【偽典】人魚姫

五來 小真

幼少期

 ◆

 あるところに、王子がいました。

 彼には母親がおらず、友達もおらず寂しい日々を送っていました。

 公務がない夜に海を見ることだけが慰みで、今日も海を眺めています。


 そんな折、どこからか声が聞こえてきました。

 声は女の声でとても美しく、王子の心に染み渡ったのでした。

 しばらくそのまま聞いていたのですが、王子はその歌声に合わせて歌ってみることにしました。


 すると、一瞬歌が止まりました。

 彼は不安になりつつもそれでも歌い続けると、はじめおずおずと、やがて力強く歌は重なり合いました。

 姿こそ見えないけど、王子はそこにつながりを覚えたのでした。


 その日から、毎夜歌の歌い合いの逢瀬が始まりました。

 何年も何年も。

 たまに質問することもありましたが、その時は返事がなく沈黙されました。

 そしていつになっても、声はすれども姿は見えないままでした。



 ◇

 人魚の姫である人魚姫は、歌が大好きでした。

 人間は野蛮で、人魚は真珠の涙を流す為に、捕まったら殺される。

 海の王である父には、そんな教えを受けて育ちました。


 ある時人魚姫は、陸からは見つかりにくい小さな入江を見つけました。

 冒険心が手伝って、それでも人間がおそろしかったので、真夜中にそっとそこに行きました。

 地上の世界は海と違って新鮮で、月がいつもより美しく感じました。

 人魚姫は、そうしてつい歌ってしまったのでした。

 すると、歌を合わせてくる声が。


 人間?!


 ビクッとなる人魚姫。

 姫の声がなくなった歌声は、どこか寂しく不安な音色を奏でていました。

 人間は野蛮という教えが頭を掠めますが、どうしてもその声を放っておくことはできません。

 そこで姫はおずおずと、声を合わせてみることにしました。


 初めて合わさった歌声。

 不器用ながらも、一つに合わさった旋律。

 相手の声音が、嬉しそうに変化しました。

 それが嬉しくて、こちらの歌声も力強くなっていきます。


 明日もまた来よう。


 そうして何度も何度も歌を歌い合ううちに、二つの声は一つのハーモニーとして完成されていきました。

 歌が良くなる喜びが大きくなる度に、どうにも人魚姫の心はざわめきます。


 いけない、ここで止めておかなくては。

 相手の顔を見たら、きっとこれは止められなくなる……!


 そう思った人魚姫は、自分に一つのルールを課しました。

 歌以外の接触を禁止することを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る