5.月に吠える

5−1

―――――

君はやがて

陽を呼びに海に帰る

君のいない日々を

どうして耐えることができるだろうか

顔を見せておくれ

横顔だけではなく

僕を見て、微笑んでほしい

ただそれを願うことの、何がいけないのか


おおア・レおおア・レ

見放さないでおくれ

戯れなればと

その手を離さずにいておくれ

おおア・レおおア・レ

忘れないでおくれ

朝の訪れとともに

その音を絶やさずにいておくれ


きっとまだ月は高く

君といるべき時もまた、長く


ポルフィリオ・イ・アントネジア、作

“新月にはまだ早い”より

―――――


 思わず、足を止めていた。

 ギターの上でせわしなく動き回る指先。それが弾き出す旋律と鼓動。木箱のようなものに跨がり、踵や指先でその表面を叩きつける。複雑に絡み合う手拍子と異国の言葉。男の、哀愁ある吠え声。

 踊り。女の肢体からだ。弾け、ときに尾を引き、乱れる。宙を舞うスカートの残像。動き、止まる。旋律に混ざるヒールの音。

 艶やかな赤。黒の花弁。咲き誇っていた。



おおア・レ


 喝采。そして、拍手。ビゴーもまた、手を叩いていた。

「こりゃまあ、素晴らしいですな」

「ありがとう。気に入ってくれたようで何よりだよ」

 額に汗をたぎらせた、日に焼けた肌の色男。ポルフィリオと名乗った。

「ルンバ・フラメンカ。こっちで言うところのジプシー・ルンバかな。うちの伝統舞踊を下地に、もっと激しく楽しくやろうぜって感じさ」

「となりゃあ、ユィズランドのものですかね?」

「そうだよ。そして、僕たちもね」

 そうして、きらりと笑った。

 南ユィズランドからの移民だという。二十人ほどで渡ってきたうちの、この八人で、楽団のようなことをやって稼いでいるそうだ。こちらに来て二ヶ月ほどになるが、皆を食わせていけるほどには稼ぎが上がっているとも。

「警察っていうと面倒な連中ばかりだと思ってたけど、あなたは優しいのね」

 しっかりした眉の綺麗なひと。頬にベーゼをよこしてきた。

「アントネジア。僕の姉さん」

「よろしく、ビゴーさん」

「こりゃまたどうも。それこそご面倒をお掛けします」

「ほんと、大変。私たちが来たぐらいから、人狼ルー・ガルーが出たって大騒ぎ。鼻息の荒いやつらが、お前らだろうって詰め寄ってきて」

「あはは。そいつはどうも、ほんとうにご迷惑を」

 言いながら、ビゴーは深く礼をした。


 若い女を狙った殺しが三件。ここ二ヶ月である。

 腹部を滅多刺し。その上、人間の噛み跡まで残っていた。検死を担当した医者が漏らしたのだろう、青鷺あおさぎ出版がこれを人狼ルー・ガルーになぞらえたことから、一気にその名が広まった。

 今のところ手がかりはない。ダンクルベールがボドリエール夫人に協力を要請しているところだった。


「身の回りに不安があれば、一家シミヤーのジスカールという方をお頼り下さい。法の加護を受けられないものを守ることを生業なりわいとしているものです」

「ありがとう、そして、心配しないで。うちの男連中は腕っぷしもあるから、ごろつきだろうが人狼ルー・ガルーだろうが転がしてやるんだから」

「はは。それは頼もしい限りです」

「誰であろうと、私の足元に跪かせて、めろめろにしてやるわよ」

 そう言ってアントネジアは踵を返した。


 かき分けた髪の間から見えたうなじのあたり。目立つほくろがひとつ、目に入った。


「ポルフィリオ・イ・アントネジアだ。南ユィズランドの楽団でしょう?俺もこの間、かみさんと見ましたよ」

 庁舎に戻ったのち、見てきたものを報告したところ、マレンツィオが嬉々とした表情で笑っていた。

 天下御免。あの尚武のマレンツィオ家の嫡男である。ジョアンヴィル地方の支部次長を任されていたが、先ごろ捜査一課課長として首都近郊に異動してきた。格好も言動も、悪党の親玉のほうがよほどお似合いだが、年上のビゴーに対しては礼節をもって接してくれた。

「確かに人狼ルー・ガルーの出現と同時期だ。疑われたって仕方がない。ましてこっちより治安のよろしくないユィズランドから来たとなれば、尚更だ」

「そうですね。あたしも見た限り、怪しいものは感じませんでした」

「まあ、頭ん中に留めておく程度で十分でしょう。それよりも、ダンクルベールの当てずっぽうだ。今朝方、ガンズビュールに出立したようだが、どうなんだか」

「それについて、課長に具申いたします」

 フリムランが割って入ってきた。いくらかに鼻息が荒い。

「ダンクルベール大尉殿の行動は、いささか独断専行が過ぎるかと存じます。機密保持の観点からも、重要案件を外部の協力者に頼るなぞとは」

「お前が解決できるってんなら、やってみろ。もう三人死んでいる。今のところ、さしたる証拠もない。三日やるから、その間にくそったれの人狼ルー・ガルーとやらを引っ捕らえてこい」

 不機嫌そうにマレンツィオが声を荒げた。それで、フリムランの体が一気にすぼまった。

「言うだけ無料ただだ。結果を出せなきゃ何の意味もない。その点、あのダンクルベールめは、ご自慢の当てずっぽうでメタモーフまで捕らえやがった。それを超える実力だとか団結力だとかがあるんだったら、どうぞご自由に、だ」

 その言葉で、捜査一課の面々が皆、下を向いた。

「ふん。まさしく言うだけ無料ただだな」

「課長。そのあたりで」

「そうですな、先輩。これで躍起になってくれるんだったら、こちらも叱った甲斐があるってもんですからな」

 口をへの字に曲げながら、マレンツィオはどっかりと背もたれに体を任せた。

 何しろ下の者への面倒見がいい上に、こういった人を下げるような行いを極端に嫌う。ダンクルベールなど才能のある人材はともかく、フリムランのようなその他大勢にとっては、いくらかやりづらい人物かもしれない。


「外見的特徴、身分、役職に一切の共通点はない。そう思い込んでいると、リュシアンは言っていた」

 警察隊本部長官コンスタンにも、念の為報告を上げた。ラガーの瓶を煽りながら、うそぶくようにそう言った。

「ビゴーさんにひとつ、頼み事をしたいんだぜ」

「何でしょうか?」

「聞き込み。被害者の家族に、確認してもらいたい」

 のそりと、その長身を前に出した。ビゴーもあわせるように身を乗り出した。

「ほくろだよ」

「ほくろ?」

「ちょっとした思いつきだがね。目に見えるところにほくろがなかったか、聞いてきてほしいんだよ」

 ぞわりと、肌が粟立った。

「既にそれぞれのご遺体は、火で清めちまってるからな。確認するには、それしかない」

「かしこまりました。もしくは一重瞼とか、そういう細かいところ。あたしが行って、聞いてきます」

 起立し、敬礼。コンスタンは座ったまま、手を振っていた。



 ほくろ。ふと、思い返した。

 アントネジア。うなじのあたりに、ほくろがひとつ、目立っていた。


(つづく)

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