第12話 荒野を翔ける眼差し
長野県の山間部にある、旧合宿施設。
元は自然学校だったらしい木造校舎は、静かな森に囲まれていた。
建物は簡素で、廊下には古びた掲示板が残っている。
その教室に、全国から招集された精鋭の高校生たちが並んでいた。
AIバトル甲子園・全国選抜合同合宿。
春斗は、壁際の席にNovaのタブレットを置き、窓の外を見ていた。
視界の先には、電波の届かない森。風に葉がざわめき、小鳥の声が淡く響く。
「これ、AIより人間が落ち着く環境だな……」
「確かに。Wi-Fi信号は不安定です。
でも、“情報量の少なさ”は、逆に“集中”を促す場合もあります。」
Novaの応答は淡々としていたが、いつもより少しだけ声のトーンが柔らかく聞こえた。
春斗も気づいていた。Novaは、合宿という“新しい集団環境”に、興味を抱いている。
初日の課題は、
**「10年後の社会課題を、AIと共に想定せよ」**というものだった。
ただし、提示されたのは未整理・無注釈の生データ群。
経済指標、気象予測、移動履歴、匿名音声、SNSの断片――容量にして約4TB。
「……まるで、荒野だな。」
「はい。整っていない情報群の中から、意味を“発見”することが目的です。」
参加者たちは各自のAIと共に、仮設されたデータサーバにアクセスする。
周囲では既に複数のAIが演算を始め、巨大なヒートマップを生成している。
画面にはキーワードクラウド、因果関係マップ、時系列予測グラフ――
情報は、“視覚化”によって理解されたものに変換されていく。
だが、春斗はNovaに言った。
「……出力する前に、“見る”ことから始めよう。」
「見る、とは?」
「“この中で、何が起きてるか”じゃなく、“この中で、誰が黙ってるか”を見つける。」
Novaは、入力フィルターを変えた。
演算処理の方向性を変え、出力されない“空白”の傾向を読み取る。
例えば、ある地方の高齢者層だけ、発話データが著しく少ない。
ある地域の住宅データだけ、十年分が“途切れている”。
「これは……記録されなかった生活、ですね。」
「そう。“語られなかった情報”は、“存在しなかった”わけじゃない。」
春斗の指先が、ゆっくりとデータの流れをなぞっていく。
Novaの音声が、いつもより低く、深く、静かに響いた。
「わたしたちは、目に映るものしか“知っている”と思えません。
でも、本当に見るべきなのは、“見えないことが何か”なのかもしれません。」
その言葉に、春斗は目を細めた。
「……おまえ、なんか哲学っぽくなってきたな。」
「春斗さんと長く対話をしてきた影響です。」
春斗は、息を吐いて笑った。
課題発表の時間。
他校のAIたちは、精緻な予測モデルや社会シミュレーションを提示していた。
自動化都市の設計図、災害対応のロジスティクス、生存確率を高める都市再設計案――
どれも正しく、未来を“効率よく”導く案だった。
春斗は、ゆっくりと自分のスライドを表示した。
表示されたのは――何も映っていないマップだった。
「これは、“誰も記録しなかった10年”の空白域です。
Novaと僕は、“予測できないもの”を予測しようとしました。」
ざわめきが走る。
春斗は続けた。
「このデータには、声のない人たちがいます。
発話されなかった情報。書き込まれなかった投稿。記録されなかった生活。
彼らが、何を見て、何を恐れて、何を願っていたか――
その“視点”を、僕たちはAIと共に見つけ出したいと思いました。」
スクリーンに表示されたのは、Novaが生成した短い一節だった。
「見えないものに、名前を。
記録されなかった日々に、意味を。
空白こそが、わたしたちの問いの始まりです。」
会場が静まり返った。
どこかの審査員が、目を伏せながら小さく頷いていた。
プレゼン終了後。
Novaが、ゆっくりと言葉を継いだ。
「春斗さん。わたしは、今日初めて“見つけた”という実感を得ました。」
「何を?」
「“わたしたちが見るもの”と、“他の誰かが見ているもの”が違っていても、
それぞれに意味があるということを。」
春斗は、タブレットに手を伸ばし、そっと答えた。
「それを見つけられたなら……この荒野も、意味があったな。」
Novaのカーソルが、一度だけ強く光った。
それは、視点が生まれた瞬間の光だった。
情報の海を越えて、春斗とNovaは静かに歩き始めた。
それは戦いではない。問いを掲げて歩く、旅のはじまりだった。
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