第19話 ライバル真島蓮の「AI越え」、人間の輝き

その頃、将棋界は、あるタイトル戦の話題で持ちきりだった。

挑戦者は、慧のかつてのライバル、真島蓮。

そして、対するタイトルホルダーは、最新の研究用解析AIを徹底的に活用し、その隙のない対策で知られる強豪棋士だった。


慧は、自宅のPCでその対局のネット中継を見守っていた。

画面に大写しになる真島の姿。

鋭い眼光。

一切の妥協を許さないその佇まい。

それは、奨励会時代、何度となく盤を挟んで火花を散らした頃と何一つ変わっていなかった。


――真島蓮。

常に自分の一歩先を行く、最大のライバル。


あの頃の慧にとって、真島の存在は強烈な焦りと、時に打ちのめされるような劣等感の源泉でもあった。

彼我の才能の差を痛感させられ、将棋の道から逃げ出した遠因の一つと言っても過言ではない。


しかし、AI開発という新たな道を見つけた今。

慧は、かつてとは異なる感情で真島の戦いを見つめていた。

胸の奥にかすかな疼きは残るものの、それはもはや嫉妬のような黒い感情ではなかった。

むしろ、あの頃の自分では気づけなかった真島の強さの本質への、純粋な探求心に近いもの。

そして、AI開発者として、彼の人間としての輝きが、綾香にとって何を意味するのかを冷静に分析しようとしている自分もいた。


対局は、息詰まるような展開で中盤まで進んだ。

AIの評価値は、互角か、ややタイトルホルダー有利を示している。

解説者も、AIの推奨手を元に、局面の解説を進めていた。

誰もが、AIの予測する数値を、ある種の絶対的な指標として捉え始めている。

そんな空気感があった。


そして、運命の終盤の入り口。

局面は複雑さを増し、AIの評価値も目まぐるしく揺れ動く。

観戦している誰もが、AIの示す次の一手に意識を集中していた、その瞬間だった。


真島の手が、動いた。


――▲5三桂不成。


AIの予測を、完全に覆す一手。

それは、目先の駒の損得だけを考えれば、あり得ないような手だった。

桂馬を不成で進め、しかもその先に確実な見返りがあるようには見えない。

AIの評価値は、この手を疑問手と判断し、大きく数値を下げた。

ネット中継のコメント欄も騒然となる。

『真島、何やってるんだ!?』

『AIは悪手だって言ってるぞ!』

『これはさすがに無理筋じゃ……』


しかし、慧は画面に釘付けになっていた。

真島の一手は、単なる計算を超えた、盤面全体の調和と、その先に広がる未来の可能性に賭けた一手のように見えた。

人間の直感と、深い読みと、そして美意識が生み出した、芸術的な一手。


数手後。

真島の放った桂馬は、まるで盤上に潜んでいた伏兵のように、相手の陣形に致命的な楔を打ち込んでいた。

AIが予測できなかった、人間の深い洞察力。

「AI越え」――それは、ごく稀にトップ棋士が放つ、最強AIですら予測できない、人間の直感や大局観、創造性に基づいた驚異的な一手のことだ。その一手が出現するたびに、ネットの将棋ファンの間では大きな話題となる。

そして今、真島が盤上で示したのは、まさしくその閃きの輝きだった。


会場は、万雷の拍手に包まれた。

ネット中継の評価値グラフは、再び大きく揺れ動き、今度は真島有利へと傾いていく。

AIの計算を超えた人間の一手が、局面を根底から覆したのだ。


後日、この対局を取材していたジャーナリストの橘栞奈が、鋭い論評を発表した。

「AI時代における棋士の存在意義とは何か? 真島蓮の一手は、計算を超えた人間の閃きの価値を我々に突きつけた」

その記事は大きな話題となり、AIと人間の関係性についての議論をさらに深めることになった。


慧は、食い入るようにその棋譜と橘の記事を読み返した。

AIがどれほど進化しようとも、人間の知性や創造性が、時にそれを凌駕する瞬間がある。

その事実を、改めて目の当たりにした。


彼はすぐに、綾香や他の解析用AIで、真島があの局面で指した手を検討した。

しかし、どのAIも、その手を最善とは示さなかった。

評価値も低いままか、あるいは候補にすら上がってこない。


「なぜだ……?」


慧はモニターに映る盤面とAIの解析結果を睨みながら、深く思考に沈んだ。


「真島の一手は、結果として相手の構想を打ち砕き、勝利に繋がった。なのに、なぜAIはこれを評価できない?」

「現行の評価関数では、この手の持つ長期的な価値や、相手に与える心理的なプレッシャーまで織り込めていないのか?」

「それとも、AIの探索アルゴリズムが、あまりに人間的な、あるいはリスクを伴うように見えるこの手を早い段階で枝刈りしてしまっているのか…?」


いくつかの仮説が彼の頭を巡るが、どれも確信には至らない。

ただ、現在のAIには捉えきれない「何か」が、人間のトップ棋士の思考には確実に存在すること。

そしてそれが盤上で驚異的な力を発揮することを、痛感した。


真島のあの手は、今の綾香にはまだ指せない。

だが、なぜ指せないのか?

その「なぜ」の先に、綾香の新たな進化のヒントが隠されているのかもしれない。


かつてのライバルの輝きが、今、AI開発者としての慧に、新たな問いと目標を投げかけていた。

それは、単なる技術的な課題ではなく、AIという存在そのものの本質に迫るような、深遠な問いだった。

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