第4話 他問自答

祝人はカップをそっとテーブルに戻すと、あらためて部屋を見渡した。


柔らかな日差しが差し込む窓辺。木の香りがほのかに漂う家具。誰かの手の痕跡を感じさせる温もりある小物たち。


懐かしさのような感覚が胸をかすめるが、やはりここは知らない場所だ。


視線を向けると、「メモリ」と名乗った存在も祝人と同じようにお茶を飲んでいた。湯気は立ち、器を持つ手は影を落とす。


……実体がある?


不安はない。ただ、わけのわからない状況にとどまることが少し気味悪かった。


「……ここは、どこなんでしょうか?」


慎重に問いかけると、メモリはカップを口元に運びながら微笑んで言った。


「君が今、いるべき場所だよ。」


曖昧な言い方だ。


「……夢、ってことでいいんですよね?」


「君はどう思う?」


質問に質問で返さないでほしい。


そう思いながらも祝人は答えた。


「……夢にしては細かいです。お茶の香りとか、ソファの感触とか……妙に現実的で。でも、現実にしてはあまりにも唐突すぎる。」


「ふむ、鋭いね。」


メモリはゆっくりティーカップを置くと、少し身を乗り出すようにして言葉を続けた。


「夢と現実の境界ってとても曖昧なものなんだ。たとえば——目覚めたあとに“現実”だと思っていた世界が、実は別の夢だったとしたら?」


祝人は息を呑んだ。皮肉でも警戒でもない。ただ、わずかに怖さを感じた。


「……じゃあ、俺はどこから来たんでしょう?」


「うん、答えの分かっているミステリーもいいけどね。旅の楽しみを君から奪うような真似はしたくないな。」


いちいち曖昧だ。こちらにも理解できる言葉で言ってほしい。


「どういうことですか?」


「君の旅だから、君が答えを探していくということだよ。自分だけの答えをね。」


旅……。


疑問が解ける前に次の問いが生まれてくる。しかしそれ以上追及するには、自分の中の土台が揺らいでいた。


「さっき、“君たち”って言ってましたよね。俺以外にも誰か……?」


その問いに、メモリはわずかに間を置いてから優しく頷いた。


「うん。君だけじゃない。でも、今は君との対話が最優先なんだ。」


その言葉の直後、祝人は自分がソファに沈んでいる感覚にふと意識を向けた。


——重力を感じる。


夢の中では味わえなかったはずの「重さ」。体の存在感。それが、確かにここにある。


「……もしこれが夢なら、目覚めたら全部忘れてしまう気がする。でも今は……ちゃんと覚えていたいって思ってます。」


非現実的な体験だからこそ覚えておきたい。

その呟きにメモリは柔らかく答えた。


「その“覚えていたい”という気持ちこそが、君を導く鍵になるよ。」


導くって、さっき言ってた答えってやつのことか?


祝人の中で何かが少しずつ動き始めていた。まだ名前のない問いが胸の奥で膨らんでいく。


「……一つだけ、教えてもらっていいですか?」


「どうぞ。」


「“メモリ”って、何なんですか? 人間じゃないのはわかるけど、じゃあ……何?」


メモリはふっと笑った。その輪郭がわずかに揺らいだ気がした。


「それを答えるにはまだ早い。でも——ヒントならあげよう。」


空中に手を伸ばすとそこに小さな光の粒が現れ、静かに宙を漂い始めた。


「私はすべてであり、一部。世界と世界をつなぐ橋。 "記憶の海"に在り、個としてすべての経験と認識を宿す存在。 君たち一人一人の人生の断片——選んだ言葉、沈黙、願い、恐れ。そうしたものの交差点に私はいる。 君がまだ思い出していないこと、選ばなかった道、未来の残響…それらを必要なときに“還す”。思い出そうとする者のために。」


…思い出す?なにを?

それに抽象的で、ますますわからない。


「……それって……神様みたいなもの、ですか?」


「それはまるで、川を見て『これは水か?』と尋ねるようなものだね。そして君は、川の水を飲みに来た旅人だ。」


こちらから聞いているのに、回答が謎めいてばかりで頭がパンクしそうだ…。


一拍置いてメモリは再び微笑んだ。


「私はメッセンジャー。君が何を忘れ、何を選び、どこへ向かおうとしているか——それを知るための“鍵”になる存在さ。」


祝人は目を閉じて、一旦考えることを諦めた。


窓際の風鈴の音が静かに鳴った。



--------------

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


メモリ

「“答え”はまだ先にあるけれど、歩き出した一歩には意味がある。評価やフォローは、きっと君自身の“問いかけ”にも繋がるだろう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る