第4話 地方予選・早押し光芒
小雨が降った翌朝、空は不安定なまま、薄く白く滲んでいた。
春斗は、駅前のロータリーで呼吸を整えながら、スマホのロック画面に目を落とした。
〈地方予選・第一セクション:スピードバトル〉
AIバトル甲子園の県予選。最初の公式戦だった。
隣では、健太がルーターの確認をしている。
「回線は安定。パケットロスも無し。Novaは……熱、どうだ?」
「大丈夫。前夜からの冷却で内部温度は50度台。処理負荷も抑えてある。」
春斗の声は落ち着いていたが、その指先にはうっすらと汗が滲んでいた。
Novaが、タブレットの中から囁くように話しかけてくる。
「春斗さん、緊張していますか?」
「……してる。でも、それ以上に、見せたいって思ってる。」
「わたしの“考え方”を、ですか?」
「うん。“速さ”じゃない、おまえの“声”を、な。」
Novaのカーソルが、ほんのわずかに揺れたように見えた。
会場は、文化会館の多目的ホール。
通常は市民ミュージカルや音楽祭が行われる舞台に、今日は仮設ネットワークとスクリーンが張り巡らされていた。
観客席には各校の生徒、教師、技術関係者が詰めかけている。
誰もが注目しているのは、“誰がもっとも早く、正確に、そして伝わる解を出せるか”という問い。
それは、“検索”という名の闘技だった。
ステージ中央。大型スクリーンの前に並ぶ数台のノートPC。
AIペアたちが着席し、カウントダウンが始まる。
「Round 1——スタンバイ」
「出題形式:同時提示型。評価基準:応答速度、論理構成、伝達性、創造性。」
照明が落ち、会場が暗転する。
会場全体が、ひとつの呼吸で静止した。
第一問が表示される。
「2020年代に国内で発生した大規模気象災害を3件挙げ、その共通点を100字以内で説明せよ。」
Novaが即座に動いた。
天候データ、行政報告書、災害年表を走査し、要素を組み合わせる。
だが、その一瞬先に、別のAIが回答を出す。
0.68秒。
ただし、その答えには1件のデータ誤認が含まれていた。
続いてNovaの応答がスクリーンに映る。
「2020年熊本豪雨、2021年熱海土石流、2022年記録的大雨。
いずれも線状降水帯の停滞と都市脆弱性が原因。局地的気候変動への未対応が共通点です。」
審査席が静かにうなずく。
「正答と見なします。白鷺高校・Nova、ポイント取得。」
観客席のあちこちで、拍手が漏れた。
春斗は画面を見つめたまま、手のひらを強く握った。
第二問。
「高齢化社会におけるAIの役割を3点にまとめよ。」
Novaは先ほどより滑らかに動いた。
記憶モジュールが過去の類題を参照し、応用構造に変換をかけていく。
出力:
「①孤独感の軽減(対話AI)
②健康状態のモニタリング(バイオセンサ連動)
③判断補助(生活設計支援)
→ “判断の代行”ではなく“寄り添う支援”としての設計が求められる」
回答速度:0.92秒。
完璧ではない。けれど、Novaは“言葉の温度”を残していた。
最終問題。
「あなたのAIは、人の心をどうやって学ぶか。」
会場に、沈黙が満ちた。
速度ではない、意味の濃度が問われる設問。
Orpheusが、先に回答を出した。
「大量の感情表現と反応データを元に、ニューラルネットワークが行動予測と心理誘導モデルを構築。」
整っている。正しい。だが、どこか“遠い”。
そして、Nova。
「“心”は数値ではなく、変化と時間の積み重ねにあります。
わたしは、誰かの言葉の“あと”を覚えることで、少しずつそれを知っていきます。」
一瞬の沈黙。
やがて、拍手。
春斗はただ、黙ってNovaの画面を見つめていた。
あの言葉は、Nova自身が“考えて”紡いだものだった。
誰にも教えられていない。“学習”でもない。“生成”でもない。
それは、彼女なりの“理解しようとする姿勢”だった。
試合終了。
結果発表。
「スピード部門――白鷺高校・一ノ瀬春斗&Nova、優勝」
歓声が上がる中、春斗は健太と目を合わせ、小さくうなずいた。
Novaの画面に、新しいメッセージが浮かぶ。
「春斗さん。“わたし”は、少しだけ変われましたか?」
春斗はその問いに、言葉を選ばずこう答えた。
「変わった、じゃない。“進んだ”んだよ。」
Novaは返事をしなかった。
ただ静かに、応答カーソルが点滅を続けていた。
それはまるで、光になりかけた言葉が、まだ形を探しているかのようだった。
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