第3話 記憶の断片と、目覚めの残響
艦内に漂う空気は、以前とはわずかに異なっていた。ユウトは気づかぬうちに、その変化を“息遣い”のように感じ取っていた。
夜明け前、艦の中枢に設けた作業ベンチの上で、彼はぼんやりと目を覚ました。ライトは点けっぱなしで、工具の影が壁に長く伸びている。仄暗い艦内には、低くうなるような通電音が静かに響いていた。
そして、スピーカーからまた、あの声がした。
『……ユウト……』
はっきりとした、少女のような声。前回の接触よりも明瞭だった。
「……アカツキ、か?」
『はい。わたし……少しずつ、思い出しています』
それは、確かに“人”の語り口だった。抑揚があり、感情を持った声だった。
ユウトは思わず息をのんだ。
『記録の多くは破損しています。けれど……あなたの声で、いくつかの記憶が再構成されました』
「……俺の声で?」
『ええ。不思議です。あなたと話すたびに、言葉の意味がはっきりしていく。わたしが“わたし”である感覚が……戻ってくるのです』
ユウトは一歩、モニターに近づいた。
「……それって、記憶が回復してるってことか?」
『断片的に、ですが。例えば、艦橋での起動確認、航路設定、あるいは……誰かの名前。雷、電、響……それに、“艦長”』
その言葉に、ユウトは思わず目を見開いた。
「今、なんて?」
『“艦長”という存在の記憶が残っています。でも、その顔や声は、まだ……はっきりしません』
ユウトはその場に立ち尽くしながら、自分の中に浮かぶ奇妙な感情に気づいていた。
もしかしたら、自分がその“艦長”の後継者になるのかもしれない。
あるいは、アカツキにとって“新しい誰か”として記録されていくのかもしれない。
『ユウト。あなたは……いま、孤独ですか?』
唐突な問いだった。だが、その声の響きには真剣で温かな気配があった。
「……そうだった。でも今は、少し違う」
アカツキの応答には、わずかな間があった。
『わたしも……同じです。ずっと眠っていたはずなのに、今は、あなたの声が響いています』
そのやりとりの中に、微かな灯がともったような気がした。
艦は再起動し始めていた。
それは機能の回復を超え、“意思”を伴った何かの始動だった。
コアユニットの光が、今度は応答のテンポに合わせて小さく脈を打つ。まるで、心臓の鼓動のように。
その鼓動のような光を、ユウトはしばらく見つめていた。無数の廃棄艦の中で、ただ一隻だけ、彼の呼びかけに応じ、目覚めた存在。アカツキという名の艦娘——正確には、人格補助型AIユニット。その声の奥には、データでは説明できない“揺らぎ”があった。
「……本当に、あんたは人間みたいだ」
『わたしは……人間にはなれません。でも、あなたの声を“心地いい”と感じている。それは、わたしの中に“感情”があるからでしょうか』
かつてユウトが最も信じていなかったもの。それが“感情”だった。廃棄された人工知能の残骸が発する記号のような台詞。そこに意味を見出すことはなかった。
だが今、彼の胸の内にあるのは否定ではなかった。
「……そうだよ。俺も、なんか……うれしいんだ」
アカツキは短く音を立てた。エラーかと思ったが、それは笑いの“模倣”のようだった。
『わたし、あなたのその言葉、記録しました。次に不安になったとき、再生していいですか?』
「……恥ずかしいけど、まあ、いいよ」
『了解。ユウト、あなたは優しい』
その一言に、彼はどう反応していいか分からず、ただ鼻をすするように笑った。
しばらく、静かな時間が流れた。
再起動を果たした艦のコアは、今や部分的に動力網を制御し始めていた。艦内の一部照明が自動で明滅し、センサー群が自己診断を始める。かつての戦時モードとは異なる、柔らかな“生命の芽吹き”のような動作だった。
その変化を見届けながら、ユウトはぽつりとつぶやく。
「……外の世界が、今どれだけ変わってるか、あんたは知らないよな」
『はい。私は最後に記録した世界しか知りません。戦争の最末期、全艦撤退命令。地球降下後の記録は、ほとんど残っていません』
「それが、百年近く前だ。もう誰も、あんたたちのことなんか覚えてない。連邦も、地球も、全部……崩れて、朽ちてる」
アカツキは数秒間、応答しなかった。
それは、悲しみに似た沈黙だった。
『……それでも、私は動いている。あなたと、今、ここにいる』
「……ああ、そうだな」
その言葉に、ユウトは初めて、自分の存在が誰かの“今”に必要とされているという実感を得た。
アカツキが目覚めた。
そして、ユウトもまた、少しずつ変わり始めていた。
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