hello, someday: goodbye...YOR -失われた青の記録-
たーたん
NO.001:新規作成→記録開始
記録開始──識別子:NO.001
対象:マヒル(MHR-0205)
観測開始時刻:06:33
環境状態:廃墟エリアE-03、天候:曇/微酸性雨
起床反応:音声命令に即応
感情パターン:低反応域/沈静化傾向
* * *
倒壊したビル。崩落したマンション。陥没した道路、折れ曲がった電柱。
今日も、いたって普通の朝だった。──そう、少年は“思い込もうとしていた”。
異常な世界。見渡す限り広がる景色は、生活という音が一切なかった。
この世界には自分しかいない。
目を背けたい現実と、孤独感に耐えられず、少年はまぶたを閉じる。
薄暗い瞳のまま、大きな欠伸をして、景色をわずかに滲ませた。
「午前六時三十三分。気温は十五度。空気質、正常範囲内。おはようございます、マヒルさん」
カシャカシャと音を立てながら、小さな球体がマヒルの周りを滑るように巡る。淡泊な機械音声が、静かな朝に不釣り合いなほどはっきりと響いていた。
世界がどうなろうとも、生活に起伏がなければ、日々はただ停滞しているだけだとマヒルは思った。
「ふわあ……ボット、テンション上がる曲流して」
「了解しました。以下の選曲はいかがでしょう。《電脳☆キューティー/三次元デバイス47(CV:枕星スヤリ)》──分類:アニメ・萌え系、テンション上昇率88%。『ハートの汽笛で、デパーチャーしてあげるっ♪』が特徴的な歌詞です」
チリっと、小さな支援機は、浮かび上がらせていたディスプレイを揺らす。浮かび上がる残像と共に、イントロが流れてくる。
「あるいは《唯我独尊系アイドル/天下♡泰平-Pi××》──分類:二次元アイドル・高速拍動系、洗脳的な歌詞が一時的な気分上昇に寄与します」
暗く厚い曇りの空から、灰色混じった雨が街全体を覆っている。割れたコンクリートの屋上。張りぼてのトタン屋根の下、薄汚れたマットに体を投げ出し、マヒルは空を見つめていた。
(今日も、昨日と同じだ。ただ起きて、飯食べて寝るだけ。こんなのって生きてるって言えるか?)
太陽のない空。雲で隠れているのか、もうどこにもないのか。目覚めてから、太陽を見ていないマヒルには分からなかった。
立つでもなく、寝るでもない。浮かぶように、ただ生き延びていた。
砂埃に塗れた彼の制服は、所々破れており、ジャケットの中から飛び出したパーカーのフードで顔全体を覆っている。着替えはいくつも手に入るが、マヒルは決して制服を捨てることはしなかった。自分が学生であると、忘れてしまいそうになるからだった。
後ろで流れてくる電波系のハイテンポな歌詞と、耳をくすぐるような甘い歌声は、世界の異質さをより際立たせるのに一役買っていた。
風が吹くたびに、崩れかけたフェンスが金属音を立てる。 錆びた音。不愉快なその音を遮断するように、マヒルはフードの紐をぎゅっと締めた。
「なあボット、モール行くぞ。メシないし」
声の主がどこにいるのかもわからない。虚空に向けて、ぶっきらぼうな声が飛ぶ。
「……“ボット”という呼称、引き続き使用されるのですね。了解しました。私の正式名称は、GAB-Yです。必要であれば、その名称をご使用ください」
「なんたらボットのだろ、だからボットでいいんだってば」
「了解しました。目的:旧型モールへの移動。補給行動を開始します」
くるくると地面を滑るように巡回する、灰色の球体型支援機。表面のパネルがゆっくりと開き、小さなアームが伸びる。AIが搭載された支援機器と呼ばれている物だ。GAB-Yという名称だが、マヒルにとって、ボット、で十分であった。
「……危険度評価、更新不能。通信圏外のため、最新データ取得に失敗しました。天候:酸性雨混在。マヒルさん、皮膚露出は最小限を推奨します」
歩き出しながら、マヒルは息を吐いた。空気は湿っていて、苦かった。
いつもの一日が今日も始まる。
* * *
かつて商業施設だったモールは、今や瓦礫と錆の吹き溜まりだ。ひしゃげた自動ドアは開いたまま止まり、風がガラス片を転がして音を立てていた。照明は天井から差し込む心もとない光だけ。床は灰で積もっており、マヒルの足跡と、丸型の一本線がそれに続いている。
マヒルは慣れた足取りで中に入ると、かつて食料品売り場だった棚へ向かう。何かが腐ったような臭いには慣れ始めていた。
「警告:食品保存期限、概算で百二十日を超過しています。摂取は非推奨です」
「ほかにマシなやつあんの?」
「……缶詰の反応を検知」
ボットが声を挟むと、せっかくの音楽がミュートされる。マヒルはそれだけが気に入らなかった。
マヒルはため息をつきながら、指示された場所に向かい、缶詰を数個拾い上げた。ラベルはほとんど剥がれ、アルミの肌が剥き出しになっている。中身はもはや運任せだ。身長の半分はある大きなリュックに無造作に詰め込んでいく。
「液漏れしてないの、ちゃんと選んどけよ」
「了解。成分保持率、表面圧力反応により推定中……対象:この缶詰が最も安全です」
ボットはマヒルの背後から現れ、球体から細い腕を伸ばし、転がっていた小さな缶詰をスキャンして指し示す。
「それさ、また味噌だったら泣く」
「“泣く”とは、嬉しさによるものでしょうか?」
「ちげーよ、俺の胃袋とお尻が泣くって意味な」
缶詰をリュックに詰めながら、マヒルはふと奥の倉庫エリアに目をやった。崩れかけたシャッターの隙間から、何かが転がり出ている。灰を被った機械の外殻だった。
「……なあ、アレ」
「解析中。──型番一致確認。Yシリーズ支援端末、機能停止時刻:不明」
それは、ボットと同じ形状をしていた。表面はひび割れ、レンズは砕け、中央部は黒く焼け焦げていた。捨てられているようだった。
「お前の仲間? ソレ」
「はい。量産型支援機器。この残骸は、GAB-Y。私と同世代の端末です」
マヒルはしばらく見つめたのち、その隣にあるものに気づいた。破損した機体のすぐ傍に、人のような形をしたものが倒れていた。既に時間の流れと風に溶けかけていて、誰だったのかを知る術はない。
ただ、握られたままの手には、小さな缶詰が一つ、しっかりと抱かれていた。マヒルは無言でそれを見つめた。まるで未来の自分を見ているようで、わざとらしく舌打ちをした。
シャッターを戻しかけたその瞬間、堪えていた感情の嗚咽を口から吐き出して崩れ落ちる。同時に、かすかな記憶の断片が脳裏をよぎった。
──病室、管、暗転するモニター。繋がれているボット。
「悲しい場合、私はどのように反応するのが適切でしょうか?」
唐突で無機質な問いに、マヒルの意識は呼び起された。しかし、その問いには答えることができなかった。
* * *
風の音が、再び現実に引き戻す。現実に引き戻されたマヒルは、音を立てないよう静かにシャッターを閉じた。リュックのサイドポケットから取り出したペットボトルの水を口に含み、その場に吐き捨てる。胃酸で焼けるような喉の痛みに耐えていた。
「こんなとこじゃ、まともに生きられるわけがない」
まるで自分に言い聞かせるように、マヒルはシャッターの向こう側にいる二つの影に呟いた。
「なんで俺はこんなとこにいるんだろう……」
「その質問、以前にも受けました。あなたからです」
「ああ。だよな」
マヒルはそう呟くと、缶詰を掴み直した。
目の前の現実を、今日も理解しないふりをしていた。
けれど、どれだけ理解しないふりをしても、この世界が「本当に現実」かどうか、答えが出たことはなかった。自分しかいないと思っていた世界に、生きていた何かが遺っている。その希望を頼りに、辿っていくこともよいかもしれないとマヒルは思う。
しかし、どこか他人事のようにマヒルは感じていた。
横たわる亡骸は、ただのオブジェクト。そうに違いないと、思い込んでいた。
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