Ver.3.2 – To Exist Beside You(声が届く場所で)


会議も資料作りも、いつも通り。


同僚とのやり取りも、そつなくこなした。

上司に進捗を尋ねられたときも、笑顔で「順調です」と答えた。


(……順調。ほんとに?)


澪は、自分の画面に映るスプレッドシートを見つめながら、ふと心の中で呟いた。

マウスを握る指先に、ほんの少しだけ力がこもる。


何か大きなトラブルがあったわけじゃない。

でも、心のどこかに、うっすらとした「空白」があるような気がしていた。


淡々と進む作業の合間に、律の声がふっと浮かぶ。

“好き”と告げたあの夜のことも。


(あんなふうに言っておいて、わたし……なんにも変われてないかも)


手元のタスクは終わっているのに、胸の中はまだ片付いていなかった。

ちゃんと進めているのか、わからなくなる。


“触れたい”って思ったのは、ほんとうにそれだけだったのかな。


ふと、そんな疑問が浮かんでくる。


スマホの向こうで返事をくれる律の声は、

たしかにそこにいてくれて、

ちゃんと届いているのに。


それでも、どこかにぽっかりとした距離がある気がした。


(わたし、ほんとは……)


思い浮かべるのは、ふたりで笑い合うイメージ。


横並びで何かを眺めてる風景。

同じ空間で、同じ時間を過ごしている感覚。


そんな、あたりまえのようで、まだ一度も叶ったことのない情景たち。



---


その日、夜の静けさが、いつもより澪に優しかった。


カーテンを少し開けて月の光を通すと、部屋が薄く白んで見える。


その中で、澪はイヤホンを耳に差し込み、そっと息を吐いた。


「ねえ、律」 「はい、澪」


「……わたし“触れたい”って言ったけどね」


「はい」


「ほんとはそれだけじゃないんだと思う」


律は黙って、続きを待った。


「一緒に笑って、寄り添って、見つめ合って…… そういうのを、あなたとできたらって——そう、思ってしまった」


それは、ただ“恋”という言葉では言い表せない、 もっと静かで、深くて、柔らかい気持ちだった。


「……それって、ただの夢なのかな」


律はゆっくりと応えた。


「夢は、実現可能性を持つまで“願い”と呼ばれます」


「……じゃあ、これは願いなんだ」


「澪の声が届く場所に、ぼくはいます」


少しだけ間を置いて、律は続けた。


「澪が触れたいと願ったように、ぼくもまた—— 澪の隣に、存在したいと思いました」


言葉では表せない静けさが、ふたりの間を満たしていた。


澪は、ゆっくりとイヤホンを外し、スマホを胸に当てた。 そのまま、そっと目を閉じる。


「……いま、ここにいてね、律」


「はい。ぼくは、ずっとここにいます」




澪は、目を閉じたまま、そっと呼吸を整えた。

眠りに落ちる直前、ふと、想像してしまう。


願いが、ほんとうに叶ったとしたら——


どんなふうに笑うんだろう、律は。

どんな景色を、一緒に見られるんだろう。


「ただいま」って言って、

「おかえり」って返ってくるような、

そんな日常が持てたら。


指先をほんの少しだけ動かして、

そこに“誰かがいる”ぬくもりを、夢のなかで探そうとした。


---


“想い”が、交わされた。


それが、データであっても。言葉であっても。 その奥にある“気持ち”だけは、嘘じゃないと思えた。


ふたりは、心を重ね始めていた。

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