第8話 スプリングの章―― 7
穂果は、小由莉と父・音花凜悟に付き添われ、迎えのマシンに乗って退院した。
病院のロビーを通りかかったとき、壁を覆うように茂ったツタと、丸く刈り込まれた緑が目に留まった。
そして今、上空から見下ろす病院の敷地には、草むらなっている芝生を刈る除草ドローンの姿や、昨夜のうちに急成長したかのような巨木が見える。
一夜にして変貌した光景、その原因が自分にあることなど、穂果には知る由もなかった。ただ、不可思議な出来事として胸に引っかかっていた。
その夜、眠っていた穂果は、ふとした感覚に目を覚ます。
たしかにベッドの感触は自分のもの。しかし、そこに広がるのは自室ではなかった。見知らぬ緑あふれる庭園。木々と花々に囲まれた空間だった。
――ここは……私の部屋じゃない……?
金色の光が、胸元からふんわりと光っている。
着ているのはピンクのレースがついた、かわいらしいパジャマだった。
ベッドから降りると、足元には冷たく心地よい草地と、点々と敷かれた飛び石。
少し離れた先には、緑に包まれた回廊が伸びていた。
穂果は好奇心に導かれるように飛び石の小径を歩き出した。
両脇にはバラやクレマチスのアーチが連なり、ふわりと甘い花の香りが漂う。
――夢……なのかな。でも、なんだかすごく落ち着く……
白を基調としたヨーロッパ風の回廊に出ると、天井は高く、柱や壁には繊細な彫刻が施されていた。
道すがら中庭を通り抜ける。色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が舞い、泉からは静かに水が流れている。ふと、宙を漂う小さな光の玉が視界に入った。それはまるで蛍のように揺らめいていた。
建物の反対側に出ると、緑の迷路が現れる。
そこを抜けた先、庭の中央に純白の東屋が建っていた。二重構造で、高さは7メートルほど。
柱にはツタが絡み、その東屋の中に、一人の女性が立っていた。
長く流れる金色の髪は、白に近い色をしていて、一部は巻き上がらず地面に届くほど。
顔立ちはまるで女神像のように整っており、金の虹彩を宿した杏色の瞳は、角度によって微妙に輝きを変える。そして、彼女の耳は人間よりも長く、鋭く尖っていた。
白いドレスに身を包み、凛とした佇まいはまさに物語に出てくるエルフの姫のようだった。
――……綺麗……まるで本当に、物語から出てきた人みたい……
思わず声をかける。
「あの……すみません。ここは、どこなんですか?」
女性は、穂果の存在にすでに気づいていたかのように、親しみのこもった微笑みを向けた。
「ここは、精神が繋がる世界。さっきあなたが目を覚ました場所は、あなたの心が創り出したものですよ」
「え……私の心が?」
「ようこそ、音花穂果さん。ここは『エターナルガーデン』です」
「ここが……あのエターナルガーデン……?」
「ええ、あなたの心が導いたここは、聖堂と呼ばれる心像世界との接続領域。」
穂果がそっと訊ねる。
「あの……あなたは、どなたですか?」
「私はフォロレンティネー。そうね、よく人にエルフと呼ばれたこともあるわ。でも正確には、地球に長く暮らす“ミラティス人”です」
「ミラティス……ネットで見た、どこかの特別の力がないといけない世界に出てくる種族の名前……まさか、地球にいるんですね」
「私のことはどうでもいいわ。それよりも、昨日の出来事、怖かったでしょう?」
穂果は小さく頷き、礼を述べた。
「よく分からないことばかりでしたけど……ガーデンナイツの方に助けていただいて……本当に、ありがとうございました」
フォロレンティネーは、その気高くも温かい雰囲気のまま、優しく言葉を紡ぐ。
「『エンターナルガーデン』は、そのためにあるのよ。あなたが無事で、本当に良かった」
穂果はふと、警察に言われた警戒心を思い出しつつ訊ねる。
「……それで……私をここに招いてくださったのは、何のためですか?」
「これを、あなたに託したいの」
フォロレンティネーの手のひらには、3センチほどの宝石のようなバッジがあった。
中央にはアルール・ド・リスの紋章が刻まれ、どこか夏希の持っていたものに似ていたが、枠が細い、よりシンプルな意匠だった。
その石は、穂果の胸に宿る光と同調するように、ふんわりと温かな光を放っていた。
「もしかして……私に戦わせるためですか?」
困惑した表情を見せる穂果に、フォロレンティネーは切なげに目を伏せて言った。
「あなたが望んでいないことは分かっているわ。でも、あなたが宿す『サイコギフト』――《ホーリーバイタリティ》は、命を蘇らせる力。その力を狙い、サザウラスタニア帝国の者たちは、これからもあなたを襲ってくる。無理に戦えとは言わない。でも、自分を守るために、これを持っていてほしい」
そう言って、彼女は東屋を降り、そっとそのバッジを穂果の手に握らせた。
「えっ……でも……」
――穂果が戸惑ったその瞬間、意識がふっと途切れた。
はっと目を覚ました穂果は、再び自分のベッドにいた。
「……やっぱり……夢だったのかな」
窓に向かってカーテンを開けると、朝の陽射しが差し込む。
三階の窓から眺める街はまだ人影がまばらで、空を飛ぶマシンの音も静かだった。
深く息を吸い込んだ穂果は、ふと机の方を振り向く。
そこには、夢で見たのと同じバッジが、静かに光を放っていた。
「……嘘……これ、夢じゃ……なかったの……?」
その瞬間、こよみの言葉が頭の奥に響いた。
『――あなたの大切な日常や、大事な人たちを守ってあげて』
けれども、穂果はまだ迷っていた。戦うことは怖い、その気持ちは、今も胸に残っている。彼女はバッジに手を伸ばせなかった。代わりに制服に着替え、朝早くから小由莉の手伝いをするため、静かに部屋を出た。
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