第7話 スプリングの章―― 6
東京湾上空、高度500メートルに浮かぶ16キロメートル人工島。ここは富裕層が所有する高級別荘地であり、夜のネオ東京が遠く下に広がっていた。まるで地上の宝箱が開け放たれ、無数の金貨や宝石が煌めいているようだった。
その島の山頂に立つゴシック様式の城館。緩やかな斜面に沿って広がるフランス式庭園を抱えた4階建ての邸宅には、鋭角なロフトが六つあり、まるで現代に甦った貴族の館のようだ。
ベランダにはチーク材と籐で編まれたローテーブルとシングルカウチが設えられ、テーブルにはゆらめく蝋燭の灯りとワインボトル、そして何より目を引くのは、高さ15センチほどの精緻なクリスタルの台座だった。そこには植物やウサギ、小鳥のモチーフが細かく彫刻されており、光を受けてきらめいていた。
赤髪の男がカウチにもたれ、パイル地のバスローブをまといながら、手にしたワイングラスを静かに揺らす。首にかかるネックレスには、マルスの紋章を模した金の細工があしらわれていた。蛇の鱗と、それを取り巻く二匹の蛇が絡み合う意匠は、蝋燭の火を受けて妖しく光っている。
目を閉じたまま、男は穏やかに思索を巡らせる。彼の脳裏には、先日あの病院で起きた現象が鮮やかに映し出されていた
――少女の覚醒、温かな金色の光、人々の治癒、そして植物の異常な成長。
「……あれは美しい光だった。まるで、クイーン・イザベルの再来のようだ」
その瞬間、クリスタルの周囲に淡い青い光が収束し、夢のように静かな輝きの中から一人の女性の姿が浮かび上がった。
透明感あるプラチナブロンドの髪を腰まで伸ばし、精緻な顔立ちと整った美しい体躯を持つその女性は、薄絹のドレスに身を包み、月光のような静かな気配をまとっていた。
「ジョシュア……」
その美貌に浮かぶのは、どこか儚げな哀しみ。
「エレノアか。今日は自分から現れるなんて、珍しいな」
「私は、いつもあなたのそばにいるわ」
「君がこうして姿を見せるということは、また目覚めたのか?」
「ええ。新たな子が――」
「彼女について、何か『視えた』のか?」
ジョシュアは目を開け、鋭い視線でクリスタルの中の彼女を見つめる。
「……はい。あの子の出現によって、長く保たれてきた均衡が崩れるでしょう」
「……我らにとって、不利になるか?」
エレノアは沈黙のまま、ただ悲しげにジョシュアを見つめた。
「……」
彼女の沈黙に、ジョシュアは何かを悟るように顔を伏せる。
「そうか……彼女は障害というより、岐路という存在か」
「……存続か、滅びか――彼女の在り方が左右される。だから、あの子を大切に、慎重に扱うべきだわ」
「忠告、感謝する」
ジョシュアはゆっくりと宙を見上げ、まるでそこに誰かがいるかのように声を発する。
「ベネット、そこにいるか?」
「はい、公爵。お声を拝聴しております。ご指示を」
ベランダに据えられたスピーカーから、従順な男の声が返ってくる。
「先ほど目覚めたあの子……今、どこにいる?」
「……申し訳ありません。現時点でカルスの消息は途絶えています。どうやら任務は失敗したようです」
「手段は問わない。あの子を――私の元に連れて来い」
「仰せのままに」
*
目を覚ますと、穂果の視界には清潔感のある天井と、柔らかな光を放つ照明が映った。
周囲にはローテーブルと点滴スタンド、透明な液体が入った輸液バッグが吊るされ、点滴筒からは雫が静かに落ちている。左手には、朝焼けに染まる景色が窓越しに広がっていた。
――ここは……病院? どうして私は……
ふわふわとした感覚の中で記憶をたどる。
ファミレスでの的場夏希との会話。
実家の花屋で遭遇した万引き犯。
空から落ちてきたマシンに轢かれた瞬間。
夏希が華やかな姿で現れ、自分を助けてくれた光景。
名も知らぬ男に拉致され、恐怖に包まれたあの夜。
そして、夢の中で姉・こよみと再会した、あの不思議な感覚。
すべてが、まるで閃光のように頭の中でよみがえってきた。
やがて、穂果はいつもの朝のように静かに体を起こした。
隣のソファには、仮眠中の母の姿。髪をお団子にまとめ、壁にもたれて眠っている。
「……母さん、おはよう」
その声に、母・音花小由莉はぱっと目を開いた。
「……穂果!」
年齢を感じさせない若々しさを保つ彼女は、まるで穂果の姉のような雰囲気だった。
目に涙を浮かべながら、穂果を強く抱きしめた。
「……よかった……あなたが本当にいなくなったかと思った……」
震える母の体を抱き返しながら、穂果はそっと答えた。
「心配かけてごめんなさい。……あのね、お姉ちゃんが夢に出てきたの……」
驚いたように母は少し身を引き、娘の顔を見つめた。
「……こよみが? 何か言ってた?」
「……幸せになってって……」
「体は……どこか痛くない?」
穂果は首を横に振り、穏やかに答える。
「ううん。大丈夫」
「お医者さん、呼んでくるわね」
「うん、お願い」
精密検査の結果、穂果の体はすでに全快していた。
医師はレポートを確認しながら静かに告げる。
「ご安心ください。お嬢さんの体は完全に回復しています。ただ、昨夜の異常な現象から推察すると、もしかするとお嬢さんには『異能』の兆候が現れた可能性があります。専門外なので断定はできませんが、一度、UCBD検査センターでの検査を受けることをおすすめします。念のため、鎮痛剤と精神安定剤も処方しておきますが、特に症状がなければ服用の必要はありません」
「かしこまりました」
「退院については本日中であればいつでも可能です。どうか無理をなさらず、ゆっくりお過ごしください」
「ありがとうございます」
点滴を外された穂果の腕には、ガーゼとテープで止血処置が施された。
その後、退院手続きを待つ間、病室には警察からの取り調べが行われた。
やってきたのは、二十代後半を見える女性刑事とその補佐を務める若い男性刑事だった。
「音花さん。こちらの映像に映っている人物に、見覚えはありますか?」
映されたのは、防犯カメラの映像を拡大し、AI補正によって鮮明に再構成された容疑者の顔。正面と横顔の両方が表示されていた。
穂果は画面を見つめ、静かに頷いた。
「はい。間違いありません。サッカーのユニフォームを着ていました。お代を払わずに逃げたので、追いかけました」
「面識はありましたか?以前に来店されたことは?」
「いいえ。見たこともありません。ただの通りすがりの客だったと思います」
女性刑事は黙々とメモを取りながら、質問を続けていた。
そのとき、男性刑事のベルトに装着されていたデバイスが突然自動起動し、画面に赤いノイズが走った。まるでウイルスに感染したような映像に染まり、そこには帝国のエンブレムが浮かび上がった。
一瞬で空気が張りつめる。
小由莉は険しい顔つきで問いかける。
「これは……本当にただの交通事故なのですか?」
「現在も捜査中ですが……お嬢さんを誘拐するため、仕掛けられた罠だった可能性が高いと見ています」
「……誘拐?いったい誰が?」
「まだ犯人は特定されていません。ただ、昨夜の病院内で起こった異常な現象、割れた窓ガラスや盗まれた輸送マシンを含め、異能者による犯行の可能性が極めて高いと考えられます」
実際、関係者や病院関係者の聞き取り調査では、事件当夜の記憶が曖昧な者が多かった。
「異能者が……」
小由莉が小さく呟く。
「ところで、事件について他に気になる点はありませんか?」
「……そうですね。事件の前に、ある組織に狙われているという警告を受けました」
「詳しく教えていただけますか?」
「えっと……その人は、鶴羽高校の的場夏希さんです。彼女が所属しているのは……確か、『エターナルガーデン』という団体です」
その名前を聞いた瞬間、女性刑事は明らかに動揺し、息を呑んだ。
後ろに立っていた男性警官も目つきを鋭く変える。
女性刑事は手元のディスプレイを操作し、一枚のエンブレムを表示する。
「音花さん、このマークに見覚えはありますか?」
穂果の脳裏に、カルスの姿がフラッシュバックした。
「……はい。私を拉致した男の首に、まさにこの刺青がありました」
女性刑事は深く頷き、重々しく口を開く。
「……この案件は、すでに私たち警察の手を離れた領域に入っています。ただし、これは忠告ですが、今後、その人物たちがあなたに話したことは一切忘れてください。そして、このマークを人前で軽々しく話題に出すこともしないでください。これは、あなたが通常の生活へ一日でも早く戻るために、最も安全な対処法なのです」
「……はい、分かりました」
「ご協力、ありがとうございました」
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