第9話 Share a quarter -私と貴方-.5
一度あの昂揚感を味わってしまえば、もうおしまいだった。中毒性が高い薬物を投与されたのと同じで、後は勝手に私のほうから志藤らの元を訪れてしまった。
志藤のにやにやとした面構えが鬱陶しくて仕方がなかったし、揉めた手前、バツの悪い表情で自分を迎え入れた小板とは、しばらく余所余所しさが拭えなかった。
驚いたことに、軽音楽部のメンバーはそれだけだった。三年の先輩はすでに受験シーズンでいないし、二年の先輩は一人を除いて不祥事で退部していた。
二年の部員に一人だけ、ドラム担当がいるそうだが、今は休部しているらしい。理由を尋ねても、口を揃えて、「
そういうふうに誤魔化すことが、暗黙の了解となっているのかもしれない。
むしろ、部員が三、四人だということは、なんだかんだいって人見知りしやすく、コミュ障気味な私にとっては、過ごしやすい環境だった。
ドラムのいない物足りなさも、元々一人で弾き続けてきた私にとっては、大した問題ではない。
ベースの志藤、キーボードの小板。三人でセッションさえ出来れば、しばらくの間は満足だった。
一人ではない音楽だからこそ感じられるグルーヴが、私の深海みたいに深く、暗い孤独を照らした。
そして、漆黒の水底に差す光条は、それだけではなかった。
入部当初の私は、いたく困惑させられたのだが、部室に入った途端、志藤と小板は人目も憚らずにベタベタとし始めた。
いや、小板の名誉を守るために補足すると、彼女は初めのうちは抵抗するのだ。
例えば、急に、志藤に後ろから抱きつかれても、迷惑そうな顔で離れるよう命じていたし、部室の奥で眠っているフリをしていた志藤が、近寄ってきた小板の不意を突いて唇を奪ったときなどは、本気で怒鳴り散らしていた。
…ただ、志藤がそれでもゴリ押ししてくるとき、小板は甘んじてそれを受け入れるのだ。
そして段々、私が軽音楽部にとって異質ではなくなってくると、その抵抗は本当に形だけのものになっていった。
あまりに堂々としていたため、一応、アンタッチャブルなものに触れるような、細心の注意を払いつつ、彼女らにこう問いかけたことがある。
「あ、あのさぁ、私、ずっと気になってたんだけど…」
「どうしたの」と小板が小首を傾げる。本当に小動物みたいだ。椅子に座った志藤の、そのまた上に座っている点も含めて。
「ふ、二人は…つ、付き合ってるの?」
「うん」即答したのは志藤だった。小板のほうを一瞥すると、彼女もささやかに頬を赤らめて頷いた。
「あ、そう…」
別に、おかしなところなんて一切ない。そう言わんばかりの態度に、私は心の奥で彼女らを称賛していた。
「怖くない?周りに何を言われるか、とか」
「んー、もう気にしてないよ」
逆にそれは、昔は気にしていたということの表れだ。面の皮が厚い志藤がそうなら、神経質そうな小板はなおのことだろう。
「まあ、今の時代、少しは私たちみたいなのの扱いも良くなってるからね。ほら、百合とか、BLとか、言うじゃん」
「ああいうのと完全に一緒かと言われると…ちょっと、違う気がするけど」
この話題になって初めて口を開いた小板に問い返す。
「どういう意味?」
「えーと…、あんなに綺麗なものじゃないっていうか…。現実は、もっと差別とか、白い目とかされるよね。まぁ、女子同士はくっついていても何も言われないから、多少はマシだけど…。男の人同士は大変そう」
その発言を受けて、私は思わず唸った。
確かに、彼女の言う通りだ。現実は甘くないし、男性同士なんて、この古臭いしきたりを捨てられない愚かな国の元では、理解者を得ることがより難しく、大変だろう。
男性同士を想像すると、なぜか、強く立ち向かってほしいと思えた。自分はリングに上がることすら避けてきたくせに、偉そうなものだ。
自分も同種ではあるが、少しだけ、他人事に近いからだろう。
「それが分かってても、平気で人前でベタベタするわけだ」
かあっと紅潮した小板に代わって、志藤が平然と答える。
「失敬だなぁ、こっちもちゃんとイチャつく場所は考えてますぅ。人目を憚っているわけですよぉ」
「嘘つけ、私の前では最初からベタベタしてたでしょ」
「ふぅん」と志藤が興味なさそうに呟きつつ、ブラウスのボタンを少し開けた。
夏とはいえ、ああいうのはやめてほしい。目線が吸い寄せられる。
一旦、小板を下ろした彼女は座ったままの姿勢で前屈みになり、私に向かって甘ったるい声で質問した。
「ねぇ、それってどうしてだと思う?」
「知らないし」
正直、質問の内容よりも、角度が緩くなったことで覗いた、志藤の白い豊かな谷間と、黒の下着のほうが気になる。
すると彼女は、その視線に元から気付いていたかのように、さっと胸元を手で抑えると、とても意地の悪い笑顔で告げた。
「こういうことだよぉ」
「ど、どういうこと」
やばい、見られていた、という焦りしか頭になかった私だったが、志藤が続けた言葉と、それによって私に向けられた小板の鋭い視線によって、いよいよ追い詰められることとなる。
「私、同族をかき分けることに関しては、
「はぁ!?わ、私はそんなんじゃないし!」
「はいダウト。入学当初からそうだったよ。もしかして、私みたいにムッチリしてるのが好み?それともただのムッツリ?」
「あぁもう、うるさい!言いがかりつけんなぁ!」
そのときは慌てて否定を繰り返したが、私の性的嗜好が露呈するのに、大して時間はかからなかった。
口ではどう言っても、志藤がわざとチラ見せしてきたり、小板が隙のある姿勢をしたりするせいで、私の言い訳は、最早言い訳として機能せず、秋が来る前には、それに関して白旗を振ることとなった。
…というか、私を誘うような真似をする志藤を見た小板が、その怒りと嫉妬の矛先を私に向けてくることに耐えられなくなったのだ。
彼女らは、私のカミングアウトを決して笑わず、馬鹿にもせず、真剣に聞いてくれた。辿々しく、素直になれない私の言葉も、急かすことはなく待った。
秋口には、私の孤独は終わっていた。
夏が過ぎ去るのと同じように、気付けば、慣れ親しんだ孤独という名の友の影は、隣から消えていた。
手を振って、見送ってあげたかったと思った。
孤独は、今まで耐え続けてきた私の分身だと思えたから。
そして私は、全てを二人に話した。
私が和歌さんに、歌を通して気持ちを伝えることを提案したのは、小板だった。
彼女らは、話を聞くだけでなく、私のために共に音楽を作ってくれた。
作詞作曲とはこうするのだと、私は思い知った。
むせ返るような悲壮、不満、孤独以外でも、言葉は紡げた。
歌の生み出し方と共に、私は、孤独とは、人のあり方の一部にすぎず、その人の心持ち次第でいくらでも変わるのだと学んだのだった。
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