第18話 白鳥未来との再会、Transformerの煌めき
数週間後。
気分転換も兼ねて、慧と佐伯は都内で開かれた小規模なAI開発者向けの勉強会に足を運んだ。
最新の研究トレンドに触れることで、何かヒントが得られるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて。
会場は、大学の講義室のような簡素な作りだった。
それでも、集まった開発者たちの熱気はかなりのものだ。
いくつかの発表を聞いた後、慧と佐伯は会場の隅に設けられた休憩スペースで、紙コップのコーヒーをすすっていた。
「やっぱり、みんな苦労してるんだな……」
佐伯が、先ほどの発表内容を思い返すように呟いた。
「ああ。特に、計算資源の確保はどこも共通の悩みみたいだ」
慧も頷く。
その時だった。
「桐山さん! 佐伯さん!」
弾けるような明るい声と共に、一人の女性が二人の元へ駆け寄ってきた。
白鳥未来。
「将棋AIチャレンジトーナメント」で出会った、新進気鋭の女性AI開発者だ。
彼女は、一般的な挨拶もそこそこに、慧と佐伯の前に立つなり目を輝かせた。
「先日はお疲れ様でした! 綾香さんのあの予選で見せた▲7七桂からの角の転身、あれって評価関数のどの部分が効いてるんですか!?」
「それとも探索の枝刈りアルゴリズムに何か特殊な工夫が…?」
いきなりの専門用語を交えた質問攻めに、慧は少し面食らう。
彼女の技術への純粋な探求心は、相変わらずのようだ。
佐伯が苦笑しながら、彼女の勢いを軽くいなす。
「おっと、いきなり核心を突いてくるね!でも、細かい話はまた今度ゆっくりとね」
白鳥は「むー」と少し残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直した。
そして、自分のノートPCを素早く取り出し、画面を二人に見せながら、さらに興奮気味に語り始める。
「実は私も今、新しいアーキテクチャを試していて…!」
彼女の画面には、複雑なプログラムコードが表示されていた。
「自然言語処理の分野で成果を上げている『Transformer』っていうアーキテクチャがあるじゃないですか」
「あの自己注意機構(セルフアテンション)って、将棋の盤面全体の駒の関連性とか、もっと長期的な意味合いを捉えるのに使えるんじゃないかと思って!」
Transformer(トランスフォーマー)。
慧はその単語を、最近のAI関連論文で何度か目にしていた。
まさか、それを将棋AIに応用しようと試みている開発者が、こんなに身近にいたとは。
「綾香さんの独創的な指し手を見て、何か新しいアーキテクチャじゃないとああいう手は生まれないんじゃないかって、すごく刺激を受けたんです!」
白鳥の目は、好奇心と挑戦心で爛々と輝いている。
「それで、ほら、この部分のコードなんですけど…」
彼女は周囲の目もあまり気にせず、自分の技術的な興味に没頭している。
慧は、白鳥の言葉に強く惹きつけられた。
Transformerが、綾香の抱える終盤の課題解決に直接繋がるかは分からない。
しかし、盤面全体の文脈をより深く理解し、大局観を把握するという点では、綾香の将棋の質をもう一段階引き上げる可能性を秘めているかもしれない。
そんな予感がした。
佐伯も、エンジニアとしての興味を隠せない様子で、白鳥のPC画面を覗き込んでいる。
「Transformerを将棋に、か……。面白い発想だけど、計算コストは相当なものになるんじゃないか?」
その指摘に、白鳥は少しだけ表情を曇らせた。
「そうなんです……。まだ全然パラメータの調整がうまくいかなくて……学習が全然安定しないんですよ!」
「時々、自分でもびっくりするような大局観を示す手を指すんですけど、大半は評価値が乱高下して、意味不明な手になっちゃって……」
彼女は、熱意とは裏腹の具体的な苦労を吐露した。
「やっぱり個人だと計算資源が圧倒的に足りないのかなあ……。この間の綾香さんの安定した強さを見てると、どうやってあのレベルまで持っていけるのか、本当に凄いです」
白鳥の言葉は、慧と佐伯にとっても他人事ではなかった。
計算資源の壁。それは常に開発者の前に立ちはだかる大きな問題だ。
しかし、それ以上に慧の心を捉えたのは、「Transformer」という新たな技術の煌めきと、白鳥が語った「時折見せる驚くような大局観」という言葉だった。
(盤面の、意味を捉える……)
それがもし可能になるのなら。
綾香は、ただ強いだけのAIではなく、もっと深遠な「何か」を理解する存在へと進化できるかもしれない。
慧の胸に、新たな探求への微かな灯がともった気がした。
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