【Story1】まちがいさがし

 青から黄色へと滑らかに移り変わる夜明け。本を開くと、棘の付いた葉と宝石のような実を付けた木が現れた。頭痛がするほど、甘い匂いを漂わせている。



 ――――



 ”レムは『ゆめのき』にたわわにみのったくだものを、パクリとたべました。

 すると、せかいがグニャリとゆがみました。

 きがつくと、そこはふしぎなふしぎなゆめのせかい。

 さかながそらをおよぎ、とりがうみのなかをとんでいました。”


 レムという少年が幻想的な夢の世界を冒険する童話――『レムと夢の国』。知る人ぞ知る隠れた名作であるこの童話には、一つの奇妙な噂がある。

 それは、物語に登場する『ゆめのき』が、現実にも実在する、というものだ。



 *



 雨漏りのように、締め切ったカーテンの下から淡い光が差し込む。夜が、明けてしまったようだ。相変わらず一向に重たくならない瞼に、僕は深いため息を吐いた。霞む視界とゆるく頭を締め付ける痛みを無視して、ベッドから起き上がった。

 眠れなくなった理由はよくわからない。元々寝つきが悪い方ではあったが、最近は一睡もできないまま朝を迎える日がほとんどだ。コーヒーをやめ、スマホもやめ、苦手な運動もしてみた。だが全く効果が見られない。医者から睡眠薬を貰いはしたが、強制的に意識が落とされる感覚が妙に恐ろしく、ほとんど服用していない。

 家のありとあらゆる家具にぶつかりそうになりながらも、どうにか大学へ行く準備をして僕は玄関を出た。

 睡眠不足のせいでまっすぐ歩くこともままならないので、僕はいつも人がいない早朝に大学に行く。道路には車もまばらで、通行人もほとんどいない。静かで冷たいこの時間は、少しだけ目を覚まさせてくれる。

 亀と同じ速度でバス停へと向かう最中、視界の端で、金色の光が瞬いた。

 強烈な違和感に勢いよく振り向くが、いくら見回してもなにも見当たらない。あの、繊細な翅は、蝶としか考えられない。

 

 ”レムは、きんいろのちょうちょうをおいかけました。

 ふわり、ふわり。

 ちょうちょうは、もりのおくへ、おくへとレムをつれていきます。”


 頭に浮かんだのは、子供の頃よく読んでいた童話『レムと夢の国』のワンシーン。主人公のレムを『ゆめのき』へと連れて行く案内人、それが『きんいろのちょうちょう』。物語の最中で度々登場する『きんいろのちょうちょう』はレムを夢の国へ連れて行ったり、現実の世界へと戻したりするキーパーソンだ。子供の頃はよく、どこかにその蝶がいないか、虫取り網を持って公園中を探し回ったものだ。

 懐かしさに思いを馳せる中、ふと、僕は一つの噂を思い出していた。


 ”『レムと夢の国』に登場する『ゆめのき』は現実にも実在する。”


 子供の妄想ではなく、インターネット上で噂されている眉唾物の話。僕が中学生ぐらいの頃に少し話題になり、様々なブログで『ゆめのき』の考察や実際に探索する様子が記事にされていた。僕も、探したことがある。まあ、当然のように空振りで終わったが。

 今、あの噂はどうなっているのだろう?

 僕は久しぶりに自分からスマホを手に取った。眩しさに目を細めながら検索してみると、見覚えのあるブログと最近の新しいブログが一気に画面に表示された。どうやら、まだ噂は残っているらしい。一番上にあったブログをタップし流し読みしてみる。その中のとある一文に、僕は大きく目を見開いた。


 ”作者の地元は○○。この地域に何かあるのでは?”


 ○○。今、僕が住んでいる地域だ。

 再び、視界の端に金色の蝶がちらついた。鱗粉が誘うように舞っている。

 頭の中で、糸が切れる音がした。現実と僕を繋ぐ太い糸が切れた。寝不足で見た幻覚だとしてもいい。もう、眠れないのは疲れた。


 「よし、夢の国に行こう」


 僕はそう呟くと、踵を返して金色の鱗粉を追いかけた。



 金色の鱗粉を追いかけ、僕は住宅地を抜け、商店街を通り過ぎ、気が付けば町外れの森の中へと足を踏み入れていた。

 生い茂る木々の隙間を軽やかに抜ける蝶を見失わないように、縺れそうになる足を必死で動かす。頬を掠める枝を避け、蜘蛛の巣をくぐり、隙間なく植えられた木をすり抜けたその先の、不自然に開けた空間で、蝶は動きを止めた。妙に甘い香りが僕の鼻を刺す。


 ”あまいかおりは、そのきからただよっていました。

 そのきは、とげとげしたはっぱをもち、ルビーのようなあかいくだものと、アメジストのようなむらさきのくだものがみのっていました。


 「『ゆめのき』だ!」


 レムはさけびました。”


「『ゆめのき』だ……」


 か細い悲鳴のような声が僕の口から零れる。

 蝶が翅を休める木は、柊のような棘のある葉を持っていた。赤と紫色のラズベリーのような果物が実っており、宝石のように輝いている。

 呼吸が浅くなり、全身に震えが広がる。気を抜けば膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

 僕は何度も深呼吸をし、震える足のまま『ゆめのき』に向かって一歩踏み出した。近づく度に香りが濃くなり、視界の端で光が点滅する。それでも、僕の歩みは止まらなかった。

 たった数歩の長い距離をどうにか歩き、僕は震える手で『ゆめのき』になる紫色の果物をもぎ取った。蝶は木の上で静かに僕を見つめている。

 僕は、ためらうことなく、その果実を口に含んだ。

 瞬間、喉が焼けるほどの甘さと、久しく感じていなかった強い睡魔が同時に僕に襲い掛かった。吐き気と安堵が綯い交ぜになり、体から力が抜ける。感想を抱く間もなく、僕の視界は暗転した。



 *



 雨漏りのように、締め切ったカーテンの下から差し込む淡い光に、僕はベッドから飛び起きた。

 既視感どころではない、まるで時間を巻き戻したかのような光景。唯一違うのは、暴力的な甘さが口の中に残っていたことだけだった。心臓が早鐘を打ち、荒い呼吸を繰り返すことしかできない。震える手で、自分の頬を抓ってみる。

 痛い。

 喉から空気が擦れる痛々しい音が鳴った。頭の中で嵐が巻き起こったかのように、”今日”の記憶が猛烈な勢いで再生される。

 僕は、朝、体を起こし、大学へ行く準備をして、家を出た。その途中で『きんいろのちょうちょう』を追いかけ、『ゆめのき』を見つけ、その果実を食べた。そして今、再び、朝に体を起こした。

 蝶を追いかけたのは夢だったのか? ならば、口に残るこの甘さは何なのだ? 夜明けの空に、魚ではなくスズメが飛んでいるここが、夢の国なのか?

 何もわからない。何もわからないが、もしここが現実だとしたら、大学へ行かなければならない。

 僕は酷い頭痛に耐えながら、どうにか大学へ行く準備をして、玄関を出た。

 記憶通り、この時間は道路には車もまばらで、通行人もほとんどいない。でも、妙な違和感があった。

 曲がり角への距離が、やけに遠く感じる。電柱の数は、こんなに少なかっただろうか?

 見覚えはあるが、記憶にはない見慣れた景色。寝不足の所為で間違えて覚えていたと言われてしまえばそれまでだが、どの景色も、何かが違う気がして気味が悪かった。

 落ち着かない気分でバス停へと向かっていると、視界の端に、またあの金色の蝶が見えた。何一つ変わらない姿で、僕をあの森へと連れて行こうとしている。

 既視感しかない光景に、意識が遠のきかける。


 ”ゆめのせかいには、『ゆめのき』そっくりなきがありました。

 でも、なにかがちがいます。

 なにがちがうのかは、だれもしりません。

 それでも、みんな、ちがうとしっていました。”


 僕の意識を引き戻したのは、『レムと夢の国』のラストシーンだった。夢の国にある『ゆめのき』とよく似た木の果物を食べることで現実に戻る、重要なシーン。そして、その木へとレムを連れて行くのが、僕を待っているあの蝶だ。

 ならば、追うしかない。

 恐怖と不安で震える体をどうにか動かし、僕はふらつく足取りで蝶を追いかけた。

 追うことしか、できなかった。



 気味の悪い住宅地、違和感しかない商店街を通り過ぎ、僕は再び町外れの森の中へと足を踏み入れていた。

 もう、走ることはできなかった。よろめきながら、這うようにして蝶を追いかける。蝶も僕に合わせて愚鈍な動きで木々の間を飛んでいた。

 倍以上の時間を掛けて、僕はようやくあの不自然に開けた空間にたどり着いた。相変わらず、鼻につくような甘い香りが辺りに漂っている。

 たしかにその木は、先ほどと何かが違っていた。葉の形も、果物の色も、香りも、全てが記憶と変わらなかったが、直感的に、何かが違うと理解していた。

 この木の果物を食べれば、現実に戻れる。

 最後の力を振り絞って僕は『ゆめのき』によく似た木に駆け寄ると、赤色の果物を乱暴にもぎ取った。蝶は木の上で静かに僕を見つめている。

 僕は挑発するかのように鼻で笑うと、手の中の赤い果実に、思いっきりかぶりついた。

 纏わりつくような悪趣味な甘さと、強い睡魔が僕に叩きつけられ、僕は再び気を失った。



 *



 雨漏りのように、締め切ったカーテンの下から差し込む淡い光に、僕は、起き上がることすらできなかった。

 口の中は嫌というほど甘く、頬を抓ると痛い。

 僕はゆっくりと起き上がると、部屋着のまま家を出た。

 車も通行人もまばらな夜明けの冷たい空気が肺を刺す。空には、スズメが飛んでいた。曲がり角への距離は、このぐらいだった気がする。道路脇の電柱も、このぐらいあった気がする。

 見慣れた景色を追いかけ、覚束ない足取りでバス停へと向かう。家とバス停の中間地点に来た時、視界の端で、金色の鱗粉が舞った。

 振り返れば、朝日を浴びて翅を美しく輝かせる蝶が、そこで僕を呼んでいた。

 僕は乾いた笑いをこぼすと、膝から崩れ落ちた。視界が大きく歪み黒へと染まる中、蝶が朝日に消えていくのが見えた。目の前で輝くものが、光なのか、鱗粉なのかは、もう見分けなどつかなかった。



 ――――



 朝日に溶けるように、その木は姿を消した。甘い匂いだけが、書斎に残っていた。

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