第10話「模試決戦前夜」
静かな夜だった。
瀬川レンは、机の上に何も置かずに、ただノートを一冊だけ開いていた。
スマートグラスはすでにしまわれている。
Shadowのアプリも、アンインストールした。
だが――「消した」わけではない。
彼の中に、あの“影”はまだ存在していた。
「最初にAIを使ったのは、怖かったからだった。
でも、怖いまま、逃げてばかりで、本当に行きたかった場所に辿り着けるのか?」
今夜、レンはそんな問いに向き合っていた。
模試は明日。
志望校の判定を左右する、最後の全校模試。
「使わずに行く」
そう心に決めても、ふとした拍子に“誘惑”の声は忍び寄る。
《Shadow-X:最新版DLはこちら。試験中の通信、匿名化済》
《模試解答リアルタイム配信計画:試験開始後5分でリスニング&長文対応》
《GhostCoderより:本当に“自分の力”が必要か? 成功とは、効率だ》
DM通知が震えたスマホに届くたび、レンの指先がピクリと反応する。
けれどそのとき、別の通知が届いた。
📩【芽衣】「明日、がんばろうね。一緒に、お昼食べよう。」
レンはその一文を、何度も読み返した。
文のどこにも“頑張って”という命令はなかった。
ただ、「一緒に」と書かれている。
そこには、“並んで進もう”という静かな希望があった。
その頃、咲もまた、ひとり研究室にいた。
蛍光灯の白い光に照らされた机の上には、MIRAIのモニターが点滅していた。
「Shadow関連ID:37件/MIRAI検知対象:8件/予測使用率:21.5%」
咲は唇を噛んだ。
不正は減っていない。
技術は進化している。
でも、彼女が本当に守りたいのは、「誰かの努力」だった。
レンのような生徒が、孤独や焦燥の中で、“道を間違えそうになること”を責めるのではなく、“気づいて立ち止まること”を支えるのが、自分の仕事なのだと。
「MIRAI、明日の模試では、生徒の行動を“裁く”ためではなく、
“支える材料”として記録して」
「了解。目的:観察/行動支援記録。判断処理オフ。」
咲は画面を閉じた。
(君が自分で選んだのなら、それでいい。
私の“瞳”は、見張るためじゃない。君の歩く姿を、見届けるためのものだ)
一方、ネットの深層――暗号化された掲示板「MirrorNode」の裏スレッド。
GhostCoderが、最後の通知を拡散していた。
「AIで受験を乗り越えられるなら、それは革命だ。
努力が不平等なら、道具で“整える”のは悪なのか?」
「咲先生のMIRAIは、ただの監視装置じゃない。“管理された未来”を生むだけだ」
「俺たちは、自由を取り戻す」
“自由”という言葉が、掲示板の中で拡散される。
それは、便利の名を借りた暴走。
AIに倫理がなければ、人間にこそ責任があるという真逆の論理。
GhostCoderは、人ではないのかもしれない。
それでも、誰かがその言葉に従う現実は、確かに存在していた。
夜が明ける。
レンは、いつもの制服に袖を通す。
グラスは持たなかった。
スマホもバッグの奥にしまい、モバイルデータ通信を切った。
鏡の中の自分は、少しやせて、でも目だけは強くなっていた。
(俺は、俺の足でこの試験を歩く)
教室に向かう廊下。
誰かがノートを落とす音。
誰かが早口で英単語をつぶやく声。
そのすべてが、「戦い前夜」の空気をまとっていた。
校舎の屋上。
咲はひとり空を見ていた。
空は、灰色だった。
雨が降りそうだった。
でも、その空を、どこかで信じていた。
「彼らは今、AIを“乗りこなす”方法を選んでいる。
それが、本当の未来の始まりなのよね」
風が、彼女のコートの裾を揺らした。
(来なさい、みんな。明日は、“本当の答案”を書こう)
そして、時間は流れていく。
AI。
人間。
教師。
匿名の影。
全員が、それぞれの「選択肢」をポケットに忍ばせながら、
静かに、そして確かに、模試当日という“決戦”に足を踏み出していた。
▶次回:第11話「崩し字の罠」
模試当日。問題用紙に潜む“古文崩し字トラップ”が、AIによる読解を阻む。Shadowは沈黙する――レンは、自分の力で“読む”ことができるか?
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