第10話 嫌なこと

 琴音と花音が自身に宿る異能に気付いた翌朝。何度寝直しても眠れなかった村井は何度目とも知れぬ時計の確認を行い、これ以上は無益と判断して仏頂面でベッドから起きた。


(……安眠香作るか)


 起きてすぐに村井は精神を整えて眠りに就かせるお香を作ることを決心した。今日も隣で寝ていた琴音がかなり魘されていた結果、彼は完全に寝不足だった。


「んぅ……?」


 そして村井が起きると花音も起きる。彼女は静かに寝ていたが、村井のことを抱き枕か何かのように抱えて離さないので村井は寝返りすら打てなかった。


(早く別々に寝たい。昨日買った折り畳みベッドは今日の午前にお急ぎ便で来るって話だったよな? 早く来ねぇかな……)


 ただ、この時の彼は知らない。この二人は自分から離れて寝ると、夜泣きすることを。対外向けの防音はしっかりと行っていた村井の家だが独り暮らしを想定していたため、当然のように家の中には防音も遮音もない。

 それらを総合的に勘案した結果、村井はしばらく安くない金で買ったベッドを放置した上で高い金を払って安眠香を焚き続ける事になるのだった。


 それはさておき。


 今日も朝からトイレで少し揉めた村井だが昨日のお風呂の時よりかはマシだと自分に言い聞かせて身支度を済ませて朝食の準備に取り掛かる。

 朝食の準備と言っても今日は昨日炊いたお米と昨日買ったレトルト食品だ。大した手間をかけずにレンジで全て作り終えると村井は左右にまとわりついて離れない二人と配膳を行う。


(今日も同じ感じか……)


 食事をどこに持って行くのかは自由にさせたが、二人揃ってソファに座る彼の両隣に食事を置いて並んで食べることを目で訴えかけてきた。村井はそれに何も言わずにみんなで食事を開始して二人を安心させる。


(何だろう。何か見てられるな……)


 可愛い二人の食事風景を眺めながら自身の食事を手早く済ませる村井。本来はもう少しゆっくり食べたいところだったが、今日は予定がある。そのため、二人の食事が終わるとすぐに話を切り出した。


「今日は午前中に来た荷物を荷解きして、午後は出かける。出来れば留守番していてほしいが……」

「え……」

「る、留守番ですか?」


 最初に村井が言った午前中の予定は昨日の内から聞いていたので分かっていたが、午後の予定を聞くなり二人は表情を曇らせる。しかし、そんな顔で見られてもダメなものはダメだ。村井は彼女たちを午後の予定に同行させるわけにはいかないと苦い顔できっぱりと告げる。


「午後は嫌な奴のところに行くんだ」

「嫌な人のところなんて行かなくていい」


 花音は村井の左手を全身で抱え込むようにして抵抗する。だが、村井はそれを否定した。


「いや、行かないといけないんだよ。今、二人は死亡扱いで処理されてるからそれを解除するところから始まって、両親が亡くなってるから色々交渉して奴が経営してる法人に後見人になって貰う必要がある。じゃないと勝手に保護してる俺がマズい」

「そうなの……?」


 難しい理由は花音にはよく分からないが、村井が言うには勝手に未成年を保護するのはよくないことらしい。そこだけ分かってくれれば突破口としては十分だと村井は続けて言う。


「あぁ。嫌な奴だけど、金さえ払えばこういう関係の手続きとかを何とかする仕事はしっかりやる奴がいるんだよ。ただ、二人を見せたらまたちょっと話が拗れる可能性が高い。だから残っててくれるか? ここに居れば安全だから」

「……花音、お兄さんの言う通りにしよう?」


 村井の言葉を受けて言う通りにすべきだと花音を諭す琴音。しかし、花音は村井の肩辺りに顔を埋めて無言の抗議体勢に入った。別行動が非常に不服なのだろう。

 だが、そうしていても埒が明かないことは理解しているのだろう。やがて涙を目に浮かべながらも頷いた。


「わかった……おにーさん、電話ちゃんと持って行ってね?」

「分かってる」

「昨日練習したライムで連絡するから、ちゃんと返してね」

「……分かった。ただ、色々話したりして返事が遅れることはあると思うからな?」


 先に念押ししておく村井。花音は少しだけぐずったが、了解してくれた。その後は殆ど予定通りに事が運び、午後一番には荷物の搬入が終わることになる。




 そして迎えた問題の午後。村井は二人に基本的には模様替えを済ませた各自の部屋にいるように告げて家を出る。目的の場所までは電車を乗り継がなければならない。


(はぁ……行きたくないな)


 憂鬱な気分で向かう目的地は都心にある大きな駅前ビルのワンフロアだ。表向きは諸角相談事務所という名前で経営されている法律相談所に村井は足を踏み入れた。


「おや、村井様。本日はどのようなご用件で?」


 カウンターまで出迎えてくれたのは美人の受付だ。彼女は村井の全身をて本人であることの確認を取ると彼を事務所内に招き入れる。だが、村井の方がそれを拒んだ。


「このままで。出来れば事務処理だけで済ませたいからな」

「ですが、オーナーの方が聞きたいことがあるようです。ご同行を」


 表情を崩さない美女に対し、村井は露骨に嫌な顔をした。ただ、ここで彼女の任意同行を断るのは今後の話し合いに支障が出る。本当に仕方がないといった苦い表情で村井は彼女に続いて事務所の奥にある所長室まで移動した。


「失礼します。諸角様、村井様をお連れしました」


 ノックした後、中から入室を促す女性の声がする。それを聞いて受付の女性は扉を開いた。


「よぉ、クソガキ。生きてたか」


 中で村井を待っていたのはスキンヘッドに三白眼。それに無精ひげを生やした絵に描いたような悪人面の男だった。彼は鍛えられた身体を高そうなスーツに押し込めて女性を侍らせ、村井に笑いかけて来る。そんな彼の笑みを両断して村井は告げる。


「二十代後半をガキ呼ばわりか。あんたも爺になったな、諸角さんよぉ」

「はっ! 元気そうで何よりだ。で、何の用だ?」


 攻撃的な笑みを浮かべ合っての軽口をすぐに終えて本題に移ろうとする諸角。村井はここで彼に主導権を握らせるのは得策ではないと判断し、彼のペースを乱すことにした。


「俺に用があるのはそっちだと聞いてるぞ。先に言ってくれ」

「……まぁいい。お前、かなりいい女を連れ込んだらしいな? えぇ? 御伽林のやつから聞いたぞ」


(やっぱりその話か……)


 下卑た笑みを浮かべながら前置きなどは不要だと言わんばかりに村井に問いかけて来る諸角。村井は想定通りの反応にげんなりしつつ答えた。


「まぁ、聞いてるなら仕方ない。うちで面倒看てる。今日はその話だ」

「俺に片方預けてみねぇか? 天国見せてやるよ」

「地獄の間違いだろ。ただでさえ可哀想なんだから止めてやってくれ。話を戻すぞ? この前受けた最後の依頼で巻き込まれた一般家庭があっただろ?」

「けっ、何が一般家庭だ。ネタは上がってんだよ。腹割って話そうじゃねぇか。なぁ姉の方だけでいい。俺に抱かせろ。話はそれからだ」


(相変わらず死ぬほど面倒臭ぇ奴だな……)


 村井は舌打ちしたい気分になった。いや、もうすでに舌打ちしていた。諸角という男はこういう男だと知っていても尚、面倒臭さが勝ってしまう。


「姉の方を抱かせろとか言うが、まだ13歳だぞ?」

「いいじゃねーか。俺が顔と穴さえよければゆりかごから墓場までイケるのは知ってるだろ? こんな業界だ。年齢なんざ関係ねぇな。いいから黙って寄越せっての」

「……はぁ。まだ見てもねぇガキ相手に色欲で話すら出来なくなったか。耄碌したな爺?」


 埒が明かないとばかりに村井は話を切って溜息をつく。様子を見ていた諸角だが、彼の視線を切って村井は半分身体を扉の方に向けつつ吐き捨てた。


「こんなんじゃおちおち仕事も任せられねぇ。別んところに依頼回すよ。どうせ俺は引退した身だしな。ここに来たのはただの義理だ。邪魔したな。二度と来ねぇよ」

「……チッ。クソが。二匹も飼ってるんだから片方味見ぐらいさせろや」


 適当に捨て台詞を吐いて本気で退室しようとしていた村井を諸角のアイコンタクトを受けた受付の美女が引き止める。諸角は煙草に火をつけると煙を吐き出して村井に問いかけた。


「んで? お前の方は何の用なんだよ」

「……あんたが言ってた二人の身元引受人になる。差し当たっては俺の引退で受けた依頼の事後処理に割り込んで死亡届を取り消したい」

「ほーん。250万な」


 興味なさそうに金額を告げる諸角。村井は一瞬、値切ろうか考えたがこいつと話すのが嫌なので次に進めた。


「で、家裁(家庭裁判所)に働きかけて未成年後見人を―――」

「はいはい。ウチで受ければいいんだな。これで500万だ」

「言っとくが、あんたじゃなくてあんたが経営してる企業の法人だからな?」

「わーってるよ。一々怠ぃな。契約書も出してやるよ、有料でな」


 その後も一色姉妹の貞操を奪いたがる下劣な言葉を繰り出しながらも諸角は仕事の話を進めた。その言葉の節々に村井は苛つき、会話をする気を削がれるがそれも諸角の術中だと理解し……それはそれとしてさっさと話を済ませにかかる。


「はい、一千万のお買い上げだ。他には? 何なら養子縁組までするか?」

「……いや、もういい。いつもの口座に全額振り込んでおくから仕事はしっかりしてくれ」

「はん、言うようになったなぁ?」

「依頼は以上だ。帰る」

「毎度あり。あぁ、金がなくなったらまた来いよ。こき使ってやる」


 互いに言葉を投げ捨てて二人は背を向ける。


(チッ! これで仕事は優秀だから質が悪い。まぁ、屑だからそれくらい出来ないととっくの昔に潰されてるだろうが……)


 村井はこの場に一色姉妹を連れて来なくて本当に正解だったと思いつつ受付で村井を案内してくれた美女に先導され、事務所を出てそのまま帰途に就くのだった。



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