2‐1.青い海の底に金貨は眠る

第1話 金貨を数えて夢を見る

 光陰矢の如し。早いもので、花迷宮が新装開店してからもう半年が経つ。


 市街地をぐるっと取り囲む麦畑では青々とした新芽たちがわいわいがやがやと風に揺れ、町行く冒険者たちは分厚い外套をすっかりと脱ぎ捨てていた。


 ――『猫石』の陰に生えてんのはたんぽぽか。もうすっかり春だな。俺がこの世界に来てから3度目の……。


 花迷宮の1階の最奥――こじんまりとした支配人室の窓から中庭を眺めていると、こっそりと部屋に入ってきた小さな影が俺の頬をしっかりとつまんだ。


「こら! 今日は締め日なのにまたサボってる!」


 こんな腹から出た元気な声の持ち主はマルーしかいない。


「ふぁめろって。俺は|ふぉまえのふぁき〈お前のガキ〉かよ」


 適当にあしらおうとすると、


「――めっ!」


 と可愛い叱り声。しかしそれとは裏腹に、俺の頬を掴む小さな手からは「ミシッ……」と暴力の足音が響いてくる。


 酔った勢いで『花』に酒をぶっかけたアホの末路を思いだし、俺はぶるっと震える。


 ――あのアイアンクローは痛そうだったよなぁ……。


「わ、わかった、わかった。ちゃんとやるから離してくれ」


 俺はこれらかも自分のほっぺたとはいい関係を築いていきたいのだ。


「ん。はい、おばあちゃんから」


 と、マルーが俺のデスクの上に置いたのは花迷宮の毎日の収支が記入された帳簿だ。最後のページを確認してみると、ひと月分の粗利がきっちりと書かれていた。


 俺はひとつ咳払いして、


「いい、ホリィ? 帳簿っていうものは、ただ数字を書くだけじゃだめよ。その数字が自分に何を教えようとしているのか。それを常に考えるの」


 婆さんの口調を真似すると、マルーは腹を手で押さえてころころと笑う。


「ぷっ……! ふ、ふふっ! に、似てる……!」


 若い女のツボは謎だ。何が面白かったのか、マルーは過呼吸気味に笑いころげ――そのまま俺にもたれかかってくる。 


「ふっ、ふ、ふ、あははは!」


 やけに熱い体温がじわりと俺の二の腕に広がっていく。最初は体温の高いやつだと驚いたが、いまでは――この熱に安らぎを感じるようになってしまった。


「おい、大丈夫か……?」


 照れ隠しを忍ばせてたずねてみると、マルーは急に真顔になって俺と視線を合わせてくる。


「――大丈夫じゃ、ないかも」


 何を思ったのか――するりと滑るようにして、マルーはそのまま俺の膝の上に座ってしまった。


「お、おい……」


「……へへ。お尻がくっついちゃった」


 こ、この小娘がっ。ちょっとくらっときたじゃねぇか……!


 俺は猛りそうになる自分をぐっと押し込み、渋みの走ったポーカーフェイスでたしなめる。


「そういうのは後でな。とりあえず仕事を――」


 その小さな体をどけようとすると、俺の腕をがっしりと掴んだマルーの手から――ミシリと音。


 俺の腕に刻まれた魚の紋章が「サヨウナラ」と呟いた気がした。とんでもない。俺はこれらかもこいつとはいい関係を築いていきたいのだ。


 俺はマルーのあたまに顎を乗せて、やけくそ気味に笑う。


「も、もちろんいいぞ! まったく、マルーは甘えん坊だなぁ!」


 俺は額に滲んだ冷や汗をぬぐって、婆さんが書いた先月の総まとめに目を通す。


「今月も売り上げNO1はマノンか。すげぇな、これで4カ月連続だ」


 俺の予想通り――マノンは客に大いにウケた。おバカだから何を言っても「すごい!」と面白そうに話を聞いてくれるし、常に笑顔。自然体……というか、マノンはマノンのままでいるところも客には新鮮だったのだろう。


 そしてなによりヤバいのが――


「マノンが断ってるところ、見たことないもんね。誰にでもにこにこしてる」


 マルーの言う通りだ。相手がよぼよぼの爺さんでも、体重が3ケタはありそうな成金の商人でも嫌な顔ひとつしない。どんな相手でも常に態度を変えずにフラットに接することができる、天性の人懐っこさ。それがこの売り上げに繋がっていた。


「『ぼくならぜったいに売れっ子になれるよ』って言葉が事実になっちまったな。――しかし、こうなってしまうと“短い”な」


「短い……?」


 体重を俺にあずけたまま、振り向いてくるマルー。


「ああ。マノンは別にうちで働きたくて働いてるわけじゃない。クロエの学費と、当面の生活費が貯まったらそれで花迷宮ともおさらばだ」


 それはマノンにとっての最適解だ。喜ばしいことですらある。しかし――


 ……あいつのいない花迷宮は少しばかり静かすぎやしないか。


 そんな身勝手な感情を、マルーがさらりと流してくれる。


「でもマノンならちょこちょこ遊びに来てくれそうだね」


 ……確かにそうだな。それを楽しみにするのも悪くない。


 俺は外れかけていた経営者の仮面をかぶり直して言った。


「NO2は――ルゥルゥか……」


 ルゥルゥは3カ月ほど前に縁あって採用した狼の獣人で、


 ――とにかく性欲が強い。


 マノンとは違う方向で客を選ばない肉食女子……というか肉食獣で、客を捕まえてベッドまで運ぶような接客スタイルでガシガシと稼いでいる。


 売上への貢献はもちろん、狼らしいぶっきらぼうで無口な性格も個人的には好ましく思っているのだが、ひとつだけ欠点(?)が――


 マルーにも思うところがあるのだろう。少しばかり頬を染めて、もにょもにょと唇を動かす。


「部屋を端っこにしたほうが……いいんじゃないかな……」


「だな……。それはいいアイディアだ。明日からそうしよう」


 騒音対策しないとな。さらっと流して、次のNO3は――


「リリアンか。まぁ、そうなるな」


 普通に考えれば花迷宮のNO1はリリアンだ。容姿、性格、教養、すべてにおいて最高得点の女なのだから。なのにこの順位でくすぶっているのは、俺がそう指示しているからに他ならない。


 他の娼婦たちの一晩の『花代』は金貨1枚程度。しかしリリアンだけは、金貨3枚という超強気の設定金額にさせている。そのせいでリリアンを買う客は月に4,5人しかおらず、この結果というわけだった。


「――リリアンはもっと安くしてもいいって言ってたよ?」


 心配そうに横目で見てくるマルーには悪いが、これは俺の戦略だ。のちのち効いてくるはずだからこれでいい。


「ま、あいつなら大丈夫だ。――さて、次は……新人のやつら3人が横並びか」


 ぽろぽろっと入ってきた3人の娼婦たちはいずれも粒ぞろいで、中級店のうちには及第点といったところ。個性の強すぎる他のメンバーたちに圧され気味だが、戦力としては十分だった。


 そして――問題のドベだが。


「やっぱり……」


 はぁ……とマルーから悩ましい吐息。歯が溶けるくらいの甘ちゃんにため息をつかせれるのはお前だけだぞ、クロエ……!


 ――5カ月連続、最下位。客を選びすぎ、やる気なさすぎ、リピート率ゼロという三本柱で、またもや記録を伸ばしてしまった。


 はっきりいって蹴り出したい気分だが、そうするとマノンも出て行ってしまうから仕方なしだ。まぁ……魔術学校アカデミーには真面目に通っているみたいだから、大目に見ておこう。


 ひとつ咳払いして、俺は帳簿の数字を指差した。


「先月の花迷宮の粗利がこれだ。――約72金貨」


 7人の娼婦を抱える中級店としてはかなりの金額だが、ここから経費を引かないといけない。


「よし、最後の仕事だ。収支報告書を作るぞ。俺が経費を読み上げるからマルーは計算してくれ」


「任せて!」


 机の上にあったそろばんを手に、マルーが姿勢を正す。そのうなじのあたりから漂う闇払いの花の香りを吸い込みつつ、俺は数字を順番に読み上げた。


「人件費……お前とルノーの給料として16金貨。雑費・光熱費・備品として12金貨――……」


 マルーは俺との共同作業が楽しいのか、小気味よくそろばんをならせる。


「最後だ。ルシアンへの上納金が10%で、3金貨と4銀貨だ」


 最後にぱちんと大きく鳴らして、マルーが満面の笑みで言った。


「31金貨 と1銀貨、それから45銅貨……!!」


 元の世界の通貨に換算すると約77万円か。この世界の労働者の平均的な月収は金貨5枚くらいと言われているから、上出来も上出来と褒めてやりたいところだが――


 俺はこめかみを指で押さえながら、重苦しく言った。


「――これが花迷宮の限界だ。もう伸びしろはそれほどないだろう」


 花迷宮はすでに満室なうえに、稼ぎ頭のマノンの稼働率は驚異の90%、ルゥルゥも70%だ。クロエが劇的に変わるとは思えないし、後続の3人もよくやってくれている。


 マルーも薄々は感じていたのか、花がしぼむように表情を暗くする。


「やっぱり、お部屋の数を増やすしかない?」


「それが出来れば苦労はしねぇんだがな……」


 絶対にあいつがいい顔をするわけがない。そう思ったとき、マルーが急に俺から飛び降りる。そしてそれを追いかけるように、誰かが事務所のドアをノックした。


「ホリィさま。お客さまがお見えです」


 リリアンの声だ。俺はデスクの上の懐中時計を見る。もうこんな時間か。……噂をすればなんとやら、だ。


「ああ、入ってくれ」


 リリアンが開けたドアを堂々とした足取りでくぐるのは、今日も今日とてフリルに砂糖をまぶして焼き上げたようなお嬢さま――『アザミの円卓一家』の相談役、カミーユ嬢だ。


 リリアンがそっとドアを閉めると、冷たい緊張感が事務室に満ちる。来訪者を鋭く見つめるマルーを制しながら、俺は引き出しから小袋を出して、デスクの上にちゃりんと置いた。


「これが今月分のだ。遠慮なく受け取ってくれ」


 カミーユは花迷宮の相談役という位置づけだ。――もちろん形だけで、その給料は実質的なみかじめ料なのだが。


 カミーユは「ふん」と鼻をならすと、その金に目もくれず、むちっとした尻を俺のデスクの端に浅く乗せた。そして少し前のめりになりつつ、俺の顔をじろっと見る。


「相変わらず辛気臭い顔ですわね」


 お嬢さまのくせして所作が威圧的なのは、さすが裏の世界の人間か。


「ああ、月に一回しか来ない高給取りのせいで火の車だ。そんな顔にもなる」


 俺の軽口に「ふっ」と笑ったカミーユはデスクに置いてあった決算報告書を無造作に拾い上げる。


「――悪くありませんわ。私のテリトリーなわばりにある娼館の中でも、5本の指に入る売り上げですのよ」


 ちょうどいい。俺は考えていたことを口にする。


「だが、これが限界だ。単価を上げようにも、全員がリリアンにはなれねぇ。となると、あとはベッドの数を増やせるかどうかだ。――宿屋と同じだな」


 カミーユはつま先が見えずに困りそうなふくらみの下で腕を組んで、ついっと顔を背ける。


「この辺りはもうレッドオーシャンですのよ。花迷宮に客が集まれば、他の娼館の売り上げが落ちますわ。そんな阿漕をわたくしが見逃すと思っていて?」


 お前も大変だな。そう俺が言おうとしたときだった。


 下唇を分厚い舌で湿らせたカミーユは、俺をねっとりと見つめながら言った。


「ちょうどいいわ。――それなら私のものになりなさい。ホーリィシット。……いいえ、ホリィ・シュート」

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