指輪が光っていた。


 「はぁぁぁっ!?」

 杏は間の抜けた声を上げる。


 「人妻です。レイネ人妻」

 ぎゅっと男性に抱き付く。

 「それより、ごめん、あーちゃん。行きたいとこあるから、ちょっとお先にお出かけね」

 レイネは男性の手を引いて、玄関から外へ。


 「夕方までには帰るからー!」

 手を振りながら去っていく。

 が、途中で止まり言い直した。

 「あっ、朝帰りかも。きゃー!」


 その一言に、杏は全力で叫んだ。

 「きゃー!じゃない!! 私の感動、返してよーー!!」

 リビングに響く杏の声は、別れの涙を吹き飛ばすほどのツッコミだった。



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同居人は異世界の女神さま!?

男に逃げられ、金も尽き、運まで消えたら、女神に振り回された件について


 ─完─


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