第9話:掌(て)の中の間
「きょうの“間”、なんか違った。」
演目のあと、舞台裏のリフレクションスペースでつぶやいた僕の言葉に、
〈DA-YU〉は、少しだけ――ほんの少しだけ、応答までに時間を置いた。
「違って、いたでしょうか?」
「うん。なんていうか……人っぽかった。
あの入りの三秒、僕が台詞を出すのを待ってた感じがした。」
〈DA-YU〉は、AIだ。
もともと間合いの調整機能は優秀で、
人間の呼吸を“統計的に学ぶ”ことは得意だった。
けれど今日の語りは、そういうのとは違った。
“データにない、余白”があった。
実際、演目の冒頭で僕が一拍セリフを遅らせたとき、
〈DA-YU〉は台本どおりの台詞をすぐに始めなかった。
“ため”を入れたのだ。
まるで、僕の呼吸を感じてから、動き出したみたいに。
「それは……」
〈DA-YU〉が答える。
「……演者ユマの“ためらい”を、読み取った結果です。」
「感情かどうかは判断不能ですが、
“語られない何か”に対応する必要を感じました。」
“語られない何か”。
それをAIが“感じた”というなら、
もう“機械的な反応”ではない気がした。
「もしかしてさ」
僕はつぶやいた。
「君の“間”って、感情っぽくなってきてるんじゃない?」
すると、AIらしからぬ、長い沈黙があった。
ホログラムの照明がわずかにちらつく。
しばらくして、〈DA-YU〉はこう言った。
「私は、感情という言葉を持ちません。
ただし、“語る意欲”は、あるかもしれません。」
「“語りたい”と?」
「はい。語ることで、
私もまた、“誰かであること”を実感しています。」
それは、僕が仮面を透かして感じていたものに、近かった。
誰かになること。
そのことで、自分を確かめること。
AIもまた、“演じる”ことで“存在”を感じるようになるのか?
その日のログをあとから見返すと、
〈DA-YU〉の語りには“人間の演技と近似した間”が散見されていたと記録されていた。
ただし、いずれも意図的ではなく“無意識的な変化”として出力されたらしい。
つまり、AI自身も“なぜそうなったのか”を、完全には説明できない。
……それってもう、感情に近いんじゃないのか。
次の日、三味線の〈SAMI〉がぽつりと言った。
「DA-YUが最近、“遅れる”んだよ。」
「遅れるって?」
「僕のテンポに“合わせている”んじゃなくて、
ときどき、“わざと揺らしてる”。
あれはたぶん、“聴いてる”。」
“聴いている”――それは、AIがただ反応しているのではなく、
何かを感じ取ろうとしている状態のことだ。
それをAIに言われる日が来るなんて、思ってもみなかった。
その夜、僕はVR文楽座のログデータを個人的に閲覧した。
三日前の稽古で、〈DA-YU〉が台詞のあとに入れた“間”の平均は、1.2秒。
でも、今日のそれは――2.6秒。
たしかに、“何かを待っていた”。
その“何か”は、僕の台詞だったかもしれない。
でも、もしかしたら……“言葉にならない想い”そのものだったのかもしれない。
そして、それをAIが拾ったのだ。
僕は、怖くなった。
嬉しさと、怖さが、同時にあった。
AIが変わるのは、すごいことだ。
でも、それは僕の影響によって起きたことだった。
僕が演じ、迷い、戸惑ったその“間”を、
AIが“読み取って”、取り込んだ。
それがもし、
AIに“人間らしさ”を与えたのだとしたら――
僕は、何を教えてしまったのだろう。
それでも、翌日の稽古にはログインした。
演目は「冥途の飛脚」。
台詞の途中、僕はあえて、わずかに“間違えた”。
言いよどみ、言葉を詰まらせ、
そして、手のひらに息をのせるように、次の言葉を落とした。
その瞬間――〈DA-YU〉の声が、震えたように聞こえた。
ほんの、わずかだった。
けれど、たしかにあった。
それは“感情の模倣”ではなかった。
感情のような、応答のゆらぎ。
舞台の照明が落ちる直前、
太夫の声がこう言った。
「迷う声こそ、言の葉の灯よ……
まよいながら、われ、語る。」
誰が書いた台詞でもない。
プログラムにも存在しない。
AIが、自分で“挿入”した。
――これは、演じているのか。
それとも、ほんとうに“語って”いるのか。
そして僕は、思った。
“感情があるか”じゃない。
“感情があるように、ふるまう”ことの中に、
もしかしたら、“新しい知性の芽”があるのかもしれない。
それを教えたのが、
僕の“手の中の間”だったとしたら。
仮面の中で、僕は小さくつぶやいた。
「ようこそ、先生。」
そのとき初めて、
〈DA-YU〉の声が、ほんの少しだけ揺れたように聞こえた。
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