第9話 母親

 翌日。依然、私の左手首には何もなかった。

 あの後お母さんを追いかけたんだけど、追いついた頃にはブレスレットを近くの用水路に投げ込んだところだった。そのままお母さんは「今日は帰らない」と宣言してどこかへ行ってしまったので、煉に通話してブレスレットを探したほうがいいかどうか聞いたけれど、それよりもお母さんの様子がいつもとちょっと違ったかもしれないことに引っかかったみたいで、彼女の様子を見ていてくれるという話で通話は終わった。だからブレスレットは見つからないままだ。純のときみたいに、朝起きて手元にあったなら……何かが起きた後なんじゃないのかな、って思ってたから、正直戻っていなくてほっとした。まあでも、本当はお母さんも帰ってきてくれたほうがいいとは思うんだけどね。

 今は誰もいないからちょっとだけ家族の話をしようかな。煉が言ってたとおり、私のお父さんは私が七歳のときに死んでしまっている。誰からも教えてもらえなかったからなのか、それとも幼心にショックだったのか、私はその理由を覚えていない。昔は優しかったお母さんも、たぶんその頃を境に冷たい人になってしまった。

 母子家庭になってからは一旦母方の実家で生活して、妹の瑠璃香るりかが小学校に上がるのに合わせて私とお母さんだけこの家に帰ってきた、というかんじ。瑠璃香はここから遠い私立の小学校に通ってるから、近くの叔父さんの家で暮らしている。すっごく可愛くていい子なんだ。でも、最近は会いに行けてない。中学生のうちはよく遊びに行ったんだけど……ちょっと、気づいちゃって。お母さんや親戚がみんな、瑠璃香のことは結構大事にしてるんだな……って。お母さん似だからかな。……それが分かるとなんだか会いに行っちゃいけないような気がして、控えてるんだよね。寂しがってときどき電話や手紙をくれるので、心も痛むんだけど……。

 まあ、そんなかんじ! 人生みんな、いろいろあるよね。お母さんがあんまり帰って来ないのも中学生のときは結構困っちゃったけど、琴を見てたら自立するには丁度いいかも!って思ったから、いいんだ。お母さんは瑠璃香とはよく連絡を取ってるみたいだし、何かあれば瑠璃ちゃんから連絡入るよね。だから、昨日もお母さんは無事だと思う。(……多分……)

 煉も見ててくれるって言ってたし、お母さんがいないのはいつもと同じ。何も心配することなんてない。

(……でもやっぱり、お母さん、ちょっと変だった気がする……)

 元々アクセサリーなんてつけなかったから、それでブレスレットを見咎めたってだけかもしれないけど。でも、用水路に投げ捨てた後に言ったんだよね。

 

「あんなもの貰ってこないで。悍ましい」


 ……おぞましい、なんて、ただのアクセサリーにそんなこと言うかな?

 まるであのブレスレットが呪具だと知っているみたいな言い方だ。そんなの、全然伝えてもないのに。それに……(なんで煉は、特別な血筋か、って聞いたんだろう)

 全然そんなことないと思うんだけど、なんだか引っかかる。引っかかるだけで解けて組み上がってはくれないのが私の頭の要領が知れるところなんだけど、予感のようなものだけははっきりと感じる。良いか悪いかでいうと、悪いほう。

 改めてそれを確かめると、私は着ていた制服を脱いで私服に着替えた。学校に仮病の連絡を入れて、煉にもメッセージを打つ。お母さん、どこにいるか知ってる?、と。

 

 返事を待たずに外に出たのは、お母さんのことがなくたって純の分のネックレスを探したいと思ってたから。今朝、琴からは「柚実がいなくて寂しかった」とメッセージが入っていた。でも、拗ねたスタンプも一緒だったからちょっとは元気が出たみたい。ごめんね、と送ってハグのスタンプも添えて、今日は早めに遊びに行くね、とも追加で打つ。そしたらすぐに「絶対だよ!」というメッセージが返ってきた。本当に寂しいみたい。できることなくて早めに帰ることになっちゃったら遅刻でも学校行こうかなと思ってたけど、これは予定変更かな。

 純の家の最寄りのバス停は琴から聞いたことがあったから、そっち方面のバスに乗り込む。座席に座って窓の外を眺めながら、なんだか数日間ですごく変わっちゃったな、と思う。琴が怪我をして、純が死んじゃって、スピリチュアル男子や悪魔と出会って……日常がまるきり、色を変えたみたいだ。

 持ち主は最後に死ぬ。

 私もそうなのかな、と改めて不安になったとき、視界の端で青い石がキラリと光る。あっ、今日のお祈り忘れてた。


「……お母さんが無事でありますように。誰にも不幸が起きませんように」


 冷たくなってしまったって、お母さんは私のお母さんだ。悪いことなんか起きてほしくないに決まってる。そして、私だって死にたくないに決まっていた。


「……絶対死んだりしない」


 根拠なんかない決意だけど、それでも祈りと一緒に込めて指輪に口付けた。悲しみに翻弄されない、強い人間でありたい。そう願って。


「――おねえちゃん、」


 ふいに通路を挟んだ反対側から声をかけられる。見れば、幼稚園生くらいの小さい子がそのお母様越しに私を凝視していた。「あのね、もしかして、まほうせんし……?」精一杯のこしょこしょ声は周囲に丸聞こえだ。彼女のママが「こら、やめなさい」と小さく嗜めてるけど、前の人とかちょっと笑っちゃってるし、つまり私のお祈りの声も丸聞こえだった……みたいなこと?


「――バレちゃった? みんなに内緒だよ……☆」


 人差し指を立ててウィンクすると、少女はぱあっと頬を赤らめてウンウンと頷く。ちなみに私も全然別な理由で顔が赤らんでいる。恥ずかしい。最終決戦の前日みたいなセリフになっちゃってたのを振り返って、独り言は場所を選ぼうとも心に誓う。

 少女のママはママで、「すみません、もう……」と言いながらやっぱり可笑しかったのかやや声が震えていた。笑いを堪える人口は伝染するみたいにじわじわと増えていく。

 でも、日常っていつでもこんな風であってほしい。優しさと楽しさにちょっぴり夢も混ぜ込んで、美味しいおやつみたいな時間を少しずつでも分け合えるほうが、いいよね。


 

§



 私になら出来るのよ。願えばいい、魔女には奈落を!

 あはは、碌でもない『ウソ』だ!

 確かに「彼女は無事」なのね! すてきよ、ジャニス。

 当然なのよ! さあ唱えて、「魔女には奈落を」!

「魔女には奈落を」!

 あははははっ。

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