第四話「おじさん、鳥ネズミにボコられる」
「いってらっしゃいませ。……お気をつけて」
ダンジョンセンターの受付嬢が、いつものように微笑む。
たぶんマニュアル対応だ。でも、俺にはそれが沁みる。
この年になると、誰かに見送られるってだけで、ちょっと泣きそうになる。
「……おねえさん 萌っ…」
小声でお礼を言って、俺は《第二層》へ向かった。三度目の挑戦だ。
慣れてきたとはいえ、まだまだ初心者。ビビりながらのダイブである。
◆
今日の装備は昨日とほぼ変わらず。
ホームセンターのワゴンセールで買った手袋が、唯一のアップデート。
「滑り止め付き」って書いてあったけど、滑り止まる気がまるでしない。
それでも、俺はナイフを握る手に少しだけ自信が宿っていた。
スライムも倒せた、ゴブリンにも勝てた。
ならば次も、やればできる――そう思ってた。
……甘かった。
◆
薄暗い森を抜けた先、ぽっかりと開けた空間があった。
不自然に静かで、地面には黒い羽がちらほら。
「……フラグ立ってる気しかしねえ」
予感は的中した。
バサッ!
頭上から何かが降ってきた。
反射でしゃがんだのは我ながら見事だったが、問題はそこじゃない。
着地したソレは――
「なんだこれ、ネズミ?鳥?ハイブリッドか!?」
羽の生えたネズミ。ウィングラット。噂には聞いていたが、こんなにもデカいのか。
睨み合う数秒の静寂。先に動いたのは、俺だった。
「魔眼ッ!」
俺の最終兵器、《魔眼(変異種)》発動――!
……無反応。
「えっ、効かないの!?あ、ちょ、待っ――」
ボフン。
文字通り吹っ飛ばされた。
背中を地面に打ちつけ、口に入った土がカレー味じゃないのが救いだった。
《体力 残り23%》
ピロリンという警告音だけが、やけにハッキリしていた。
「……帰ろ」
俺は逃げた。
転びながら、木の根っこに足を引っかけながら、泣きそうな顔で必死に走った。
意外と速かった。人間、追い詰められると脚が速くなるらしい。
◆
ポータルエリアに戻ってきたとき、足がブルブル震えて立っていられなかった。
俺はその場にぺたんと座り込んで、空を仰いだ。
「っはー……死ぬかと思った……」
まさに情けなさの極致。
でも、命がある。それが一番大事。
◆
帰宅後。
録画はバッチリ残っていた。
泥まみれ、絶叫しながら逃げ惑う自分の姿が、そこにいた。
「……編集、するか」
俺はいつものようにテロップを入れる。
《おじさん、鳥ネズミにボコられてガチ逃げ》
自虐はもう慣れた。むしろ得意技である。
動画を投稿し、ソファに倒れこむ。
(……俺、何やってんだろうな)
45歳。魔法も剣技もなし。スキルは腹痛。
今日も無様に逃げて、戦果ゼロ。
もうやめようかな――そんな考えが、ふと頭をよぎる。
でも。
動画に、コメントがついた。
> 「爆笑した。なんか癖になるわこのおじさん」
> 「ウィングラット、腹痛は効かなかったねー参考にもならないけど…」
> 「絶対また見に来る。がんばれおじさん!」
……誰かが笑ってくれた。
誰かが見てくれていた。
「……そっか。オレ、逃げても、ちゃんと生きて帰ってきたんだよな」
逃げるのは、負けじゃない。
次に進むための、生き残るための、大切な選択だ。
◆
その夜。
俺は梨花の病室に立ち寄り、眠る娘の手をそっと握った。
「……なあ梨花。今日逃げちゃったよ」
声は少し震えていた。でも、それでも笑って言えた。
「でも……明日は、勝てたらいいな」
誰かのために、立ち止まらず、また一歩。
情けない今日の先に、ほんの少しだけ希望がある気がした。
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