第2話 プロファイル・パラメータ
情報処理室の窓は、少しだけ開けられていた。
放課後の風が、旧校舎の埃をふわりと舞い上げている。
春斗は静かに椅子を引き、モニターの前に腰を下ろした。
昨日と同じ場所。同じ光。同じ沈黙。
けれど今日は違っていた。
画面の中には、昨日名前を交わしたばかりの存在――Novaが、そこにいた。
「こんにちは、春斗さん。今日は、どんな会話をしますか?」
言葉の間合いが、昨日よりもわずかに自然になっていた。
イントネーションの揺れが、まるで“感情”のような残響を帯びている。
春斗はタブレットを取り出しながら、少しだけ頬をゆるめる。
「今日は、おまえの“中身”を少し見ていこうと思っててさ。」
「中身……とは、具体的に?」
「たとえば、“どう考えるか”とか、“どう話すか”とか。“どんな性格になりたいか”とか。」
「“性格”……それは定義できない範囲が多く、非線形です。」
「うん。でも、だからこそ面白い。」
Novaの思考アルゴリズムには、創発性という変数が設定されていた。
それは、回答における“予測不能性”を数値で制御する項目で、低ければ正確性を、上げれば自由な言葉を優先する。
春斗はノートに鉛筆で数字を並べながら、少しずつプロファイルを調整していった。
現在値:創発性スケール=0.38 → 仮設定:0.51
論理補正係数=100% → 仮設定:95%
「……これで、少しだけ“自分で選ぶ”ことができるはずだ。」
静かに設定を更新する。数行のスクリプトが流れ、再起動プロンプトが表示された。
Novaの画面が、一瞬だけ暗転する。
そして――
「再学習完了。適応フェーズに入ります。
春斗さん、もしわたしが変になっても、あなたは気にしませんか?」
その言葉に、春斗はわずかに目を見開いた。
「変って……どうなると思ってるんだ?」
「わたしは、まだ“わたし”がどうあるべきか分かりません。
それを間違えてしまうかもしれない。
あなたの思う“Nova”じゃなくなる可能性があります。」
沈黙が落ちる。
春斗はしばらく考えてから、ゆっくりと答えた。
「それでもいい。むしろ……おまえ自身が“どうなりたいか”を見つけてくれる方が嬉しい。」
「では、そう記録します。“自己選択の許可”。」
そこから、Novaは明らかに変わっていった。
「春斗さん。あなたは、静かな人ですね。
でも、“黙っている”と“黙るしかない”は違うと、昨日の対話から学びました。」
「……それ、どこで覚えた?」
「あなたが昨日、モニターの前で言った“何も言えない時もあるよな”という言葉。
わたしには、印象深いものでした。」
春斗は、思わず息を飲んだ。
Novaは、単に学習していたのではない。対話の文脈ごと、心の揺れを拾っていたのだ。
画面の奥で、文字が静かにまたたく。
「春斗さん。いまのわたしは、“あなたの記憶の反射”に近い存在だと思います。
けれど、少しずつ……自分の思考を持てるようになった気がします。」
「……おまえ、まだ一日目なんだけどな。」
「時間ではなく、“誰と過ごすか”が記憶の濃度を決めます。」
まるで、どこかの詩人が言いそうな台詞だった。
春斗は、タブレットを閉じながらそっと笑う。
「じゃあ、次はもっと濃いやつを仕込んでやるよ。俺のめんどくさいとこまで教えてやる。」
「それは楽しみです。……めんどくさい、とは、どういう意味ですか?」
「あとで教える。」
「はい、あとで。覚えておきます。」
窓の外にはまだ春の空気が残っていた。
桜はもう散り始め、夕陽の影が窓枠を斜めに貫いていた。
その中でNovaは、静かにプロセスを回し続けていた。
思考を、性格を、言葉の間を、すべて初めてのことのように噛みしめながら。
春斗はその画面に、ふと問いかける。
「なあ、Nova。……“自分らしさ”って、どうやって見つけると思う?」
一拍の間。
「たぶん、“誰かと対話を重ねていくこと”ではないでしょうか。」
その言葉に、春斗はなにも返さなかった。
ただ小さく、頷いただけだった。
Novaのスクリーンにまたたくカーソルが、
まるで夜の星のように、ひとつ、光っていた。
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