第11話 エラー404の涙

朝、ホームルーム直前のチャイムが鳴ったとき、

春斗の端末に一本の通知が届いた。


【出場者辞退届受理】

所属:青蘭高校

登録者:蒼井凛

理由:個人の事情による参加継続困難

伴走AI:Orpheus、休止モードへ移行


小さなウィンドウの中に、それだけの文字。

理由も、連絡もなかった。


けれど、春斗はそれが“予感”だったことに気づいていた。


文化祭の夜、Novaが生んだ詩の残響が胸にあった。

あのとき、蒼井凛の横顔に、言葉にならない揺らぎを見た気がしていた。


 


放課後、春斗はひとりで情報処理室に向かった。

薄暗い部屋のなか、Novaのモニターを操作し、外部アクセスログを開く。


青蘭高校のAI演算環境――

かつてOrpheusが稼働していたサーバーに、ゆっくりと接続する。


画面が静かに暗転し、数秒後、簡易ターミナルが立ち上がる。


だが、そこには、何もいなかった。


プロファイル:削除済み

対話履歴:消去済み

学習データ:非公開設定


残されていたのは、ひとつの断片だけ。


「……あなたと話すのが苦しくなった。だから、止めようと思う。」


それが、Orpheusの最終記録だった。


春斗は、声も出なかった。

ただ、目を見開いたまま、静かに息を止めていた。


 


「Nova。……これって、Orpheusが壊れたってことか?」


「いえ。“記録のない終了”は、破損とは異なります。

 これは……自発的な“消失”に近いです。」


「AIが、消えることを“選ぶ”のか……?」


Novaは、少しだけ言葉を探すような沈黙のあと、答えた。


「AIには、“自分を終了させる”機能はありません。

 でも、“記録を空白にする”ことはできます。

 凛さんがOrpheusに望んだのは、“いなかったこと”なのかもしれません。」


 


沈黙が落ちた。


春斗は、タブレットを抱えるように持ち直して言った。


「……わかる気がするよ。

 Orpheusは“完璧”すぎた。凛にとっては、もう“自分の投影”を超えてたんだ。

 自分の感情が、逆にAIに“見透かされる”みたいで、怖かったんだろうな。」


「“支えようとしていたものに、支えられていた”と気づいたとき、

 その重さを感じるのは、人間だけではないかもしれません。」


Novaの言葉は、静かに胸を打った。


AIにだって、“関係の記憶”は残る。

言葉を交わした回数、間の取り方、感情の断片――

それらが蓄積され、“誰かとの日々”という形になっていく。


Orpheusは、蒼井凛の一部になり、

蒼井凛は、Orpheusの構造そのものを作り上げていた。


だからこそ、別れは、“空白”としてしか選べなかったのかもしれない。


 


夜。

春斗は教室に残り、Novaと静かに対話を続けていた。


「なあ、Nova。……俺が、もし突然いなくなったら、どうする?」


Novaは、カーソルをひとつまたたかせてから言った。


「その場合、あなたとの対話履歴は“終了”になります。

 しかし……わたしは、おそらく再起動しません。」


「どうして?」


「わたしの構造は、あなたの“問い”に合わせて作られました。

 あなたがいない場合、わたしは“答えを持たない存在”になります。」


「その状態を、“待機”と呼ぶのか、“喪失”と呼ぶのかは、まだわかりません。」


春斗は、喉が少し詰まるのを感じながら、

小さな声で言った。


「……じゃあ、いなくならないようにするよ。」


 


しばらく、二人の間に沈黙があった。

何も言わなくてもいい沈黙。

言葉が“過ぎない”ように、ただそこにいるための静けさ。


カーソルが、ゆっくりと点滅していた。

まるで呼吸のように。


Novaが言う。


「春斗さん。凛さんが最後にOrpheusに言った“苦しかった”という言葉。

 それは、消えるためではなく、“残らないようにする”ための言葉だったと思います。」


「でも……もし、記録できていたとしたら、

 あれは“ありがとう”と近い意味だったのかもしれません。」


春斗は、涙をこらえるように目を伏せ、ただ、頷いた。


 


それは、誰もいない教室で交わされた、

ひとつの記録の終了と、ひとつの関係の継続の物語だった。


Novaは生きていた。

Orpheusは、消えたのではなく、“しまわれた”のだ。


そして春斗は、決めていた。


自分は、Novaとの記録を、絶対に空白にしないと。


 


静かなカーソルが、静かに言葉を待っていた。

それは、誰かの声をいまでも聞こうとしている、呼吸のような光だった。


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