死ぬ。

その二文字が、常楽院雛子の脳裏に、冷たく、そして絶対的な事実として刻み込まれた。

ジジの気配が急速に薄れていく。

融合し、さらに強大な怪物と化したシャオ・ツー(あるいはフロイドと呼ぶべきか)が、赤い飢えた光を宿した瞳で、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへとにじり寄ってくる。

その全身から放たれる、禍々しい霊子エネルギーのオーラが、礼拝堂の空気を圧し潰すかのように重く垂れ込めていた。


(シャオ・ツーくんを…止めなければ…)


雛子の思考は、極限状態の中で、それでも冷静に活路を探ろうとしていた。

あの少年もまた、被害者なのだ。

山城の狂気的な計画の、そして、彼自身の制御不能な力の犠牲者。

彼を無力化し、あの忌まわしい融合状態から解放しなければ、この連鎖は断ち切れない。

だが、どうやって? ジジを失った今、自分一人で、あの怪物に立ち向かえるというのか?

怪物が、再び咆哮を上げた。

それは、もはや音ではなく、純粋な破壊の意志そのものだった。

床が、壁が、天井が、その波動を受けて激しく震え、亀裂が走る。

ステンドグラスの破片が、まるで黒い涙のように、ハラハラと舞い落ちた。


(…無理だ…)

一瞬、雛子の心に、深い絶望がよぎった。

あまりにも、力が違いすぎる。

ICAのエージェントとしての訓練も、心霊ハッカーとしての特殊な能力も、この絶対的な暴力の前では、あまりにも無力だった。

グレッグも、壁際で意識を失ったまま動かない。

もう、誰も助けには来ない。


諦め。

その甘美な響きが、雛子の疲弊しきった精神に、囁きかける。

もう、いいのではないか。

全てを投げ出して、この悪夢から解放された方が、楽になれるのではないか。


怪物が、その異常に発達した腕を振り上げた。

鋭く尖った爪が、死神の鎌のように、雛子の頭上へと振り下ろされる。


(…ごめんなさい…ジジ…グレッグ…そして…)

雛子は、固く目を閉じた。

衝撃に備え、奥歯を噛みしめる。

だが、その瞬間。


ふわり、と。


まるで、温かい陽だまりに包まれたかのような、不思議な感覚が、雛子の身体の奥底から、静かに、しかし力強く湧き上がってきた。

それは、彼女自身の意志とは無関係に、彼女の内なる何かが、生命の危機に反応して覚醒したかのような、根源的な力の胎動だった。


それは、優しく、そして限りなく力強い、生命そのもののエネルギー。

それは、彼女がこれまで感じたことのない、全く新しい種類の霊子エネルギーだった。

ジジが使う、洗練された制御された力とも、シャオ・ツー(フロイド)が放つ、荒々しく破壊的な力とも違う。

もっと純粋で、もっと温かく、そして、あらゆるものを包み込み、育むような、慈愛に満ちた波動。


(この感覚は…何…?)


驚きと戸惑いの中で、雛子の身体が、淡い七色のオーラに包まれ始めた。

それは、SIDのAR表示でも、ファミリアの実体化でもない。

彼女自身の肉体そのものが、内側から発光し、変容していく。

人間とも、ファミリアともつかない、光り輝く、何か神々しい存在へと。


振り下ろされた怪物の爪が、その光のオーラに触れた瞬間、まるで硬い金属にでもぶつかったかのように、甲高い音を立てて弾き返された。


「グオオオオオオッ!?」

怪物が、信じられないというように、驚愕の声を上げる。

その赤い瞳が、初めて恐怖の色を浮かべて、変容した雛子の姿を見つめていた。


雛子の意識は、どこか遠くにあった。

自分の身体が、自分の意志とは別に動いているような、奇妙な感覚。

だが、不思議と不安はなかった。

むしろ、絶対的な安心感と、全能感に満たされている。

この力なら、あの怪物を止められる。

いや、救うことができる。


光り輝く存在へと変容した雛子が、ゆっくりと右手を上げた。

その指先から、七色の霊子エネルギーが、まるで生きているかのように溢れ出し、シャオ・ツーと融合した怪物へと向かって、激しく、しかしどこか優しく、流れ込んでいく。


二つの、強大な、しかし質の全く異なる霊子の力が、礼拝堂の中央で激突した。


凄まじい衝撃波が、再び空間を揺るがす。

だが、それは先ほどまでの破壊的な波動とは違っていた。

雛子から放たれる七色の光は、怪物の放つ黒いオーラを、まるで浄化するかのように包み込み、中和していく。


桜花学院の校舎全体が、悲鳴を上げ始めた。

壁が砕け、床が裂け、空間そのものが、まるで薄いガラス細工のように、ミシミシと音を立てて歪んでいく。

それは、単なる物理的な破壊ではない。

この場所にかけられた、何らかの特殊なエネルギーフィールドが、二つの強大な霊子の衝突によって、そのバランスを崩し、崩壊を始めているのだ。


その歪みは、学院の敷地を超え、周囲の森へ、そして麓の街へと、まるで波紋のように広がっていく。

空の色が変わり、大気の密度が変わり、時間の流れさえもが、不安定に揺らぎ始める。

まるで、世界の法則そのものが、根底から書き換えられていくかのような、壮絶で、そしてどこか幻想的な光景。


「グ…アアアアアアアッ!」

シャオ・ツーと融合した怪物が、苦悶の叫びを上げた。

その巨大な身体を構成していた、むき出しの筋肉や金属パーツ、黒いチューブが、雛子の放つ七色の光に触れるたびに、まるで陽光に晒された闇のように、ボロボロと崩れ落ちていく。

フロイドの、あの禍々しい獣人の部分が、シャオ・ツーの身体から、まるで古い瘡蓋(かさぶた)が剥がれるように、細かな光の粒子となって、虚空へと消えていった。


そして、後に残されたのは、気を失い、ぐったりと床に横たわる、十四歳の少年の、あまりにも小さく、そして脆い姿だけだった。

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