第四話「おじさん、鳥ネズミにボコられる」

「いってらっしゃいませ。……お気をつけて」 


 


ダンジョンセンターの受付嬢が、いつものように微笑む。


たぶんマニュアル対応だ。でも、俺にはそれが沁みる。


この年になると、誰かに見送られるってだけで、ちょっと泣きそうになる。


 


「……おねえさん 萌っ…」


 


小声でお礼を言って、俺は《第二層》へ向かった。三度目の挑戦だ。


慣れてきたとはいえ、まだまだ初心者。ビビりながらのダイブである。


 



 


今日の装備は昨日とほぼ変わらず。


ホームセンターのワゴンセールで買った手袋が、唯一のアップデート。


「滑り止め付き」って書いてあったけど、滑り止まる気がまるでしない。 


 


それでも、俺はナイフを握る手に少しだけ自信が宿っていた。


スライムも倒せた、ゴブリンにも勝てた。


ならば次も、やればできる――そう思ってた。


 


……甘かった。


 



 


薄暗い森を抜けた先、ぽっかりと開けた空間があった。


不自然に静かで、地面には黒い羽がちらほら。


 


「……フラグ立ってる気しかしねえ」 


 


予感は的中した。


 


バサッ!


 


頭上から何かが降ってきた。


反射でしゃがんだのは我ながら見事だったが、問題はそこじゃない。


 


着地したソレは――


 


「なんだこれ、ネズミ?鳥?ハイブリッドか!?」


 


羽の生えたネズミ。ウィングラット。噂には聞いていたが、こんなにもデカいのか。


睨み合う数秒の静寂。先に動いたのは、俺だった。


 


「魔眼ッ!」


 


俺の最終兵器、《魔眼(変異種)》発動――!


……無反応。


 


「えっ、効かないの!?あ、ちょ、待っ――」


 


ボフン。


 


文字通り吹っ飛ばされた。


背中を地面に打ちつけ、口に入った土がカレー味じゃないのが救いだった。


 


《体力 残り23%》


 


ピロリンという警告音だけが、やけにハッキリしていた。


 


「……帰ろ」


 


俺は逃げた。


転びながら、木の根っこに足を引っかけながら、泣きそうな顔で必死に走った。


意外と速かった。人間、追い詰められると脚が速くなるらしい。


 



 


ポータルエリアに戻ってきたとき、足がブルブル震えて立っていられなかった。


俺はその場にぺたんと座り込んで、空を仰いだ。


 


「っはー……死ぬかと思った……」


 


まさに情けなさの極致。


でも、命がある。それが一番大事。


 



 


帰宅後。


録画はバッチリ残っていた。


泥まみれ、絶叫しながら逃げ惑う自分の姿が、そこにいた。


 


「……編集、するか」


 


俺はいつものようにテロップを入れる。


 


《おじさん、鳥ネズミにボコられてガチ逃げ》


 


自虐はもう慣れた。むしろ得意技である。


動画を投稿し、ソファに倒れこむ。


 


(……俺、何やってんだろうな)


 


45歳。魔法も剣技もなし。スキルは腹痛。


今日も無様に逃げて、戦果ゼロ。


もうやめようかな――そんな考えが、ふと頭をよぎる。


 


でも。


 


動画に、コメントがついた。


 


> 「爆笑した。なんか癖になるわこのおじさん」




> 「ウィングラット、腹痛は効かなかったねー参考にもならないけど…」




> 「絶対また見に来る。がんばれおじさん!」




 


……誰かが笑ってくれた。


誰かが見てくれていた。


 


「……そっか。オレ、逃げても、ちゃんと生きて帰ってきたんだよな」


 


逃げるのは、負けじゃない。


次に進むための、生き残るための、大切な選択だ。


 



 


その夜。


俺は梨花の病室に立ち寄り、眠る娘の手をそっと握った。


 


「……なあ梨花。今日逃げちゃったよ」


 


声は少し震えていた。でも、それでも笑って言えた。


 


「でも……明日は、勝てたらいいな」


 


誰かのために、立ち止まらず、また一歩。


情けない今日の先に、ほんの少しだけ希望がある気がした。

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