第2話 カフェオレとアップルパイ

「ありがとうございました!」

 ホールにバイトの先輩の間宮亜美さんの明るい声が響く。

「ご苦労様。テーブル席片付けたら交代で休憩に入っていいよ」

「はい」

 マスターの山崎晃助さんに声を掛けられて返事する。

 恰幅の良い体型で,顔も少し厳ついけれど眼差しは優しい。

 バイトの僕にもいろいろ親切にしてくれて,まるで都の離れた兄か,父親のようだ。

 雰囲気が,昔から尊敬する人にも似ていて,とても好感が持もてる。

「聡二君。お腹すいてない?なんか作ろうか?」

 微笑みながらそう言ってくれるのはマスターの奥さんの陽子さん。

 とても世話好きで・・・ちょっと過保護なぐらい,僕に構ってくれる。

「大丈夫です。さっき賄いもいただいたので」

「そう?」

 厨房はマスターと陽子さんの二人で回している。

 陽子さんはものすごい美人って訳じゃないけど,穏やかで包容力のある人だ。

 マスターとはまさにお似合いの夫婦である。

(羨ましいな。憧れの夫婦だな)

 なんてことを考えるときもあるが,恋愛に縁遠い僕には,おこがましい考えだ。


 ここ,『Cafe Carrot』は,こぢんまりとしているが席数がそこそこあって,『隠れた名店』と呼ばれる雰囲気のいいお店だ。

 バイト先を探して市内のお店を回っていたとき,偶然見つけた。

 丁度バイト募集をしていたので,すぐに採用してくれたので本当に良かった。

 土曜の午後,ランチタイムのお客さんがはけて,忙しいピークは過ぎた。

 勉強している学生さんや読書しているOLさん?がチラホラしているぐらいだった。


「ねえねえ,少年。学校はどう?可愛い子いた~?」

 僕に肘打ちしながら,そう囁く亜美さんは大学2年生。

一見モデルかと思うような美人で明るい性格なのだが,少し問題がある。

 距離が近い。

「学校は,ぼちぼちですよ。可愛い子もいなくはないですし・・・」

「なーにその,もやっとした言い方は?うりうり~」

「私も気になるわ!」

 陽子さんまで参加しないで下さい。

「そんなことより今日の日替わりケーキのアップルパイですよ!」

 そう,アップルパイの方が重要だ。

 ここの日替わりケーキは数量限定で毎日変わる。

 一ヶ月あまりバイトをしてきたが,同じものが出たためしがない。

 それを毎日マスターが手作りしているんだから凄すごい。

 専門店や高級レストランで出されるようなオシャレで,上品な味だ。

 よく賄いで試食させてもらうが,今日のは衝撃的だった。

 今まで食べたことのない味わいだった。

 パイ生地は外側はさっくりと,中はしっとりと絶妙なバランス。

 何よりフィリングが絶品だった。

 シナモンをきかせたしつこくない甘さ。

 材料のリンゴも良いものだろう。

 しかし,何か秘密の隠し味がある。

 それが分からない。

 自分でもアップルパイは作ったことがあるが,今の僕ではマネできそうもない。 

 これまでも料理やお菓子のレシピをマスターに尋ねたことはあったが。

「自分の舌で見つけなさい」

 と,一つも教えてもらったことはない。

 そりゃ企業秘密みたなもんだしなあ。

「あらあら,恋愛よりアップルパイが大事なの?」

 陽子さんが呆れたように言う。

「少年はこだわりがすごいから。でも若いのに何言ってるの!高校生活なんて一瞬よ。こんなところでバイトしないで青春謳歌しなきゃ!」

 あなたもまだ二十歳でしょ,という言葉を飲み込む。

「それ,僕の前で言うかな?」

 さすがのマスターも苦笑いである。

「気になる子とかいないの?」

 陽子さんも諦めが悪い。

「気になる子,ですか・・・」

 そう言えば,あの日から笹宮さんとは話をしていない。

 教室では楽しそうに友達と語らっているのを見て,元気そうでなによりとホッとした。

 まあ,話しかけられても困るからいいんだけど。


 笹宮さんはとても美人だ。

 亜美さんと違って,『可憐』という言葉がピッタリな人物だ。

 髪は日が当たると金色に輝き,陶磁器のような色白の肌。

 制服の上からでも分かる身体つきは,思春期男子の妄想を具現化したような。

 そう,目の前の扉の向こうにいる人のように。

(・・・扉の向こうにいる人のように?)

「いらっしゃいませ!」

 亜美さんの声に現実に引き戻される。

「笹宮,さん・・・?」

 マスターと陽子さんが何事かと顔を見合わせる。

「・・・あ,あの,えっと,一人なんですけど,いいですか?」

「空いているお席にどうぞ!」

「あ,はい・・・」

 笹宮さんはおずおずとカウンターの端の席に座った。


「ちょ,何,あの子,めちゃめちゃ可愛いんですけど!」

 カウンター脇に戻った亜美さんが小声で囁いてくる。

「そ,そうですね・・・」

「聡二君の知り合い?」

 陽子さんも興味芯々だ。

「え,ええ,まあ。ただの,クラスメイトです・・・」

「お名前は?」

「・・・笹宮さん」

「下の名前!」

「・・・笹宮,まどかさん」

 亜美さんは,はっと何かを閃いたような顔をする。

 嫌な予感しかしない。

「はい少年!お冷やとおしぼり持ってって!」

「ぼ,僕がですか?」

「いいから行く!」

「がんんばって,聡二君!」

 何を頑張ればいいでんすか,陽子さん。

 やれやれと思いながら,トレーにお冷やとおしぼりを乗せて笹宮さんの前に行く。

「いらっしゃいませ。本当に来てくれたんだ」

「うん。・・・迷惑だった?」

「お客さんを迷惑と思うわけがないよ。一人で来るとは思わなかったけど」

「あ,そうだね。休日を遊ぶ友達は少なくて・・・」

 意外なことを言う。

 あんなに友達たくさんいるのに。

「でも,一人で来て正解だったかな?」

「?」

「あ,何でもない。こっちの話」

「そう?」

「でも楢崎君,制服に合うね。カフェの店員さんみたい」

「みたいじゃなくて,カフェの店員なんだけど?」

「そうね。格好いいよ!」

「え?」

「あ・・・」

 笹宮さんも自分お言葉に気付き,お互いに赤面してしまう。

「・・・ご,ご注文は?」

「・・・あ,はい。何かオススメありますか?」

「日替わりケーキセット。まだ,あるから」

「日替わりケーキ?」

「・・・今日はアップルパイ。すごく美味しいよ」

「じゃあ,それにする!」

 笹宮さんは甘いものが好きなようだ。

「お飲み物は?」

「・・・カフェオレをお願いします」

「ホットとアイスどちらにいたしますか?」

「ホットでお願いします」

「かしこまりました。しばらくお待ちください」

 ここまでお互い目を合わせることが出来なかった。


「ちょ,なに,この甘酸っぱい空気!」

「なんだかキュンキュンしちゃった!」

「1番カウンター,日替わりケーキセット,ホットオレ一つ入りまーす」

 はしゃぐ陽子さんと亜美さんを無視してオーダーを通す。

「あの子,さっきからチラチラ少年のこと見てるよ~?」

「珍しいだけでしょ」

「聡二君がイケメン過ぎて惚れ直したんじゃない?」

「イケメンの定義を辞書で調べ直して下さい。あと陽子さん,惚れ直すも何も惚れられた覚えもない」

「え~,そうかな~?」

「客足も落ち着いてきたようだし,亜美ちゃんは休憩に入って」

 二人にあれこれ言われて苦笑するしかない僕に,助け船を出そうとしたのかマスターが会話に割り込んだ。

「えー!」

「陽子も休憩」

「えー!」

「休憩,に,入って!」

 マスターが大きくない声で強く言う。

「・・・分かりましたあ」

 後ろ髪引かれるような顔をしながら,陽子さんと亜美さんがバックヤードに下がっていった。


「日替わりケーキとホットオレ上がりました」

「ありがとうございます」

「あと,聡二君。これはサービス」

「え?あ,ありがとうございます?」


「お待たせしました。ホットカフェオレと本日の日替わりケーキ,アップルパイになります」

「わあ!」

 笹宮さんは子どものように目をキラキラさせている。

「あと,これもどうぞ」

「え?」

 僕は小皿に乗せた小さなチョコクッキーを差し出す。

「マスターからのサービスだって」

「・・・ありがとう」

「どうぞ,ごゆっくり」

 そう言ってカンター脇に下がる。

 その後他のお客さんの応対をしながら彼女の様子を伺ってみると,アップルパイを一口食べるごとにニコニコしながら味わっていて,僕の心も温かくなった。


「ごちそうさまでした」

「1000円丁度いただきます」

「すっごく美味しかった!」

「良かった。でもなあ・・・」

「でも?」

「あの味再現できる自信ないんだよなあ・・・」

「ふふっ。じゃあ頑張らないとね。味見係だったら引き受けるよ?」

「そう?じゃあ,その時はお願いするね」

「うん!」

 軽口を叩いたら素直に承諾されたのでビビった。

「あの,また来てもいい?」

「またのご来店を心よりお待ち申し上げます!」

 営業スマイルでビシッと決める。

「ふふっ。じゃあ,またね!」

 そんな僕の様子が笑いのツボに入ったのか,彼女は満面の笑みで店を出て行った。


 そのあと休憩から戻った陽子さん亜美さんに根掘り葉掘り聞かれたが,閉店まで無視し続けた。

 マスターは,何だか嬉しそうにしていた。

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