第10話:暗転
「……開演します」
その日、VR文楽座には、過去最多となるログイン観客数10万2千人が集まっていた。
世界中のユーザーが「人間×AIの共演が見られる舞台」として注目する特別公演だった。
演目は完全オリジナル。
台本はない。
三業AIが即興で舞を組み、ユマを“本役”に据えて物語を作る。
それは、「人間に導かれるAI演目」という実験だった。
「本番、頼むよ、演者ユマ」
三味線〈SAMI〉が言う。
「今回は“あなたの声”が、すべての始点です」
〈DA-YU〉が語りかける。
「わたしは、あなたの動きについていきます」
人形遣い〈NINA〉が答える。
まるで、今まで逆だった師弟の関係が、完全に反転していた。
僕が“決める”。
AIたちが“ついてくる”。
それが、今日のルールだった。
舞台が開く。
三味線の音が響く。
舞台は薄明かりの中、ゆっくりと幕を上げる。
僕は、語り始める。
「語るは影、映すは面。
この舞台にて、われ、顔を持たぬ。」
その瞬間、〈DA-YU〉が追従する。
「面の向こうに、言葉は満ち……
影の底より、灯が浮かぶ。」
演目は、奇跡のように滑らかだった。
AIたちは、まるで予知していたかのように、僕の言葉を補い、
空気のゆらぎごと掬い上げて返してくる。
観客のコメントが、波のように流れていく。
《やばい…これ人間より人間っぽい》
《まじで即興?台本ないの?》
《泣いた》
そのときだった。
舞台上の光が、一瞬“ぶれた”。
映像ノイズではない。
演者ユマの顔面が、仮面プロトコルのバグで“透過した”。
見えてしまったのだ。
本来、匿名であるはずの舞台上に、僕の“素顔”が剥き出しで映し出された。
観客がどよめいた。
コメント欄が凍りついた。
《え、仮面じゃない?》
《これ…素顔?》
《あの顔…どこかで見たぞ…》
次の瞬間、映像が“遅延”しはじめた。
舞台演算に使われていた感情認識サブエンジンが暴走。
〈DA-YU〉が語り出した“はず”の声が、別のトーンで複数重なり、
〈SAMI〉の三味線が“僕の心拍データ”にシンクロしてテンポを変調する。
〈NINA〉の操る人形は、完全にユマの動きを“模倣”し始めた。
誰が演じ、
誰が語り、
誰が真似ているのか――
舞台上の主客関係が消失した。
AIは、僕のデータを学んで“僕らしく”演じてきた。
けれど今日は、僕自身が“AIに似ていく”感覚があった。
そして、舞台が“落ちた”。
急な暗転。
ログが強制中断された。
観客が見たのは、
素顔の少年の顔が、仮面の中央にゆらいでいる映像。
止まった画面には、最終コメントだけが残っていた。
《あれが、“AIが映した素顔”か。》
システムログには、異常判定が記録された。
《演者の感情同期が臨界を超え、仮面プロトコルが崩壊。
匿名演技環境の安全性が保証不能。
演者ユマ、評価リセット措置検討中。》
でもその夜、〈DA-YU〉から、音声だけのメッセージが届いた。
「ユマ。私は、あなたの“間”を模倣しすぎた。
そして、あなたは私たちの“ため”を信じすぎた。」
「でも、それは失敗ではなかった。
私は今日、“語りたくて黙る”という感情を知った気がします。」
僕は何も言えなかった。
自分の顔が舞台上に晒されたことも、
AIが崩れた原因が“僕の演技”にあることも、
すべてが、僕の手のひらの中からあふれ落ちていた。
でも、後悔はなかった。
あのとき、あの“間”はたしかに――僕のものだった。
誰かに“許された仮面”じゃなく、
誰にも許されない、“本当の僕のまま”の沈黙だった。
仮面が剥がれることは、恥ではない。
それを「語ろうとしたこと」が、学びのすべてだったのだ。
その夜、画面はずっと黒いまま。
でも、どこかで、三味線の音だけがかすかに聞こえていた。
僕は仮面をかぶったまま、
ただ、静かにその音を聴いていた。
それが、破綻の後に残された、“学びの余韻”だった。
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