1-3.花籠り
第20話 揺れる乙女
一口に娼館と言っても色々ある。奴隷を強制労働させる『奴隷娼館』、営業マンのように娼婦を働かせる『雇用娼館』、最後に花迷宮のような『自由娼館』だ。
自由なんて深遠な言葉がついているが、難しく考えることはない。つまるところ、『花迷宮』はイ〇ンで、リリアンやバカタレ姉妹はそこに入っている店みたいなもんだ。
金を稼ぎたい娼婦は花迷宮の個室を借りてそこに住み込む。すると花迷宮は娼婦の生活をサポートをしつつ、「こんな『花』を売ってますよ」と町で宣伝を行う。
それに釣られてやってきた客は、好きな『花』をお買い上げ。そしてその花代の何割かを花迷宮が部屋代として受け取る。
……という仕組みだ。一見ややこしそうで、実は単純なマネーフローだろ。
で、なんでいきなりこんな話をし始めたかって?
そりゃもちろん――ついに、『花迷宮』の再オープンの日が決まったからだ。
――その来たるべき日は8月1日。性愛の女神さまとやらの誕生日ということで、夜の商売を始めるには実にめでたい日だ。
だが、やべぇことにあと2カ月もないっていうのに、準備の進捗率は60%といったところ。
商工ギルドから派遣されてきた職人たちに外装工事を任せつつ、家具や調度品の準備、それから諸機関への書類提出などに追われる毎日が続いていた。
「くそ……書類多すぎだろっ!?」
花迷宮の片隅にある爺さんの書斎に缶詰になっていた俺は、ばりばりと頭を掻きむしりつつ、机の上の書類に向き合っていた。
風俗営業許可証と従業員登録簿の提出は終わった、つぎは……都市衛生局に出す衛生環境検査合格証……。
なになに……?
乙は丙に対し、以下の事項において一定の基準を満たしていることを申告し、虚偽ないことをこの書面において宣言するものとする。丙はこれらの……
……だぁああああ!! 誰が読むんだよこんなもん!! 高校中退舐めんな!?
思わず机に頭を打ち付けたとき、書斎のドアごしに誰かが声をかけてきた。
「……ホリィ? いる? お茶を持ってきたよ」
マルーらしくない控えめなノックが2回。そんな些細なことにも最近の俺たちの気まずさが滲んでいる気がして、俺は手元に視線を落としたままぼそりと返事をする。
「ああ。開いてるぞ」
「お邪魔するね。……お茶、ここに置くよ」
マルーは汗をかいたグラスを机の上にそっと置くと、いつもより控えめな声でたずねてきた。
「進んでる?」
「ぼちぼちだな」
「そっか」
沈黙が苦しい。かといって気の利いたことなど浮かばない。話題を探していると、ちょうどいいものがあった。
「今日は朝市に行ってきたんだろ。 俺が頼んだ
紅狐胆はダンジョンのモンスターの内臓を粉にしたもので、ちょっとした刺激で炎がつくために着火剤として人気があるアイテムだ。
気付け薬としても使われることがあり、紋章術の材料として探していたのだが、なぜかどの店を回っても品切れだったのだ。
「お店を回ってみたんだけど、売り切れだった。……そんなに使うアイテムじゃないのに、不思議だよね」
「まぁ、一つの店にたくさん置いてあるアイテムじゃないからな」
紅狐胆は少量なら安全だが、一か所に大量にあると自然発火し、紅のような真っ赤な炎を噴き出して燃え盛る性質がある。取り扱いが少ないのは仕方のないことだった。
日常の会話を挟んだことで、すこし緊張がとれたのかもしれない。マルーは俺の手元をのぞきこみながら、いつもの調子でたずねてきた。
「大変そうだね。よかったら手伝おうか?」
それはありがたい申し出だが――
「今日は何か用事があるって言ってなかったか? 護身術教室のほうも休みにしてただろ」
マルーはわずかに何かを言いたげにためらったが、笑顔を首をふった。
「ううん、いいの! 私が手伝いたいんだから」
そう言ってペンを取ろうしたマルーを、俺はやんわりと止める。
「したいことがあるんだろ。それならリリアンに手伝ってもらうさ。あいつ、字が綺麗だからな」
かたんと机が揺れる。机に突いていた手を急に引っ込めたマルーは、目を伏せながら言う。
「うん……そうだね。それがいいと思う」
静かに書斎から出ようとした小さな背中に焦りを覚えて、俺は思わず呼び止めた。
「――マルー!」
「どうしたの?」
焦げ茶の瞳を大きくして、マルーは俺の言葉を待っている。けれど、やはり言葉が出てこない。
――マルーと俺のこれまでの関係は、いわば仮面舞踏会。お互いに相手の望む仮面を顔に張り付けて向かい合っていた。
でも俺は、マルーという仮面の下にいるマルグリットに気が付いてしまった。
俺が強いマルーを求めるほどに、弱いマルグリットは傷ついてしまう。だからいままで通りにマルーと話すこともできないし、かといって本心でぶつかることもできない。俺が信じられるのはマルグリットじゃなくて、『捨てられたくないから裏切らないマルー』なのだから……。
からん、とグラスの中の氷が音をたてる。
「……お茶、助かる」
マルーは俺の知っている笑い方でほほ笑んで、いつかと同じように言った。
「あ・り・が・と・う、でしょ」
「――ありがとう」
たまには素直にするのもいいだろう。そう思って返事をしたのだが――
マルーは大切な宝物を落としたかのような顔になると、勢いよく書斎から出て行ってしまった。
俺は心を無にして書類に向き合おうとして――
やめだやめ! こんな状態で仕事なんてできるか!
背もたれに体を預け、窓からぼんやりと中庭を眺める。春は終わりを告げ、新緑の盛りへと季節は進もうとしていた。
――いい天気だ。外で酒でも飲むか。……そうだ、それがいい。ぱぁーっと飲んで、うっ憤晴らしだ!
天啓に打たれた俺は書斎を飛び出し、いそいそとお気に入りの革靴に履き替える。銀貨の入った小さな袋をポケットにねじ込めば、他に必要なものなんて何もなかった。
そうだ。俺は大切なことを忘れていた。――やろうと思えば俺はいつだって自由になれるんだ。
……もちろんそのツケを後で払うはめにはなるが。
玄関から出てショーシャンクのように初夏の太陽を浴びていると「あら……」と控えめな感嘆詞が背後から届いた。
「どちらまでお出かけですか?」
振り向けば、すこしばかりおめかしをしたリリアンが玄関から出てくる。頬のチークやリップがいつもよりほんのすこしだけ明るく、清楚な淡水パールのイヤリングが優しく揺れていた。
「ただの気晴らしだ。適当にその辺の酒場にでも行こうと思ってな。……リリアンはデートか?」
べつに皮肉を言ったつもりはなかったのだが、リリアンは困ったように苦笑した。
「私がデートだなんて、そんな……」
「遠慮しなくてもいい。『花迷宮』は自由娼館だからそのへんは自由だ。トラブルにさえならなきゃ、部屋に男を連れ込んでも文句を言うつもりはない」
「そんなことを言われてしまったら、なんて答えたらいいのかわからなくなってしまいます」
恥じらって口元に手を添えると、ふわりと色気が匂い立つ。
美しさ、品、真摯さ、若さ。リリアンはすべてを兼ね備えている。つい、――こいつが花迷宮の娼婦になってくれればと、会うたびに考えてしまうのだ。
俺はそんな下心を咳払いで散らしつつ、リリアンにたずねる。
「ふーん……。今日は一段と美人だから、てっきりそう思っちまった」
リリアンははにかみながら答える。
「本当にデートではありませんから……」
町の中心へと顔を向けてリリアンは続けた。
「今日は
「そうか、今日か……。すっかり忘れてたな」
この町に古くから伝わる初夏の収穫祭が金穂祭だ。豊穣の神に感謝と麦をささげるという地方都市にありがちなあれである。
「はい。たくさんの屋台が並んで、王都からの行商人さんたちもお店を開くとか」
「へぇ……。景気がいいな。てっきりもっと陰気臭くて儀式めいた祭りかと思ってた」
リリアンは小首を柔らかく傾げる。
「去年の金穂祭には参加されなかったのですか?」
まさか聖女の横っ面を叩いてお縄になっていたとは言えず、俺は曖昧に笑ってごまかす。
「この町に来たばかりで余裕がなかったんだよ。……しかし、行商人か。王都から美味い酒を持って来ているかもしれないな」
この世界のビールといえばエールだが、王都ではラガーも生産されているらしい。故郷にはそれほど未練はないが、慣れ親しんだラガービールの味には抗いがたかった。
「――金穂祭に行ってみるか」
そう決めたとき、リリアンが急に腕を組んできた。
「ホリィさま。……私、嘘をついてしまいました」
しっかりとした質量があるやわらかなふくらみを意識の外に追い出しつつ、俺は大人の余裕たっぷりに聞き返す。
「俺が尊敬している人がこう言ってた。『女の嘘は3回まで許してひゃれ』ってな」
「……ひゃれ? 方言……でしょうか」
噛んだんだよ! 超大事なとこで! 察しろよ!!
「ふ、ふん。まぁそんなところだ。で、嘘ってなんだ?」
リリアンはいじらしく俺の腕を抱きしめてささやいた。
「――デートです。今日はホリィさまと金穂祭までお出かけでした。……許してくださいますか?」
……なぁ、これを許せない男がいたら出てこいよ。俺が殴ってやるからさ。
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