第2章 揺らぎ2
数日の間は、一応迷った。
受け取った鍵は店の裏口の鍵だという。鍵を使う条件として梶は、「古堂のことを友人以上に知りたいと思うなら」と言った。三好は尊について知りたいと思っていたが、果たしてそれが友人以上を望むからかと聞かれれば分からない。
梶は尊と親しくなりたい人間が少なからずいることを匂わせた。そんな相手全員に鍵を渡しているとは考えにくい。三好が「友人」だから渡したのだろう。そして三好に友人のままでいるように忠告した。で、あるならば、この鍵からは悪い予感しかしない。
尊にそれとなく火曜日の予定を尋ねもした。彼は特段隠す様子もなく、火曜は店を手伝っていて、閉店作業は大抵一人で担っていると話した。
考えがまとまらないうちに、火曜日はやってくる。
鍵が手元にある以上、尊の弱みを握っているような気がして三好はなんとなく後ろめたかった。やはり受け取るべきではなかったと思いながらも結局三好は遅い時間に下宿を出る。
つまり、俺は尊を友人以上に知りたいと思っているのか? そう自問自答してみるが、やはりそうではないと思った。ただ、謎めいた尊の弱みを覗き見たいと意地悪く思う気持ちと、疼く好奇心はあったと思う。
店の裏手に回り込めばもう一つ扉があって、鍵を差し入れ回してみれば簡単に開いた。扉の先には細い急階段が続いている。場所からしてバーカウンターの奥の調理場へと繋がっているのだろう。店から漏れるオレンジ色の明かりが階段下をうっすら照らし出していた。
足音を忍ばせ階段を降りた。時刻は午前零時半。閉店時間を過ぎ、片付けを終え店を出る頃だろう。調理場の電気は消えている。
話し声が聞こえた。三好は大きな冷蔵庫の影に身を隠し店内を覗いた。
いくつかの悪い予感のうち、一つが的中していた。
カウンター席に腰掛ける知らない男の背中が見えた。白いワイシャツの首元が緩んでいて、背面からでも着衣を乱しているのが分かる。そしてその膝にもう一人、女が座っている。
顔は見えないが男の背に回された白い手に、三好は見覚えがあった。細い五本の指が縋るように男のシャツを掴み皺を寄せている。膝に抱かれたその人は服を着ておらず、肌の色が動くたびに背中越しに垣間見えた。口付けを交わしているのだと分かる。唇が離れた時に熱っぽい吐息混じりの声が聞こえる。顔が離れて、女の顔が見える。
女に見えた細い体の持ち主は紛れもなく尊であった。彼は性感を煽る手付きで男の背に指を這わせ腕を体に絡ませる。再びキスを乞うている。薄く笑う唇が濡れて赤色に光っている。
店内は静かで唾液を交換する水音と呼吸の音、それから二人が身じろぎする音しか聞こえない。三好は口元を押さえ必死に息を詰めていた。友人の、男との情事は思っていた以上に生々しいし、見つかって、関係が瓦解することも恐ろしくって裏口へ戻ることもできなかった。好奇心はどこへやら、急に怖くなったのだ。あまりにも未知で。
幸いにも緊張は長く続かなかった。男は尊のことを愛おしげに撫でた後、甲斐甲斐しく彼に服を着せてやっていた。既に行為を終えた後なのだろう。尊は男にしたいようにさせている。身綺麗に自身の衣服を整えさせて、尊は男に「じゃあね」と一言だけ告げた。男の顔が三好から見える。四十近い、目立ったところのない男である。
店の入口の階段を上ってゆく音がした。尊も身支度を整えて、それからさして時間を開けず部屋を出た。パチリと音がして店内が暗くなる。階段を上り、入口の扉が開き、外から鍵を閉める音を聞いた。
三好はやっと全身の力を抜いて、ズルズルとその場に座り込んだ。大きく息を吐き出して胸を撫で下ろす。
「古堂! あの馬鹿!」
やり場のない感情が胸の内で絡まって、悪態をつかずにはいられなかった。なるほど、梶の言った意味を三好はよく理解した。
あの二人の関係は恐らく、恋愛感情に基づくような健全なものではないだろう。明らかに対等な関係には見えなかった。三好には男が尊に隷属しているようにすら見えた。そういうプレイなのかとも思うけど、少なくとも、あの平凡な男に尊は釣り合わない。
友人であれば彼の行いを理解しようとするんだろうか。彼のそんな側面を知りつつも、見て見ぬふりをして関係を継続することもできるだろう。だが、梶の言う通り、友人以上を望んでいるのだとしたら?
あの男を、羨ましいと思うかもしれない。それとも嫉妬するだろうか。尊とそんな関係を結びたいと望むだろうか。……望むか? いや、少なくとも俺は望まない。じゃあ、とんだ遊び人だと幻滅して離れるか。きっとそれもできないだろう。友人だから。
なんにせよ、三好は尊について何も知らないのだととことん思い知らされた。どっと疲労感が押し寄せて何も考えたくないとも思う。三好は無力感に苛まれながら裏口から店を出る。
しかし、知ってしまった。盗み見てしまった。今後の身の振り方と己の心中に悩みこそすれど、三好は不思議と知らなければ良かったと思ってはいなかった。
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