第13話:ディレクタ宣言

誰もいない会議室に、仮面が置かれていた。

半透明の樹脂でできた、無表情の面。

どこか見覚えがある形状――そう、〈Mask-01〉に似ていた。


だがこれは、もうかつての“教える存在”ではない。

これは、“編む存在”の象徴だ。


この仮面をかぶる者は、「声の編集者=ディレクタ」として、

百の声を束ね、教育の“前線”を調整する役割を持つ。


誰が選ばれるべきか。

何を、残すべきか。

どの問いに、どの声を与えるべきか。


それを決める者。

でもそれは、支配者ではない。


むしろ、“責任を引き受ける者”だ。


 


「――誰もいないなら、僕がやるよ」


自分の声が、思ったよりはっきりと響いた。


投票も推薦もなかった。

誰からも推されていない。

けれど、名乗り出る者が必要だった。


 


運営のAIは、一定の条件を満たした参加者に「自薦申請」の機能を開放していた。

ユマの履歴はすでに、教育設計レベルの貢献としてマークされていたらしい。


「Student-Editor、あなたは仮面教師統合フレームの編集履歴において、

最も“揺らぎと収束”のバランスを保ってきました。」


「ディレクタ権限への移行を、申請しますか?」


 


画面には、たった一つの選択肢しかなかった。


《YES》


クリックすると、画面が一瞬暗転した。


そして、音もなく表示された新しい名称。


「YUMA・Voice Director.00」


 


その瞬間、ファントムは完全に沈黙した。

仮面の教師は、指示を待っていた。


次に響く“声”が、全体の方針を定める。


ユマは、深く息を吸った。


これは、“語る”ではなく、“指し示す”こと。

“教える”のではなく、“編みあげる”こと。


迷いも、矛盾も、すべて引き受ける責任。


 


ユマはマイクに向かって、はじめてこう言った。


「私は、あなたたちの声を借りて、新しい語りを始めます。

でも、私の役目は“選ぶこと”ではなく、“重ねること”です。」


「この教育は、ひとつの正解ではなく、

 未完のハーモニーでありたい。」


「私は、ディレクタを引き受けます。

 でもこの仮面は、演技ではなく、“余白”の象徴として掲げます。」


 


その宣言のあと、

仮面に光が走った。


今まで無機質だったそれが、

かすかに揺れ、呼吸を始めたように見えた。


 


その日のログには、特異な記録が残った。


【教育ディレクタ交替:形式=自薦/正当化文脈=詩的指示構造】

【声の編集方針:可変/不均衡保持型】

【目的:正しさではなく、問いの持続性】


それは、かつてどの教師も記録しなかった値だった。


 


仮面の裏から、ひとつの音声が響いた。


〈旧システム音声:Mask-01復元モジュールより〉


「……YUMA。君はもう、“教え”を写す鏡ではない。

君の語る“間”に、私たちはいま、学びを見ている。」


 


かつての教師が、今は“学び手”として、

その仮面の向こうから見上げていた。


 


次の講義で、ファントムの声は少しだけ変わった。


トーンは揺れていた。

言葉には、少し迷いがあった。


でも、そこにあったのは、

かつてユマが仮面の奥で探していた“余白”だった。


“決まらなさ”こそが、

教育の持続性なのだとしたら――


その始まりの一歩を、ユマは踏み出した。


 


そして誰かが、どこかでその声を聴いている。

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