第8話:侵食

夢の中に、彼女がいた。

 黒髪が濡れている。

 窓辺に立ち、白い指先でこちらを招いている。


 目が合う。

 その目は確かに、美しかった。

 けれど、同時に空っぽだった。


 「湊くん、あなたはもう、“こちら側”よ」


 その声で目覚めた。

 ベッドの上で、汗に濡れていた。

 呼吸が荒い。

 だが夢だと分かって、ほっとする間もなかった。


 部屋の窓。

 カーテンが揺れている。

 開けていないはずの窓。

 鍵は閉めてあったはずだ。


 ゆっくりと立ち上がり、窓辺に近づく。

 開けた窓の外、隣のマンションの最上階の部屋。

 そこに——自分が立っていた。


 黒い影。

 明らかに、こちらを見て笑っている。

 表情は見えない。

 けれど、“それ”は確かに湊自身だった。


 気づけば、携帯が鳴っていた。

 着信表示はない。

 だが、耳に当てた瞬間、声が聞こえた。


 「どう? 見られる気分は。

  気持ちいいでしょう?

  少しずつ、自分が誰かじゃなくなっていく感覚……」


 受話器の向こうで笑うその声は、アオではなかった。

 もっと低く、湿っていて、

 ——自分自身の声だった。

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