第5話
「ここよ。」
薄暗い灯りの中、廊下や階段を下へ下へと進んで、とある部屋の前に辿り着いた。少し豪華なドアを女の子がノックすれば、「入れ」と厳格そうな声が聞こえてきた。
「さ、ここからはヤクザの領域よ。妙な真似したらすぐに殺されるから、態度と言葉遣いには気をつけることね。ま、貴方なら大丈夫でしょうけど、そっちの侍女はすぐに歯向かわないことね。大事なお嬢様を殺されたくなかったら、ね。」
ふんっと鼻を鳴らして小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。これは煽られているのかしら。リラーレが腹を立てると思ったのだけど……
「忠告として、受け取っておきます。」
意外にも素直に受け入れていた。本当に素直に受け取ったのか、喧嘩を売られたのかがわかるからこそ、リラーレも素直に応じるか喧嘩を買うか、その対応の違いはすぐにわかる。私から見たら喧嘩を売られたように見えたけれど、リラーレからしたら違うみたい。
「……あら。私の言葉を純粋に受け取った人なんて初めてね。仲良くなれそう。じゃ、頑張ってね〜。若は手強いから。」
彼女が、一瞬驚いたものの、すぐに笑顔を浮かべて、応援してくれた。演技だとは思えない人懐こい笑顔だった。少しは素顔を見せてくれたと思っていいのだろうかと思っていると、彼女がドアを開けた。
「みなさーん、リリアーナ嬢をお連れしましたよー。」
間延びした彼女の声を聞きながら部屋の中に視線を向ければ、眼帯をつけたいかつい男がソファに座り、その後ろに二人の線が細そうな男が二人立っていた。かなり重苦しい雰囲気だ。
「おせぇよ、リズ。」
「ひっどーい。私ちゃんと連れてきたじゃん!」
眼帯の男が文句を言えばリズが可愛くプンプンと怒った、フリをしている。でも、部屋の重苦しい空気は変わらない。
「ちげーよ。ドアをノックしてからが遅いって言ってんだ。」
「それはごめーんなさーい。でも侍女の子とは仲良くなれそうだったんだもーん。」
「はぁ……まぁいい。下がれ。」
「はーい。」
息苦しく感じそうな空気のまま、リズと呼ばれた女の子が部屋から出て行くとドアが閉まった。取り残された私たちのことはお構いなしに、男に座れと正面のソファを勧められた。
「失礼します。」
とりあえず、礼儀だけはわきまえないと。私の後ろにリラーレが立つと、再びドアをノックする音が響いた。
「シルです。お茶をお持ちしました。」
ドアの向こうから、心地よい少々低めの声が聞こえてきた。誰かの声に似ている気がしたけど、眼帯男の「入れ。」という声にかき消された。シルと名乗った給仕係っぽい男が台車を転がす音が後ろから聞こえてきた。カチャカチャと音がして紅茶を淹れる音の後に、男がカップを私と眼帯の男の前に出した。その時だった。給仕の男の手から滲み出た青い魔力を見て驚いたのは。
ばっと勢いよく男の顔を見れば、男がびっくりしたように目を見開いて私を見つめ返した。だけど、そんなことは気にせず、私は彼の顔を、魔力の色を見た。間違いない。私が、この魔力の色を、見間違えるはずがない。
「ア、アドル、ファス……様?」
「「え?」」
私が小さくつぶやいた名前は、静かだった部屋にしっかりと響き渡った。アドルファス様と同じ魔力の色をした男とリラーレの声が重なったが、多分それは私以外の全員から発せられたものだろう。この時ばかりは、私以外がシンクロしていたと思う。だけど、一番最初に我に帰ったのは私が見つめる男だった。
「えっと、失礼ですが誰かと間違えていませんか? 私はシルという名前であって、アドルファスという人間ではありませんよ。」
しかし、否定されてしまった。だけど、私はもう一度彼を見てみるが、ふしくれだった男らしい手も見覚えがあるし、背の高さも、体格も、首筋も、全て似ている。声だってそう。他人の空似というには無理がありすぎる綺麗すぎる青い魔力色は、私が一月前に見惚れたものと同じ。
「いいえ。絶対に、アドルファス様ですわ。私が、貴方の魔力の色を見間違えるはずがありません。」
「魔力の、色?」
訝しげな顔をした瞬間、はっと何かを思いついたような顔をして、次の瞬間舌打ちをした。
「ちっ、魔眼持ちかよ。」
はぁぁ……と深いため息を吐いて、セットしたであろう髪をぐしゃぐしゃにした。崩した髪は、冒険者のアドルファス様と同じだった。
「はぁ……まぁいい。」
ああ、あの時もかっこいい方だと思っていたけど、こんなにも凛々しいお顔をしていたなんて……私の好みドンピシャだわ。うっとりしちゃう。はっ、全然出会えなかった人が今ここにいる。ここで出会ったのだから、助けてもらったお礼をしないと。
「あの、アドルファス様!」
「なんだ。」
──この前はありがとうございました。──
「私と、結婚してください!!」
「「「は???」」」
あら? 私、今なんていったっけ。アドルファス様や、ヤクザの方々が呆気に取られたように口をポカーンと開けている。お礼を言っただけでそんな顔されるとは思わないのだけど……
「……お嬢様……多分、心の声と建前が逆です……」
「え?」
「結婚してくださいは、お嬢様の欲望でしょう?」
リラーレに指摘されて、私は心の声が声に出ていたことを知った。瞬時に顔に熱が集まったのを自覚した。再開できた嬉しさで舞い上がったこともそうだけど、大胆なことをした事実が恥ずかしかった。貴族の女が男に求婚なんてはしたないことをして、嫌われてしまったかもしれないという焦りから、涙目にもなった。
「あ!! ちが、いや、違くなくて……わぁあ、リラーレぇ!!」
ソファの後ろにいたリラーレのお腹に顔を埋めて羞恥に悶えていれば上からため息が聞こえた。
「恋をすると、ここまで人を馬鹿にするんですね……」
「その通りだけどひどいわよ!!」
泣きそうになっていると、リラーレが慰めるように頭を撫でてくれると、隣に人が座ったようで、ソファの座面が少し傾いた。ちらっと横を見ると、アドルファス様がソファの背もたれに頬杖をついて、私を観察するように見ていた。
「リリアーナ、だったか? お前、俺が助けたことで恋愛感情と、それ以外の何かを履き違えてねぇか? もしくは、お礼として嫁ぐべきとかいう、変な価値観を持ってるとか。」
純粋な疑問で聞き返してきている。拒絶してるわけでも、嫌悪感を抱いているようように見えなくて、私は涙目のまま彼に向き合った。
「親に言われたわけでもなく、好きでもない人に、思わず求婚する女なんていません。そして、この一ヶ月、あなたに会いたくて仕方がありませんでした。会いたくて、会えたらどんなことを話そうとか考えて胸がドキドキして、顔が熱くなって、会えなくて落ち込む。これが恋愛感情じゃないなんて、おかしいと思います。」
アドルファス様がちらっとリラーレを見ていた。リラーレは肯定するために頷くと、アドルファス様がこちらを見た。
「俺がヤクザの人間だって知った今も、気持ちは変わらねぇか?」
真剣な瞳に射抜かれて、頬が熱くなった。好きな人に見つめられることが、こんなに恥ずかしいなんて思わなかった。真剣な雰囲気なのに、そんなことを考えてる私は、おかしいのだろう。
「変わらず、あなたのことを知りたいと、願っています。」
恥ずかしくて、しどろもどろになってしまうけど、おそらく聞こえていたはずだ。アドルファスの瞳が少し、楽しげに細められたから。
「じゃあ、最後の質問だ。」
そういうと、アドルファス様が少し顔を寄せてきて、私の顎を軽く掴んで持ち上げた。至近距離で瞳を覗き込まれて、心臓が痛いくらいに早くなった。
「俺はヤクザだ。犯罪者が、女を優しく抱くなんざしねぇ。お前が、どんなに嫌がっても押さえつけて好き勝手するし、問答無用で孕ます。お前の尊厳なんてしらねぇが、それでも俺を愛せるか? 俺を、裏切らねぇと誓えるのか? この、血まみれになった手で、俺に触れられるんだぞ?」
揶揄ってるようにも見えるし、本当にするという脅しのようにも見える視線に、私は驚いた。その奥にある真意は、警告だ。引き返すなら今だと言われている。そして、ほんの少しの悲しみも滲ませて。
だけど、私はそんなこと知らない。そんなの、どうでもいい。
「貴方を知ることができるなら、貴方に触れられるなら、なんだっていい。」
私に引き返すように伝えようとする、この人の優しさを信じたい。
「痛みでも、死でもいい。貴方がくれるものならどんなものでも嬉しい。」
この溢れる気持ちを、この人に全部伝わればいいのにと願いながら、アドルファス様の頬に触れた。暖かくて、少し柔らかい肌だ。少し滑らせれば、意外と柔らかい癖毛の黒髪が触れた。ガーネットのような赤い瞳には、私のうっとりした顔が写っていた。
あぁ、恋って人をこんなにもおかしくさせるのね。死ぬなんて怖いし、痛いのも苦手なのに、この人に与えられるなら痛みでもいいなんて。アドルファス様に出会う前の私に言ったら、絶対に信じられなかった。
でも、それでもいい。
お願い、あなたのそばにいさせて。
そう願っていたら、アドルファス様が俯いて、肩を振るわせた。まだ、その瞳を見ていたかったのにと思っていたら、彼は大声で大口を開けて笑い出した。
「あっはははは! なにこの女!! まじで言ってやがる!!」
私の何かがツボに入ったようで、お腹を抱えて笑っている。ソファの座面をバシバシと叩いている始末だ。
「はぁ、やめやめ。終いだ、終い。」
いまだにククッと笑っているアドルファス様が立ち上がって、今まで存在を忘れていた眼帯をした男に向かって手を上下に振った。退けと言っているように見える仕草をされて、眼帯の男がソファから立ち上がると後ろの二人と同じようにソファの後ろに立った。そして、アドルファス様が眼帯の男が座っていた場所にどかっと勢いよく座った。心底楽しそうな笑顔で足を組み始めたので、私もリラーレも呆気に取られてしまった。てっきり眼帯の男が若頭と呼ばれる人なのかと思っていたのに、その場所に座るなんて……
「お前ら、聞いたかよ。すげーぜこの女。狂ってやがる。」
「ほんとっすね。俺ならあんなこと言われたら全力で逃げます。」
「同じく。」
眼帯の男以外に同意されてケラケラ笑っていると、眼帯の男がゴホンとわざとらしい咳払いをした。
「若、個人的には俺も面白い展開だと思います。しかし、威厳が壊れますのでしゃんとしてください。」
「んなもん知るかよ。壊しとけ。その方が多分おもしれぇ。」
ニヤニヤと笑って、さっき自分で用意していた紅茶を一口飲んだ。私も同じように、紅茶を飲もうとして気づいた。ティーカップの手前に置かれた銀製だろうティースプーンに。彼のカップにはないのに、私にはある。私のためじゃないだろうけど、配慮されたそれらに少し嬉しくなった。近くにあった角砂糖とミルクを入れてそのスプーンでかき混ぜて飲む。美味しくて優しい味わいがした。私がよく飲む紅茶と同じはずなのに、ずっと美味しいと感じた。
「さて、自己紹介から行こうか。」
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