第19話 バリトー邸
「ば、バリトーさんの家、豪邸ですね」
伯爵家もそれなりに大きな家だったが、もう少し質素な見た目だった。バリトーの住む家は古い様式で建設されていることと庭の広さも手伝って、より豪邸に見える。
「はは、爺さんのそれまた爺さんから受け継いだ家なんだ。古くてちょっと広いだけだよ」
バリトーは笑いながら家に続く道を馬車で進む。開門から五分ほどで邸宅前に到着した。
荷台から見える景色はそれは壮観で、美しい花々が咲く庭園と見事に整えられた木々が見渡す限り続いていた。よく見ると少し奥には畑と果樹園が見えたが、バリトーが行商に出ていたことも手伝い、ミシャーナは邸宅に畑があることに違和感を覚えなかった。
荷台から降りると、ミシャーナは忘れていた足の痛みにバランスを崩した。
「危ないから気を付けて」
「ありがとう」
ミシャーナはフィンのがっしりとした腕に支えられ、頬を染めた。見た目こそ優し気で柔和な雰囲気だが、密着すると体はしっかり鍛えられているのが分かる。
二人の初々しい様子に顔をほころばせ、バリトーは家の中に入るよう促した。
「帰ったぞ! テレサ、お客様だ」
玄関ホールにバリトーの声が響き、暫くすると軽やかな足音とともに女性が現れた。
「あなた、おかえりなさい」
美しい金髪をひとつにまとめ、ほとんど化粧をしていないのに淑女としての上品さを纏う凛とした佇まいに、ミシャーナは目を奪われた。
――なんて綺麗な
バリトーを迎えたテレサはちらりと二人を見やると、口元に手を当てて急に慌てたように自身の身なりを整えた。
「あら、あらあら! お客様がご一緒ならそう言ってくださらないと。お恥ずかしいですわ、こんな格好で」
見た目に反した
「あなた、この方たちは――」
こそこそとバリトーに二人の身の上を伺っている。貴族の中の貴族というとても厳かな雰囲気があるのに庶民的な行動を見て、ミシャーナは一気に親しみを覚えた。
「申し遅れました奥様。私はミサ。そして――」
「僕はフィン。バリトーさんに親切にしてもらったのが縁で招待に預かりました。よろしくお願いします、奥様」
フィンは仰々しく胸に手を当てて頭を下げると、そのままテレサの手を取って甲にキスを落とす。テレサは突然の挨拶に動揺することもなく、「素敵なご挨拶をありがとう」とにこやかな笑顔を讃えている。
「こ、こほん!」
バリトーが咳ばらいをしたおかげで、貴族の館然としていた空気が一掃された。
「オレの妻、テレサだ。そして、この二人は――」
「ええ、自己紹介を受けたから分かるわ。ミサさんとフィンさんね。ようこそいらっしゃいました」
「あの、テレサ」
「いつものことでしょう、あなたが誰かを拾ってくるのは」
軽くウインクしてミシャーナとフィンを見ると、テレサはこちらへどうぞと奥へ二人を案内した。
バリトーは役目を奪われ唖然としていたが、すぐにミシャーナたちのあとを奥の部屋まで追って来た。
案内されたのは居間だったが、ホールと言っていいほど十分な広さがある。美しい壁画が描かれた天井から古い様相の大きなシャンデリアが吊り下がり、窓際に置かれた大きな観葉植物の深いグリーンが部屋の中の緩やかな色合いを引き締めている。
大きなレンガで組まれた暖炉のそばには、部屋に似つかわしくないこじんまりとしたソファーセットが置かれていた。
「素敵なお部屋ですね。まるで宮殿みたい」
ミシャーナが感嘆の声を挙げると、テレサは笑って「そんなことありませんよ」と謙遜した。遅れてやってきたバリトーがその場に突っ立っていたミシャーナとフィンの背中を押した。
「ほら座りな。ただ広いだけで、普通の家だよ」
誘われるままにソファーセットに座ると、どこからか初老の執事然とした男性が現れ、机の上にティーセットを静かに置いた。
「セバス、ありがとう。お客様のお部屋の用意をお願いしますね」
「かしこまりました、奥様」
セバスと呼ばれた初老の男性は、挨拶もそこそこに部屋から出て行った。やはりバリトーは貴族なのだろうとミシャーナは思う。この規模の家を維持するのに行商では賄えないと分かるほど、家の中は隅々まで行き届いていたからだ。
「バリトーさんは、貴族……ですね?」
ミシャーナは恐る恐る聞いた。厄介な身の上の自分たちを受け入れては色々と立場が良くないのではないかと少し身構え、思わず手を握り込んだ。そんなミシャーナの手をフィンが優しく握る。ミシャーナの手にはじんわりと汗が滲んでいた。
ミシャーナの質問を受け、一瞬額にしわを寄せたバリトーだったが、すぐに険しい表情を柔和に変えて笑った。
「はっはっは、オレが貴族に見えるのかい?」
ミシャーナには、バリトーの笑顔には少しの嘘が混じっているように見えた。
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