21.ファウスト王子
「グラン。もういい。退がれ」
フィフリーネの叫びに応えるように、背後から物音がした直後に凛とした声が室内に響き渡った。聞き覚えのある声だ。
「ファウスト様?! し、しかし……」
グラン、と呼ばれた眼前の男が初めて冷酷な表情を崩した。美しい顔に浮かんでいるのは動揺や、狼狽、焦り、そして恐怖と言ったところだろうか。どれも等しく、正しさも間違いもあるとフィフリーネは思った。
「いいから。私が下がれと言っている。それとも何だ──グラン・ラフォース。お前は私に意見できる立場だったのか?」
「し、失礼致しました」
フィフリーネは驚愕した。てこでも動きそうに無かった目の前の男が引き下がった事にもだが、その代わりに自分の眼前に立った男の姿──紛れもなく、この国の王子ファウスト・バウディアスその人だった。
フィフリーネは瞬時に、その人を何か得体の知れないものに天真爛漫と天衣無縫を着せた男だと思った。元あったものをセメントで埋め立てて彫刻したようなそんな不自然さ。それでも、見た目は整っている。フィフリーネから言わせてみれば整い過ぎている。だからこそ、先ほどの冷淡な台詞が飛び跳ねるような朗らかな口調でこの人から発せられたものだと、理解ができずに驚きの表情が隠せないままで居るのだ。
ファウストはまるで、踊り出すような足取りでフィフリーネの前に現れては、にこやかな笑みを絶やす事なくフィフリーネを見下ろしている。フィフリーネは変わらず、拘束されたままだ。手を後ろに縛る縄はキツく解けそうにない。
「言っておくが、私はお前を助けに来たわけでは無いからな?」
ファウストの一喝に、そう言えば先程自分が情けなくも「助けて」と叫んだことを思い出す。そもそもアレはあくまで「沈黙は大罪」とか言う知らない掟のせいだ。あの長髪のグランと言う男の冗談か軽口かも知れないが、異世界の法が自分が元暮らしていた場所の法と同じだと考えるのも難しい。この地に黙秘権等は存在せず、自己の弁護は自分でやるしかないのかも。フィフリーネは弁の立つ自分を想像した。想像の中では雄弁だ。口を開く。
「え、え? 心得て、おりま、すとも」
おかしいな。錆び付いているのかな?
想像が現実にはならなかったところで、ファウストはそんなフィフリーネを嘲笑うように、澱みない口調で話を切り出した。
「縄は解かない。何をされるかわかったもんじゃ無いからな。スーズリ子爵令嬢? いや、【魔眼】のフィフリーネ・スーズリとでも言っておこうかな?」
綺麗に弧を描く口に、つられてフィフリーネの口角も上がる。これは、恐怖ゆえだ。
「参っちゃったなぁ。入学初日にあんな啖呵を切られて。目立つのも王子の仕事とはいえ、こうも仕事が多くては流石の私でも参るね。平伏しなさいと来たもんだ。あろうことか、王子の前で、成り上がりの子爵令嬢如きが。面白いね。そう思わないか? フィフリーネ・スーズリ成り上がり子爵令嬢」
「あ……あのぅ……いや……その」
もはや、フィフリーネの喉は錆びつき、軋んだ声しか出てこなかった。生物の本能が警鐘を鳴らす。これ以上、彼と関わってはいけないと。
「まあ、そんな事はどうでも良くてだな。まず聞きたい事がある。そもそも、それを聞きに来たと言う訳だ。単刀直入に聞こう。お前、何の【魔眼】の持ち主だ?」
「ファ、ファウスト様!? い、一体……」
その言葉にいち早く反応したのは、フィフリーネでは無く後ろに下がっていたグランだった。
「私は先程まで【魔眼】の審査協会の方と連絡を取っていたんだが、フィフリーネ・スーズリが【魔眼】であると言う証明書は見つからなかった。自覚症状が無い者であれば、発見は極めて困難だが、今回に関しては完全に【魔眼】を知覚している。これは随分とおかしな事なんだよ」
フィフリーネは頭上に注がれる言葉の一つ一つを滝行を受ける気持ちで聞いていた。魔力、魔眼、審査会──知らない言葉まで出てきた。
何が起きてるのか全くわからない。
なのでフィフリーネは一言だけを頭の中で反芻させた。
『知らねぇですわ』と。
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