3
死ぬ。
その二文字が、常楽院雛子の脳裏に、冷たく、そして絶対的な事実として刻み込まれた。
ジジの気配が急速に薄れていく。
融合し、さらに強大な怪物と化したシャオ・ツー(あるいはフロイドと呼ぶべきか)が、赤い飢えた光を宿した瞳で、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへとにじり寄ってくる。
その全身から放たれる、禍々しい霊子エネルギーのオーラが、礼拝堂の空気を圧し潰すかのように重く垂れ込めていた。
(シャオ・ツーくんを…止めなければ…)
雛子の思考は、極限状態の中で、それでも冷静に活路を探ろうとしていた。
あの少年もまた、被害者なのだ。
山城の狂気的な計画の、そして、彼自身の制御不能な力の犠牲者。
彼を無力化し、あの忌まわしい融合状態から解放しなければ、この連鎖は断ち切れない。
だが、どうやって? ジジを失った今、自分一人で、あの怪物に立ち向かえるというのか?
怪物が、再び咆哮を上げた。
それは、もはや音ではなく、純粋な破壊の意志そのものだった。
床が、壁が、天井が、その波動を受けて激しく震え、亀裂が走る。
ステンドグラスの破片が、まるで黒い涙のように、ハラハラと舞い落ちた。
(…無理だ…)
一瞬、雛子の心に、深い絶望がよぎった。
あまりにも、力が違いすぎる。
ICAのエージェントとしての訓練も、心霊ハッカーとしての特殊な能力も、この絶対的な暴力の前では、あまりにも無力だった。
グレッグも、壁際で意識を失ったまま動かない。
もう、誰も助けには来ない。
諦め。
その甘美な響きが、雛子の疲弊しきった精神に、囁きかける。
もう、いいのではないか。
全てを投げ出して、この悪夢から解放された方が、楽になれるのではないか。
怪物が、その異常に発達した腕を振り上げた。
鋭く尖った爪が、死神の鎌のように、雛子の頭上へと振り下ろされる。
(…ごめんなさい…ジジ…グレッグ…そして…)
雛子は、固く目を閉じた。
衝撃に備え、奥歯を噛みしめる。
だが、その瞬間。
ふわり、と。
まるで、温かい陽だまりに包まれたかのような、不思議な感覚が、雛子の身体の奥底から、静かに、しかし力強く湧き上がってきた。
それは、彼女自身の意志とは無関係に、彼女の内なる何かが、生命の危機に反応して覚醒したかのような、根源的な力の胎動だった。
それは、優しく、そして限りなく力強い、生命そのもののエネルギー。
それは、彼女がこれまで感じたことのない、全く新しい種類の霊子エネルギーだった。
ジジが使う、洗練された制御された力とも、シャオ・ツー(フロイド)が放つ、荒々しく破壊的な力とも違う。
もっと純粋で、もっと温かく、そして、あらゆるものを包み込み、育むような、慈愛に満ちた波動。
(この感覚は…何…?)
驚きと戸惑いの中で、雛子の身体が、淡い七色のオーラに包まれ始めた。
それは、SIDのAR表示でも、ファミリアの実体化でもない。
彼女自身の肉体そのものが、内側から発光し、変容していく。
人間とも、ファミリアともつかない、光り輝く、何か神々しい存在へと。
振り下ろされた怪物の爪が、その光のオーラに触れた瞬間、まるで硬い金属にでもぶつかったかのように、甲高い音を立てて弾き返された。
「グオオオオオオッ!?」
怪物が、信じられないというように、驚愕の声を上げる。
その赤い瞳が、初めて恐怖の色を浮かべて、変容した雛子の姿を見つめていた。
雛子の意識は、どこか遠くにあった。
自分の身体が、自分の意志とは別に動いているような、奇妙な感覚。
だが、不思議と不安はなかった。
むしろ、絶対的な安心感と、全能感に満たされている。
この力なら、あの怪物を止められる。
いや、救うことができる。
光り輝く存在へと変容した雛子が、ゆっくりと右手を上げた。
その指先から、七色の霊子エネルギーが、まるで生きているかのように溢れ出し、シャオ・ツーと融合した怪物へと向かって、激しく、しかしどこか優しく、流れ込んでいく。
二つの、強大な、しかし質の全く異なる霊子の力が、礼拝堂の中央で激突した。
凄まじい衝撃波が、再び空間を揺るがす。
だが、それは先ほどまでの破壊的な波動とは違っていた。
雛子から放たれる七色の光は、怪物の放つ黒いオーラを、まるで浄化するかのように包み込み、中和していく。
桜花学院の校舎全体が、悲鳴を上げ始めた。
壁が砕け、床が裂け、空間そのものが、まるで薄いガラス細工のように、ミシミシと音を立てて歪んでいく。
それは、単なる物理的な破壊ではない。
この場所にかけられた、何らかの特殊なエネルギーフィールドが、二つの強大な霊子の衝突によって、そのバランスを崩し、崩壊を始めているのだ。
その歪みは、学院の敷地を超え、周囲の森へ、そして麓の街へと、まるで波紋のように広がっていく。
空の色が変わり、大気の密度が変わり、時間の流れさえもが、不安定に揺らぎ始める。
まるで、世界の法則そのものが、根底から書き換えられていくかのような、壮絶で、そしてどこか幻想的な光景。
「グ…アアアアアアアッ!」
シャオ・ツーと融合した怪物が、苦悶の叫びを上げた。
その巨大な身体を構成していた、むき出しの筋肉や金属パーツ、黒いチューブが、雛子の放つ七色の光に触れるたびに、まるで陽光に晒された闇のように、ボロボロと崩れ落ちていく。
フロイドの、あの禍々しい獣人の部分が、シャオ・ツーの身体から、まるで古い瘡蓋(かさぶた)が剥がれるように、細かな光の粒子となって、虚空へと消えていった。
そして、後に残されたのは、気を失い、ぐったりと床に横たわる、十四歳の少年の、あまりにも小さく、そして脆い姿だけだった。
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