第19話 娼館の流儀

 魔術師の『黒魔術』に、回復術師ヒーラーの『白魔術』、そして付術師の『付与術エンチャント』……。この世界には魔法ってやつがある。


 たいへん便利で結構なのだが、この魔法ってやつは徹底的な血統主義らしい。政治家の息子が政治家であり、医者の子供が医者であるように――大魔術師の子孫は魔術師だし、回復術師の子供は回復術師だ。


 血筋ではない者でも、専門の教育を受ければ上達しないわけではない。しかし、その伸びしろは才有るものと比べると、微々たるものだった。


 ――魔法の原理は分かっていないが、婆さんが言うに、原初のこの世界には魔法と言うものは存在しなかったらしい。


 ところが太古の昔、ふらりとやってきた魔術師たち――『星渡りの魔法使いたち』が、この世界に魔法を生み出した。


 この世界の人々は、そのありがたい魔法使いたちの子孫だから魔法が使えるという理屈だ。


 ゆえに、『星渡りの魔法使いたち』の血を濃く引く者や、偶発的な先祖返りをした者には、優れた魔法の才能が備わるというわけだ。


 ――なるほど、たしかにそれなら別の世界から来た俺に一切の魔法の才能がないのも納得だ。


「ええっ!? ホリィさんって、こんな簡単な生活魔法も使えないんですか!?」


 そのセリフ何度目だよ。うんざりとする俺の目の前でクロエが薪に火をつけると、鍋掴みを手にしたリリアンが優しくほほ笑んだ。


「私だとこうはいかなくて。クロエさん、ありがとうございます。これでおいしい野菜煮込みができます」


 リリアンが鋳鉄の鍋をかまどのなかに入れると、クロエはこみあげてくる笑いを隠し切れないと言いたげに口元をひくつかせた。


「た、大したことじゃありません。……また必要になったら言ってください!」


 その様子をほほえましそうに見ていたマルーが、重ねた食器を鳴らす。


「気合を入れて料理を作ったら、洗い物がたくさんになっちゃった。あー困ったなぁ……」


 わざとらしいその言葉を聞きつけたクロエは、


「私の魔法に任せてください!」


 と、シンクの中に溜まった水を渦のように回し始める。食器にこびりついた汚れがみるみる落ちると、マルーの拍手がキッチンに響きわたった。


 ……やってらんねぇ。飲むか。


 そんな平和な様子を眺めながらチビチビと酒を飲んでいると、となりの席に婆さんがやって来た。


「よぉ。あんたも飲むか?」


 婆さんは肩をすくめながらも珍しくうなずいた。


「私が下戸なのは知っているでしょう。……でも今日は少しだけいただこうかしら。すこし疲れてしまったから……」


 グラスに2cmほど注いで出すと、婆さんはそれを一口含んでため息を吐き出した。


「やっぱりマノンか?」


 肯定の苦笑いが返ってくる。


「いい子だけれど……要領が悪すぎるわね……」


 マノンの『伝説』は嫌と言うほど聞いている。婆さんの菜園の野菜を雑草とまちがえて全部引っこ抜く。ベッドメイキング中にシーツを引っ掛けて破く。買い物にいったら財布と買ったものを忘れる……。


「ココ先生から『そんなにお手伝いしてくれなくていいよ』って言われるくらいだった」というマノンの言葉の真の意味をしみじみと噛みしめつつ、俺は首のうしろをぽりぽりと掻く。


「アホだけど、愛嬌だけは人3倍あるからなぁ。ミスさえしなきゃいくらでも仕事が見つかるだろうに……」


「マノンのことはおいおい考えましょうか……」


 婆さんはいつのまにか足元に来ていた我が家の飼いネズミたち――アルとカネルにナッツをやると、クロエの華奢な背中を眺めながら言った。


「それにしてもクロエには驚かされたわね……。すこし基礎を教えただけで、あそこまでできるだなんて」


 クロエの才能がどれほどのものかはさっぱりだが、わずか3日でリリアンとマルーを超えてしまったのは分かる。


 俺は深く考えず、ふと思ったことを口にした。


「なんだっけな、魔術師ギルドが経営している学校……」


魔術学校アカデミーかしら?」


「そう、それだ。クロエのやつ、そこに入学したらいいんじゃねぇか? 手に職ってやつだ」


 婆さんはナッツを口に運ぶ手をぴたりと止める。


「それもいいかもしれないわ。……けれど、高くつくわね。グリステン分校の学費は、1年あたり金貨50枚だったはず」


 ――金貨50枚って金貨何枚分だ!?


 俺は軽く混乱しつつ、頭の中で指を折る。……約125万円か……!


「高ぇな……! そんな金はあいつには無理だ。奨学金とかそういう制度はないのか?」


 ティティアナは最後の一口をきゅっと煽って、クロエに手招きした。


「クロエ。少し話があるわ。こっちにいらっしゃい」


 とととっと足音も軽やかに俺たちのところにきて、ぴんと背筋を伸ばすクロエ。


「なんでしょうか、おばあ様?」


「あなた、魔術学校に興味はあるかしら。そこに通えば、あなたはきっといい魔術師になれると思うのだけれど」


「私が……学校……!?」


 この世界に義務教育なんて洒落たもんはない。学校に行くのは商家の子供か、一握りのエリートだけだ。クロエは戸惑いながら聞き返した。


「で、でも、そんなお金なんて……」


「王都の魔術学校の本校に知り合いがいるの。この町の分校は無理だけれど、本校なら特待生として学費が免除される可能性があるわ」


 まさに青天の霹靂。あるいは蜘蛛の糸。不良少女がエリートへの道を踏み出す成功譚に興奮したに違いない。クロエの緑の瞳が、星砂のようにきらめいた。


 しかし――その輝きはすぐに消えて、いつものどこか無気力なものに戻る。


 クロエはきっぱりと言った。


「ありがたいお話ですが、マノンと離れるわけにはいきませんので」


 緑の瞳はゆるぎなく、そこに秘められた意志は強固だ。


「そう言うと思ったわ。それもあなたの人生よ」


 さっくりと嫌味なく婆さんが話を終わらせようとしたとき、クロエが何かに気が付いて息を吸い込んだ。


「……聞いてたのですか」


 キッチンの入口に銀髪碧眼の少女が立っている。さっきまで畑仕事をしていたのか、手も服も土まみれだ。


 マノンはずんずんとクロエの前にすすむと、小麦色の手で姉の両手をがっしりと握った。


「――姉ちゃんは学校に行って!」


「マ、マノン……。でも、王都ですから。それだと離れ離れに……」


 クロエの目に光るものが滲んだとおもったら、なぜかマノンの目から涙がぶわっとあふれた。


「そんなの嫌だっ……! ぼくは姉ちゃんと居たい……!!」


 どっちなんだよ、なんて野暮なことを言うやつはここにはいない。そのどちらもマノンの本心なんだろう。クロエはそれが一番わかっているから、何も言わずにマノンを抱きしめようとする。


 だが――マノンはそれを拒んだ。


「――だから、ぼくがお金を稼ぐよ。そのお金で姉ちゃんはこの町の学校に通ったらいいんだ」


「そんなの……」


 無理に決まってる。その言葉を遮るようにマノンが発した言葉――いや叫びに、俺の手からグラスが滑り落ちた。


「――ぼくは娼婦になる。ぼくならぜったいに売れっ子になれるよ。自信があるんだ!」


 俺はふたりの行く末を見守るつもりだったが、思わず割ってはいる。


「つまらない冗談はよせ。……確かにお前には人を惹きつける愛嬌がある。けどな、夜の仕事ってのは、それだけでなんとかなるような生易しいもんじゃないんだ」


 ――本当か? と冷静な俺がつぶやく。


 俺は前の世界でも、この異世界でも――大勢の夜の女たちを見てきた。だからわかる。分かってしまう。スレた娼婦たちにうんざりした男にとって、マノンはまるで聖女のように映るに違いない……。


 認めろ、ホリィ。こいつは――金になる。


 それに――こいつに他に何の仕事ができるっていうんだ? ベストじゃなくてベターでもいいじゃないか。利用するんじゃない、持ちつ持たれつだ……。


 そんな俺の胸の内を咎めるように、柔らかいものを強く打ち据える音が響いた。


「――マノンっ!!」


 クロエが2回、3回とマノンの頬を平手打ちする。


「ぜったいにそんなの認めませんからっ!!」


 しかし、マノンはじっとクロエを見つめたまま、顔をしかめることさえせずに言い返す。


「ぼくはいつも思ってたよ。姉ちゃんは人とは違う、特別なんだって……! だから、本当に特別になってよ。ぼくのために……姉ちゃんのために……!」


 ――先に折れたのはやはりクロエだった。


「私にどうしろっていうの……」


 クロエはぐすぐすと鼻を鳴らしながら、その場に座り込んでしまった。


 夕食前の団らんはどこかに行って、息が詰まるような重苦しさがキッチンに満ちている。俺は酸素を求める魚のように、全員の顔を見渡した。


 マルーはしょんぼりとただ悲しみ、リリアンは諦めるかのようにどこかを見ている。そして婆さんは――いや、老獪な娼館の経営者は、品定めするように姉を眺めた後に……ちらりと、俺に流し目を送った。まるで、願いを尋ねる悪魔のように。


 そうなのだ、クロエは性格に癖はあるが、見た目は一級品……。ぎりぎり成人している年齢という若さも大きな武器になる。


 俺は腹の中から逆流しそうな胸糞悪さを抑え込みながら、真摯な顔で言った。


「――クロエ。お前にこれまで足りなかったものがなんだかわかるか?」


 すすり泣きを抑え込んで、なんとか答えるクロエ。


「努力と我慢ですか……?」


 その答えを俺は優しく――糖衣につつまれた毒薬のように甘く否定する。


「違う。『運』だ。お前には運がなかった。他のやつらが簡単にしてのけることがお前にできないのも、いま苦しんでいるのも、突き詰めれば運が悪かったせいだ」


「運……」


 思い当たることがありすぎるのだろう。クロエはその言葉をかみしめるように反芻した。


「だが、お前ははまだ若い。手助けしてもらえれば、あっというまに挽回できるはずだ。……誰かの助けを借りることは別に恥じゃない」


「でも……でも、マノンに娼婦だなんて……」


 俺はにこりとほほ笑んで婆さんを見やった。


「それなら『花迷宮』で働けばいい。婆さんや俺が責任を持ってしっかりと見てやる。それなら少しは安心だろ?」


 婆さんがにこにことしながらうなづくと、ぐらりと来たようだった。クロエの視線が俺とマノンのあいだで揺れ始める。


「『花迷宮』で……?」


「ああ。それに、自分の人生は自分で切り開いてこそだと俺は思う。責任を感じるなら――お前もここで娼婦として働いたらどうだ」


 俺の胸の中で誰かが言う、それはあんまりだと、しかし俺はそいつを黙らせる、きれいごとを言うな、理想より現実だろと。


 何かを察したマルーが口を開きかけたが、もう遅い。俺は強烈な追い打ちでクロエを射抜いた。


「昼は学校。夜は仕事。なにも恥じることがない立派な大人じゃねぇか」


 クロエは目をさまよわせながら、放心したように頭をゆらしていたが――やがて手を握りしめて誰ともなしにたずねた。


「逃げてばかりだった私にできるでしょうか……。そんな真っ当な生き方が……」


「いまのお前は逃げてないだろ。責任から、自分から、そして胸の痛みからもな……」


 その言葉がとどめだった。クロエはゆっくりと立ち上がり背筋を伸ばすと、憑き物が落ちたかのような顔で言った。


「私もここで働きます。そして――マノンの言うように、かならず特別になってみせます……!」


 違う……違うぞ、クロエ。お前は自分で選んだつもりなんだろうが……それしかなかっただけだ。俺の口車に乗せられちまってな……!

 

 だが、俺はその言葉を唾と一緒に呑み込む。


 ――おちつけ、ホリィ。花迷宮の再建のためにはいい娼婦が必要なんだ。俺は何も間違っちゃいない。クロエもマノンも少しだけ不幸になって――けれど、それ以上のものを手に入れることができるんだ。俺たちは仲良く勝者になれる……。


 酒を注ごうとして震える俺の手を見た婆さんが、俺の耳元でそっとささやく。


「ホリィ。よくやったわ。これがあなたなりの『三方よし』なのね」


「……ほおっておいてくれ」


 ぐったりとしながら言うと、婆さんはほんのわずかに気の毒そうに笑って言った。


「娼館を経営するということは――こういうことなのよ。今後も覚悟をもってあたりなさい」


 俺はその言葉に酒を飲み干すことで応える。


 ――金のなる木を探しているようじゃ三流、金のなる木を作ってやっと二流。自分から金のなる木にならせて一流。


 すっかり忘れていた。人を使って金を稼ぐってことは、こういうことなのだ……。

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